初クエスト③
全身を和装の布切れで包んだ、長い茶髪の男。
騎士と呼ぶには装備が貧弱すぎて、兜を被ろうにも後ろで一つに束ねられた長髪が邪魔になりそうだった。
アレキサンドラは男のような存在を知っていた。侍、そう呼ばれる者である。
「……誰?」
アレキサンドラの問い掛けに反応するように、男は彼女を一瞥する。そしてゆっくり口を開いた。
「……武器はどうした?」
「武器? ……あっ。逃げている途中で、投げ捨ててしまいました」
「この森で武器を持たずにいることは、それだけで死に直結する。子供でもわかることだ」
ケルベロスから逃れられたとしても、その後でオオカミの群れに襲われたら?
軽率な判断と行動をしてしまったのだと、アレキサンドラは反省する。
「ご、ごめんなさい」
「謝ることはない。……それより、これはお前の物か?」
男はある物をアレキサンドラに見せる。それは、投げ捨てたはずのホワイトの駒だった。
「どうしてそれを……?」
「道中、拾ったんだ。これのお陰で、人が襲われていることを知ることが出来た。……それで、お前の物なのか?」
もう一度尋ねられ、アレキサンドラは頷く。
「そうか。この駒は大切な物のはずだ。二度と手放すなよ?」
そう言って、男はアレキサンドラに駒を手渡した。
「あ、ありがとうございます」
「礼には及ばない。……時に娘よ。お前のその駒、見間違えじゃなければ、ホワイトに見えるのだが……」
アレキサンドラは半ば隠すように、駒をギュッと握りしめた。
「はい……ホワイトです」
「ホワイトが、何故こんな場所に? 暗黒の森でのクエストなんて、ほとんどがプラチナ、ゴールドランクだぞ?」
稀に採取系のクエストでシルバーランクもあるのだが、その土地の生態系上、ホワイトということはなかった。
「実は、プラチナやゴールドの方々と一緒に来ていたんですが……」
「プラチナ?」。男はその単語に反応した。
「……そいつとは、はぐれたのか?」
「え? ……えぇ、まぁ」
「私、よく迷子になるんです」。アレキサンドラはバロッサの沽券を気にしてしまい、咄嗟にそんな嘘をついた。
自分が弱かったから、見捨てられたのだ。そう考えれば、自分に責任がないわけではない。
しかし男は、アレキサンドラの嘘を見抜いていた。
「本当のことを話せ」
睨むような男の眼光に、アレキサンドラは萎縮してしまう。
「……置いてかれました」
「やはりか。あいつはそういう男だ」
どうやらこの男は、バロッサと知己であるようだった。
ガルルルルル。
自分のことを無視するなと言うように、ケルベロスが炎の向こうで唸る。
「いくつか聞きたいことがあるが、まずはこいつを片付けるとしよう。……そこを動くなよ」
男はアレキサンドラとケルベロスの間に立つ。
アレキサンドラはそんな男を、まるで信じられないと言わんばかりの顔で見ていた。
「……」
「どうした?」
「いえ、何でも」
パーティーメンバーにも見捨てられた自分を、何故会ったばかりのこの男は助けてくれるのか?
しかし、その理由なんて至ってシンプルで。当たり前で。――困っている人を助けるという行為に理由を模索することこそ、不毛でしかないのだ。
男は腰に差してある二本の武器に触れる。
おかしなことに、一本は洋式の剣である一方で、もう一本は和式の刀だった。
その上男は、和装には似合わない剣の方を抜く。
剣を前に突き立て、目を瞑りながら一言。
「愛する者よ。我らにご加護を」
目を見開くと、その気迫に圧倒されるように男の眼前だけ炎が消える。
開かれる一本の道。三つ首の獣は、それが誘導されているのだと気付かずに、ここぞとばかりに突っ込んできた。
「危ないです!」
アレキサンドラに対して、男は落ち着いていた。
剣を地面から抜くと、鋒をケルベロスに向けて構えながら。
「この暗闇の中、不意打ちを食らうとなれば、それはたとえケルベロスでなくても危険だ。ネズミに首をかじられて死んだ騎士や、詠唱中に毒蛇に噛まれて死んだ魔術師を、俺は何人も知っている」
ケルベロスの中央の、三頭の中で一番凶暴な頭が、口を大きく開けた。
鋭く大きな牙が、男に襲いかかる。
それでも男は依然として冷静さを欠くことがなかった。
「しかしどうだ? もし道が一本しかなくて、敵がどこから来るのかがわかっていたとしたら?」
ギリギリまでケルベロスを引きつけ、死を目前とした刹那――
一瞬だった。一撃だった。
つい一秒前までは獰猛だったケルベロスは、その動きを止め……左右で綺麗に真っ二つになっていた。
「嘘……ですよね?」
見えなかった。いや、意図的に見ないようにしていたのかもしれない。
自分を救ってくれた恩人の死に様なんて、誰も見たくないものである。
しかしアレキサンドラの確信は大きくはずれ。この男はケルベロスを、いとも簡単に葬ったのだった。
「あなたは一体、何者なんですか……?」
聞くつもりなんてなかったのに、アレキサンドラは無意識の内に尋ねていた。
男は剣を鞘に収めると、少しの間考えてから、己の立場を口にした。
「俺はヤマト。何てことはない、ただの敗北者だよ」