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世界で2番目に強い男②

 奇襲に閃光玉を駆使した不意打ち。備えていた二つの作戦が失敗に終わった今、ヤマトに残された道は真正面から戦うことだけだった。


 あれからおよそ五分。

 誰もが息を飲むような、そんな戦闘が続いている。


 響く金属音。生じる火花。

 しかしそれらは、激しい剣技のぶつかり合いなどでは断じてなく。

 ヤマトが振り回す刀と、その場から一歩たりとも動かないバロッサの鎧。一方的な攻防だった。


「くそっ!くそっ!」


 一太刀、また一太刀と、無我夢中で刀を振るうヤマト。しかし最高硬度を誇るバロッサの鎧には、かすり傷一つ付いていない。


「何で……何で倒せないんだ!」


 ヤマトは叫ぶ。


 熱くなる中、それでも思考は冷静でいて。

 現状を理解出来るくらいには、落ち着きを保っていた。


 バロッサは、攻撃を仕掛けていない。


 彼が仕掛けてきたとしたら、最初の攻撃のみ。……いや、それすらも全力ではない。もとよりヤマトが避ける前提で、バスターソードを振り下ろしていた。


 そして今に至っては、防御すらしていない。無防備の相手に斬りかかっているというのに、このザマである。


(どうしてだ……っ!)


 一年前、バロッサに負けてからというもの、寝ても覚めても彼を倒すことだけを考え続けた。


 毎日剣を振るい、魔獣と呼ばれる生き物と戦い、強くなってきた。つもりだった。なのに――


 バロッサまでの距離からしてみれば、そんなの些細な数歩に過ぎなくて。自分の成長は、亀の歩みに他ならなくて。


 パキン。


 バロッサの鎧よりも先に、ヤマトの刀が折れた。同時に……彼の心も折れた。


「ハァ……ハァ……」


 ヤマトはその場に項垂れる。


 戦意などとうに喪失しているヤマトを見て、バロッサは冷たく吐き捨てた。


「……一年前と、同じだな」


 バロッサはヤマトを蹴り飛ばす。

 ヤマトの体は、観衆の目前まで盛大に吹っ飛んだ。


「ゲホッ! ゲホッ、ゲホッ!」


 咳き込むヤマト。

 まだ息があることを確認したバロッサは、手のひらを上空に向けた。


「天候操作」


 バロッサが魔力を発動させると、それまで雲一つなかった青空に暗雲が立ち込めていき……ゴロゴロと、稲妻が音を立て始めていた。


(天候を召喚したということか……?)


 銀の魔術師が放った『シャワー』などという魔法の比ではない。


 まさに神の領域。人間である自分とは、異なる次元にいる存在。


 やがて雷は、バスターソード目掛けて落ちる。

 帯電するバスターソード。あんな攻撃を食らえば……死は免れなかった。


(受け切れない。……避けるしかないか)


 刀の折れたヤマトに、選択肢などない。

 戦う意志はなくとも、生きる意志まで失ったわけではなかった。


「死ねぇ!」


 そんな掛け声と共に、バロッサは雷を帯びた斬撃を放つ。


 ヤマトはその場から離脱する為、足を踏み込んだ。その時――


「ヤマトさん!」


 彼を心配する声が、すぐ後ろから聞こえてきたのだ。


 その瞬間、ヤマトは気がつく。もし自分が斬撃を避けたとして、アレキサンドラは、観衆は一体どうなるのか……?


 魔獣すら食らえばひとたまりもないというほどの攻撃。……ただの一般市民では、五体満足でいられないだろう。


 観衆に恩を売る気などない。バロッサに心酔し、自分をバカにしている彼らを守る義理もない。


 だからこれは、アレキサンドラを守る為なのだ。彼女を見殺しにしない為に、体を張るだけなのだ。

 ヤマトは自分に、そう言い聞かせる。


 結果として――ヤマトは迫り来る斬撃を避けなかった。


 土煙と風圧、そしてヤマトの寂しそうな微笑み。

 視界を一時奪われたアレキサンドラの目に、次に映ったのは……うつ伏せになって倒れ込んでいるヤマトの姿だった。


 周りの人々は、そんな彼に誹謗中傷の限りを尽くしている。


「意地になって受け止めようとするから、そうなるんだ」とか、「避けることもできない、野生動物以下の男」とか。


 ヤマトに守られたなんて、誰一人思っていない。アレキサンドラは、今すぐにでも観衆を怒鳴りつけたかった。


「もっと他に、言うことがあるだろう!」、と。


 でも今は、それ以上にやらなければいけないことがある。

 アレキサンドラはヤマトに駆け寄った。


「ヤマトさん! ヤマトさん!」


 ヤマトに返事はない。


 体を揺すろうにも、触っただけで怪我が酷くなってしまいそうで。

 血溜まりと化した地面の上。アレキサンドラに出来ることは、何一つない。


 自分はヒーラーじゃない。プラチナじゃない。だからこうして、何度も何度も、彼の名前を呼び続けることしか出来ない。


「アレキサンドラ……」


 蚊の鳴くような声で、ヤマトは反応する。

 アレキサンドラの呼び掛けは、ヤマトをこの世に留まらせる要因となったらしい。


「ヤマトさん!」


 泣き叫ぶアレキサンドラ。一歩後ろではツバキが、安堵の表情を見せている。


「ヤマトさん、ヤマトさん……!」

「そう……何度も呼ばなくても……聞こえている」


 その言葉に嘘はない。

 だけど彼がアレキサンドラを安心させようと声を発する度に、ドクドクと血が流れ出でていた。


「どうしよう。血が……血が!」


 更なる出血を目の当たりにして、慌てるアレキサンドラ。青ざめるツバキ。

 辛うじて生きているとはいえ、これ程までの重傷……いつ命を落としても、おかしくはない。


 ヤマトやメサイアの信じる「愛」とやらで助かるというのなら、何ともまぁ素晴らしいことだが。生憎現実というのは、そう都合よくいかない。


 バロッサを認めるようで気に入らないけれど、やはり傷を治すのにも力と技術が必要で。

 故にヤマトを助けることが可能な人物がいるとすれば、それは一人をおいて他にいないのだ。


「……おや」


 鎧に付着した砂埃を払いながら、バロッサが声を上げる。


「まだ息があったか。丁度いい」


 バロッサは倒れるヤマトに近づいていく。


 トドメを刺すものだと判断したのだろう。無駄なこととはわかっていても、アレキサンドラはクラウ・ソラスを抜かずにはいられなかった。

 アレキサンドラが覚悟を決めるならばも、ツバキもまた戦闘体勢を取る。


 そんな二人など視界の端にも入れず、バロッサはヤマトの目の前で仁王立ちする。


 ヤマトが生きていて、何が「丁度いい」なのか? 全てはバロッサの次なる行動が、示唆していた。


「……俺が何を言いたいのか、わかるよな?」


 まるで一年前を再現するかのように。バロッサは右足を差し出す。


 ――舐めろ。そうすれば、助けてやる。


 血の味でいっぱいだったヤマトの口内が、全く別の苦さで充満する。血なんかよりよっぽど不味い、あの苦々しい味で。


 ヤマトは考える。


 これだけがむしゃらになっても、バロッサには遠く及ばなかった。

 恐らくまた一年後、同じように決闘を挑んでも、結果は変わらないだろう。


 二年後でも、三年後でも……果たして自分が生きている間に、バロッサを越えることが出来るのだろうか?


 根気よく粘り続けたとしても。その間毎年のように、バロッサの靴を舐めさせられる。何年も、何十年も……。


(もう……このまま死んでもいいかもな)


 そんなことを実行したら、あの世でメサイアにどやされる。凄い剣幕で怒られる。……ヤマトからしたら、それすらも魅力的なメサイアの一面なのだけれども。


(……それも悪くない)


 ヤマトはバロッサが差し出した靴を拒み、死を受け入れた。ゆっくりと目を閉じると、


「ふざけないでください!」


 驚き、目を開けると、そこに映るのは不埒にもバロッサに剣を向けるアレキサンドラの姿だった。


「退け、アレキサンドラ。ヤマトを殺したいのか?」

「……っ」


 ヤマトの傷が、もう手の施しようもないことくらい、アレキサンドラにもわかっていた。


 どんなに治療しても、ヤマトが死ぬという事実は変わらない。助かる術があるとしたら……傷をなかったことにする他ない。

 そしてそれが出来るのは、『リセット』を持つバロッサのみ。そんなこと、わかっている。


 でも、ヤマトにプライドを捨てさせることも、同じくらい嫌で。


「きっと……何か方法があるはずです」

「ほう。ならば、その方法とやらを模索してみろ。……お前が頭を抱えている間にも、彼は弱っていくがな」


「ぐはっ」と、ヤマトが血反吐を吐く。

 方法を探す暇すら、神は与えてくれないようだ。


「……いえ、まだ私は諦めません」


 アレキサンドラはバロッサを見据える。強い意志を持った、戦士の目だった。


「バロッサさん、私と決闘をしましょう。もし私が勝ったら……無条件で、ヤマトさんを助けて下さい」

「……愚か者めが」


 その呟きをイエスと受け取ったアレキサンドラは、バロッサに斬りかかった。


 かのメサイアが愛用していた名剣、クラウ・ソラスをもってしても、バロッサの鎧は傷つかない。


「無駄だということくらい、お前でもわかっているだろう?」

「無駄なんかじゃありません! だってこれ以外に、ヤマトさんが助かる道はないんですから!」


 観衆は驚いていた。

 ホワイトが、最強の男に喧嘩を売ったのだ。

 しかもギルドでの口論とは違う、剣と剣のぶつかり合いだ。


 ヤマトとツバキもまた、驚いていた。

 自分しか依頼人を守ることが出来ないという状況下でも、剣を振り下ろすことが出来なかったアレキサンドラが、何度もバロッサを斬りつけているのだから。


「アレク……」、「アレキサンドラ……」。ヤマトとツバキは、呟く。


 懸命にも最強に挑む彼女の姿に、二人は心を動かされていた。


 やがて攻撃を受け止めるのにも飽きてきたバロッサは、


「……もういい。茶番はそれまでだ」


 アレキサンドラを切り捨てる為、バスターソードを握る。その直前で、


「待ってくれ!」


 残る全生命力を振り絞って、ヤマトは声を出した。

「待ってくれ。待って……下さい」


 無理をして体を起き上がらせ、その場で正座をする。


「アレキサンドラには手を出さないで下さい。指一本触れないで下さい。彼女は……仲間なんです」


「お願いします」。傷口から血が噴き出すのなんてお構いなしで、ヤマトは額を地面にこびりつけた。


「土下座とは、滑稽な姿だな。……良いだろう。アレキサンドラの命だけは、助けてやる。――で、お前はどうする?」


 バロッサが助けるのは、あくまでアレキサンドラの命まで。ヤマトが生死の瀬戸際にいることは、依然として変わらない。


「お前は生きたいのか?」

「……はい」


 自分が死のうとする限り、アレキサンドラは無茶な戦いを挑み続ける。

 仲間を危険な目に遭わせたくない。そして仲間の悲しむ顔も見たくない。


 ヤマトは今になって、アレキサンドラを助けたことを僅かばかり後悔した。だって、


(メサイアとの約束以外にも、死ねない理由が出来たじゃないか)


 自分の命が自分だけのものでないことを、今になって思い出したのである。


「……じゃあ、どうするべきかわかってるよな?」

「……もちろんです」


 ヤマトは引きずるように体をバロッサの右足に近づけると、顔を近づけ、その先端を舐め始めた。


 唾液で徐々に汚れていくバロッサの爪先。しかし彼の表情は、満足そうだった。


 一年前と同じ屈辱。一年前以上の羞恥。

 それらをヤマトは、生唾と一緒に飲み込んでいく。


 肉体の傷なんて、最早一切の痛みもなかった。

 せめてもの情けとして、ツバキ目をヤマトから目をそらす。


 対してアレキサンドラは、彼の姿をしっかり見ていた。――彼女にとっては痴態でも何でもない、その雄姿を。


『リセット』


 ヤマトの靴舐めに満足したバロッサは、約束通り彼の傷をなかったことにする。


 されどそれはヤマトの肉体面の話である。

 時間が戻るわけではない。存分に味わったバロッサの靴の味が、なくなるわけではない。


 二度目の敗北が『リセット』されることなど、決してありはしないのだ。

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