帰るべき場所、帰れない場所
ヤマトは懐から小型のナイフを取り出した。
そしてケルベロスの口元に近づくと、その大きな牙をガッガッと抜き始める。
一本、また一本と牙を抜いては、腰からぶら下げている巾着袋に入れていった。
「何をしてるんですか?」
「ケルベロスの牙は、コレクターたちの間で高値で売買されている。少しでも生活資金の足しになればと思ってな」
「……生きるために、お金は大切ですからね」
ヤマトはアレキサンドラを守る為にケルベロスと対峙したのではなく、高価な牙を手に入れる為に対峙したのだ。そう思うと、若干傷つくアレキサンドラだった。
「……」
ヤマトは何も言わずに、黙々と牙を剥ぎ取っている。
牙の採取を終えたヤマトは、ナイフを懐にしまって立ち上がった。
「さて、と……」
アレキサンドラを見ては、何も言わずにケルベロスの牙を一本差し出す。
「……?」
「察しが悪いな。牙、いらないのか?」
現在アレキサンドラは一文無し。高価なケルベロスの牙なんて、喉から手が出る程欲しいに決まっている。
しかしそれはヤマトが剣を振るって手に入れたものであって。自分がしたことといえば、泣いて逃げ回って神に縋っただけである。
「いります。ありがとうございます」と素直に受け取るには、罪悪感というものが彼女の邪魔をしていた。
「でも、それは……」
「いるのかいらないのか、はっきりしないか。……お前、金は持っているのか?」
「……」
ポーチも道すがら捨ててきたから、もう財産と呼べるものはこの身一つしかない。オンボロの鎧なんて、はした金にもならないだろうし。
「強がるのは、せめてブロンズランクになってからにしろ」
ヤマトはアレキサンドラの胸に、ケルベロスの牙を押し付けた。
「助け合いって言葉があるだろ? あれって、自分が人を助けているだけじゃ成立しないんだよ。……困っているときは、人に頼れば良いんだ。差し伸べられた手は、素直に掴めば良いんだ」
「……ありがとうございます」
アレキサンドラはヤマトの厚意とケルベロスの牙を受け取ることにした。
「それでお前は、ギルドの人間なんだよな? 駒を持っていることだし」
「はい。『白銀の女騎士』の一員です」
アレキサンドラが「今日から」と付け加えなかったのは、言えば「何故初日からこんな危険なクエストを受けたんだ?」と怒られると思ったからだ。
「そうか。……ならば、森の出口まで案内しよう。そこから王都までは、自力で帰れるだろう?」
「ついてこい」。ヤマトは歩き出すが、
「……」
アレキサンドラはその場に立ち止まったまま、動こうとしなかった。
「どうした? まさか森が名残惜しい……なんてことはないよな?」
「はい。でもギルドに戻ったところで、私の居場所が果たしてあるかどうか……」
「その駒を持っている限り、お前が『白銀の女騎士』であることに変わりはないだろう?」
「ですけど! 私は、見捨てられたんです。死んだことにされているんです。そんな人間が帰ってきたって、歓迎されないんじゃ……」
バロッサにアレキサンドラを助けるつもりなどない。当然アレキサンドラの推測通り、「彼女は死んだ」とギルドに報告しているわけで。
仮にこのままアレキサンドラがギルドに戻ったとして、それはバロッサの顔に泥を塗ることになってしまうのだ。
そうなればバロッサはアレキサンドラを許さないだろう。直接的に、或いは間接的に彼女に危害を加え続け、ギルドから追い出すはずだ。
「酷い目に遭うとわかっている場所に戻るなんて、もうゴメンなんです」
扶養されている頃ならいざ知らず、自立した今なら逃げ出すことは出来る。
アレキサンドラの胸の内を聞いていたヤマトは、静かに口を開く。
「強者はそんなことしない。自分のプライドとかメンツとか、そんなのを気にしない」
「あんなの強さとは言いません! ただの暴力です! あんなの強者とは呼びません! ただのクソヤローです!」
ハァ、ハァ。息切れするほどの勢いで、アレキサンドラは叫んだ。
「あんなのが最強だなんて、この世界はどうかしているよ」
「……」
帰りたくないと言ったアレキサンドラに、ヤマトは「じゃあ、どうするんだ?」と尋ねる。
「ギルドに帰らないということは、王都に帰らないということは、家に帰らないということだろう? だったらお前は、どこで寝泊まりするつもりなんだ? 仕事は? 食事は?」
「……っ」
ヤマトに貰ったケルベロスの牙を換金すれば、何日か分の宿代や食費になるかもしれない。しかしそれからのことは、全くの未定だった。
(別のギルドに属そうとしても、どこにあるか知らないしなぁ……)
難し顔をしているアレキサンドラ。その表情を見て、彼女がノープランであることを察したのだろう。ヤマトは彼女にある提案をした。
「……ウチに来るか?」
「……え?」
突然のお誘いに、アレキサンドラは聞き返す。
「ギルドに帰れない、でも行き先は決まっていない。だったらウチに来ないかと提案しているんだ。丁度部屋も余っているし、食事にもありつける。この先どうするかは追々考えるとして、取り敢えず次の仕事が見つかるまでの間だけでも」
アレキサンドラにとっては、願ってもいない提案だった。
しかし、どうして会ったばかりの自分の為に、迷惑をかけただけの自分の為に、そこまでしてくれるのか? 人の優しさから長らく遠ざかっていたアレキサンドラには、到底わかり得なかった。
故にその旨をヤマトに尋ねると、
「バロッサのは強さじゃない。ただの暴力だ。……似たようなセリフを昔吐いた女がいてな。そいつとお前を無意識の内に重ねてしまったから、かもな」
そう言ってヤマトは、フッと笑みを溢した。
その表情はどこか優しく、愛おしそうで、そして……寂しそうだった。
「その女性というのは、ヤマトさんのご友人ですか? それともパーティーメンバー? もしかして……恋人?」
複雑なヤマトの表情を目の当たりにして、アレキサンドラは意図せず尋ねてしまった。本能的に、自分と似ている女性というのが気になったのだ。
ヤマトはフッと、口元だけ綻ばせると、どこか寂しそうに彼女の問いに答えるのだった。
「妻だよ。二年前に死んだ、な」




