初クエスト②
「バロッサさん!? 一体どこへ!?」
アレキサンドラが消えたバロッサたちを探し続けていると、木の上からバロッサが「おーい!」と声を掛ける。
「バロッサさん!」
「アレキサンドラ! 早くここまで来ーい!」
「早く早く!」と手を振るバロッサ。アレキサンドラは、やや叫びながら答える。
「無理ですよ! 私にはそんな能力も魔力も脚力もありません!」
「うん、知ってる!」
「……え?」
アレキサンドラは、自分の耳を疑った。そして彼女の脳みそも、バロッサが何を言っているのか理解出来なかった。
「だから知ってるって言ったんだ。知ってる上で置いていったって言ってるんだ。あと、教えたよね? 聴力は大切だって」
グルルルルル。アレキサンドラのすぐ近くで、そんな声が聞こえる。
「それは自分だけじゃなく、敵にも言えることでさ。そんな大声出すなんて……自分の居場所を教えているようなものだよ?」
「!」
気付くといつの間にか、ケルベロスはアレキサンドラの目の前まで移動していた。
「あっ……あっ……」
ケルベロスのあまりの迫力に、アレキサンドラは恐怖の声すら出ない。
木の上に腰掛けながら、バロッサは語る。
「ケルベロスにしろ、ゴッドドラゴンにしろ。その気になれば一撃で倒せちゃうわけだから、つまらないんだよね」
「助けて下さい」。か細いアレキサンドラの声が、バロッサに届くことはない。
「最強なんて言われているけどさ、それって刺激も楽しみもない世界で暮らしていくのと同義でね。ギルドに入って先代の最強を殺してみたけれど、やっぱりつまらなくて……。もういっそ俺が世界を滅ぼしちゃおうかな? そう思ったこともあるわけですよ」
「助けて下さい、助けて下さい」。声は届かない。
「でもそんなあるとき、面白い遊びを思いついちゃったわけ。……新人をパーティーに誘い込み、「将来有望だ」と言って希望を持たせて、最後に見殺しにする。戦い慣れしていない人間の死に際の表情って、妙にそそるんだよね。……今の君みたいに」
パーティーメンバーを死なせてしまったとしても、「危険な任務だったから」と言い訳をすれば大抵非難は免れられる。また、死人に口なしという言葉の通り、「勝手な行動をした」と死んだ張本人を悪者にすることも可能なのだ。
世界最強のバロッサには、それだけの力と人望があった。
「助けて下さい!」。とうとうアレキサンドラは叫んだ。
「うん、やだよ」
それでもバロッサには届かなかった。
あっかんべと言わんばかりに、バロッサは舌を出す。
「そんな……嘘でしょ……」
「嘘じゃないよ。全て現実の出来事さ。君の人生の……最後の一コマさ。このまま肉片になる様子を見ているのも面白いけど、飽きてもきたからなぁ……。一時間後に、またここに戻ってくるよ。もしそれまで生き延びていられたら、君を助けてあげる」
「じゃあねー」。魔術師のテレポートで、バロッサたちは消えていった。
信じていたのに、目標としていたのに……裏切られた。
オオカミに噛まれることよりも、ケルベロスに食い殺されることよりも、そのことが何よりも痛かった。
やっと出来た仲間だったのに……そう思うと、涙が留めなく溢れてくる。
「うぐっ……うぐっ……」
アレキサンドラは手のひらで両目を擦りながら、くしゃくしゃになった顔を整えようとする。
涙さん、もう少しだけ我慢して。擦りながら心の中で、何度も何度も唱え続けた。
泣くのは後ででも出来る。でもその為には、生き残らなければならない。
(ここから、逃げなきゃ)
アレキサンドラは腰に巻いているポーチの中を探る。
何でも良い。一瞬でもケルベロスの注意をそらせる物は、ないだろうか?
(これは……)
手探りであさっていたアレキサンドラは、ある物を見つける。
同時に考えた。これなら確かに、注意を『これ』に向けることが出来るかもしれない。でも、『これ』は彼女にとって、とても大切なものだった。
グルルルルル。ケルベロスが一歩、アレキサンドラに近づく。
彼女は覚悟を決めた。
「なくしたら再発行して貰えば良いよね。でも、命は再発行出来ないから……!」
アレキサンドラはケルベロスに向かって投げた。馬の頭部が形取られた、白色のチェスの駒を。
彼女は自らの命を救うために、ギルド構成員としての証を投げ捨てたのだ。
駒は空中で回転しながら、ケルベロスに向かっていく。
それだけでは鳩に豆鉄砲を撃つようなものだが、運良く差し込む日光が駒に反射して、ケルベロスの視界を奪った。
日頃慣れていない明るさに目をやられ、聞いたこともない叫び声を上げるケルベロス。
好機だと直感で悟ったアレキサンドラは、ケルベロスに背を向け、一目散に走り始めた。
ケルベロスはすぐに自分の居場所を突き止め、追ってくるはずだ。そうなれば、ホワイトですらなくなった自分は逃げ切れるはずもないだろう。そんなこと、アレキサンドラにだってわかっていた。
でもそれは、仮定の話であって。絶対逃げ切れないわけではなくて。
あの場にいれば死は必至だったけれども、こうして逃げている間に、ケルベロスが自分を見失うかもしれない。他の獲物に目移りするかもしれない。
アレキサンドラは己の命の行く末を、運に任せる他なかった。
「ハァ……ハァ……邪魔!」
剣やポーチを捨て去り、腕を振り続け、アレキサンドラは全力で走り続ける。
目的地なんてわからない。ただがむしゃらに逃げているだけ。
しかし現実はそう甘くなく――走り出してから20秒も経たない内に、アレキサンドラはケルベロスに追いつかれ、追い抜かれ、回り込まれてしまった。
「うっ……」
それまで前だけを見ていたアレキサンドラだが、立ち止まりゆっくり後退していく。
それに合わせてケルベロスも、一歩ずつ前に踏み出してきた。
グルルルルルと、再度ケルベロスは喉元を唸らす。
「ひっ!」
トン、と。アレキサンドラの背中に何かが当たった。……森を形成する木の内の、一本である。
逃げ道の行き止まりであり、人生の行き止まり。眼前にあるのは死という未来のみ。
(あぁ、終わった……)
ナイトを犠牲駒としたというのに、呆気ない最後だった。
アレキサンドラは、ドサッとその場に座り込む。
不思議なことに、悲しくはなかった。涙だって、もう出ない。その代わり、滑稽な自分がおかしくてしかたなかった。
騎士生活一日目。仲間に裏切られ、見捨てられ、そして一人で死んでいく。
これでは村にいた頃と、ちっとも変わっていないではないか。強くなると息巻いておりながら、弱いままその生涯を終えようとしているではないか。
……いや。もしかすると自分は甘く見ていたのかもしれない。
騎士というものを、クエストというものを、人間の非情さというものを……。
アレキサンドラは胸の前で手を組んだ。
「神様、お願いします。どうか私を、助けて下さい。お願いします、お願いします……」
ひたすら祈ること。それが彼女の出来る、悪あがきだった。
受付嬢じゃないけれど、どうか自分に、最強の女騎士の加護があらんことを――。
その時だった。
アレキサンドラの前に、どこからか松明が投げ出される。
ボォッという音を出しながら、松明の炎は地面に生える草に燃え広がっていく。その炎はまるでアレキサンドラを守るかのように、彼女とケルベロスの間に一線を画した。
ケルベロスは歩みを進めようとするが、燃え盛る炎に阻まれてその場から動けない。
「まさか……バロッサさん?」
口ではその名を呼ぶものの、彼が助けに来てくれたとは到底考えられない。既にアレキサンドラは死んでいると、そう思っているはずだ。
ならばもしかして……本当に加護があったのか? そんなことを考えていると、
ザッ、ザッ、と。背後から足音が近づいてくる。
(まさか……挟み込まれた!?)
折角ケルベロスの脅威から一旦免れたというのに、何たる不幸の連鎖だろうか?
隠れるような場所はない。炎によって前方は遮られており、加えて視界も明瞭になってしまっている。生き残る術があるとすれば――
アレキサンドラは木の陰に隠れる。そして手で口を押さえ、息を潜めた。
足音はどんどん大きくなっていき……アレキサンドラの横を素通りした。
「あっ……」
アレキサンドラは、思わず声を漏らしてしまった。
何故なら……彼女の横を通り過ぎたのは、獣でも魔物でもない、人間だったからだ。




