アレクの決意とヤマトの覚悟
(何だか、ここに来るのがすごく久し振りのように思えます)
つい数日前に、初めて訪れたばかりの巨大な建物を前にして、アレキサンドラは思った。
大きな建造物相応の、大きな看板。そこにははっきりと、『白銀の女騎士』と書かれている。そのギルドは「まだ」、『白銀の女騎士』なのだ。
しかしそれも今夜まで。何も行動を起こさなければ、このギルドはバロッサのものになってしまう。
(そんなこと……絶対にさせない!)
バロッサに決闘を挑もうだとか、そんな無謀なことは考えちゃいない。でも……一度はパーティーを組んだ身。話くらいは、聞いてくれるはずだ。
いや、聞かせてやる。
「よしっ!」
両頬をペチンと叩き、気合いを入れ直す。そして彼女は、満を持してギルドの中に入っていった。
書類上、アレキサンドラは『ケルベロス討伐』というクエストで死んだことになっている。
つまり今この場にいるアレキサンドラとは、亡霊。だというのに――誰もアレキサンドラには、目もくれなかった。
(私のことなんて……誰も知らないか)
バロッサやツバキクラスの実力者なら兎も角、ホワイトの冒険者がいつどんなクエストで死んだかなんて、一々覚えていない。
ましてやアレキサンドラの冒険者歴は、一日にも満たない。会話した人間も、バロッサの率いるパーティーと、受付嬢だけである。
だから誰も驚かない。彼らにとってアレキサンドラとは、風景の一部であり。通行人Aであり。
もし驚く人間がいるとすれば、それは――アレキサンドラの最期を確認した、張本人だけだった。
アレキサンドラは慣れた足取りでギルドの中を突き進んでいく。
目指す場所は、その男に初めて声を掛けられた場所だ。
クエストボードに着いたアレキサンドラは、「バロッサさん」とその男に声をかける。
「何だい?」と、バロッサはあの時同様心安らぐ温かい声を返してきた。
振り返るバロッサ。アレキサンドラの姿を瞳に映した途端、その表情は一変する。
「アレキ……サンドラ……なのかい?」
「はい。ホワイトの女騎士、アレキサンドラ。不肖ながら、帰ってきました」
ビシッと、アレキサンドラは敬礼する。
バロッサの背後に立つヒーラーと魔術師も、驚きを隠せないでいた。
どうして生きているんだ?
そう言いたげな彼らの瞳の中には、「生きていて欲しくなかった」という願望が多大に含まれていた。
初めこそ目を見開き、頬に汗を垂らしていたバロッサだったが、流石はプラチナの騎士。すぐに落ち着きを取り戻す。
「アレキサンドラ、まさか生きていたなんて……。あれ以来、君を無謀なクエストに巻き込んでしまったことを後悔する日が続いて……寝ても覚めても、罪悪感に苛まれて、どうにかなりそうだったんだ」
実際には自宅で豪遊を繰り返し、ギルドの弱者たちへの暴言を吐いていたことは、パーティーメンバーしか知らぬことだ。
しかし知らなくとも、予測をつく者は少なからずいて。アレキサンドラはその内の一人だった。
だから彼女は笑顔を貼り付けたまま、こう呟く。
「嘘つき」
「嘘じゃないさ」
口ではそう言うバロッサだが、その瞳は、「余計なことは言うな」と物語っていた。
(これ以上、この話題を続けるのは危険ですね)
そう判断したアレキサンドラは、彼の建前上の会話に乗ってやることにした。
「流石はバロッサさん。お優しいんですね」
「……」
素直に応じるアレキサンドラに不審に思いつつも、別段不都合はない。バロッサもまた、会話を続けた。
「優しいわけじゃないさ。女の子に、それもホワイトの新人に優しくするのなんて、普通のことだよ」
気付くとアレキサンドラの周りに、人が集まってきていた。
新人がバロッサと会話しているのが、物珍しいのだろう。
「そういえば、あの子前もバロッサ様と話していたわよね? しかも「バロッサさん」って」
「あぁ。ホワイト程度で魅入られるとか、何者だよ?」
「良いなぁ。私もバロッサ様とお話しした~い」
どうやら数日前にも、バロッサと話すアレキサンドラの姿は目撃されていたようだ。
しかしその時はたまたま近くにいたから会話が発生した程度の捉え方だったのだろう。故に二回目があるなどと、誰も考えていなかったのだ。
「バロッサさん」
誰に何を囁かれようと、アレキサンドラには関係ない。彼女は明確な意思と覚悟を持って、ここにいるのだから。
「何だい?」
「今日は、折り入ってお願いがあるんですけど」
「お願い? ……あぁ、パーティーメンバーに入れて欲しいってことかな? でも、それっておかしくないかな?」
バロッサは続ける。
「アレキサンドラは、はじめから俺たちの仲間なんだ。だからそれがお願いだなんて、水臭いこと言わないでくれよ」
「いえ。お願いとは、パーティーへの再加入ではないのですが」
「……」
バロッサの動きが止まる。ヒクヒクと、頬が小刻みに動いているのは、無意識下のことだろう。
「それじゃあ、お願いって?」
「はい」
アレキサンドラはホワイトの新人とは思えないくらい堂々と、バロッサに頭を下げた。
「お願いします。ギルドの名前を変えるというお話を、どうか白紙に戻して下さい」
「……」
周囲がざわつく。
バロッサにその手の懇願など、天に唾を吐く行為に等しい。それ以上に。
ギルドの名前がバロッサ由来のものへと変わることを、誰もが望んでいるはずなのだ。そんなお願い、存在するはずもない。
バロッサはアレキサンドラのお願いを、「ダメだ」と拒絶する。
「ギルドの名前とは、平和を築く抑止力。その為にも、『白銀の女騎士』はなくならなければならない」
「俺だって、自分の武勇の為に改名を進言したわけじゃないさ」。バロッサは寂しげに微笑む。
その言葉自体は真実なのだろう。でも、理由が違う。
『白銀の女騎士』の名を消すのは、世界にはびこるメサイアを滅する為だ。
そんなことはアレキサンドラもわかっている。それでも穏便に済ませようと、「お願い」という形を取ったまでで。
(やっぱり、断られましたか……)
ギュッと。アレキサンドラは目を瞑った。
これからする行為が自分らしくないことくらい、よくわかっている。それでも……ヤマトの為ならば。仲間の為ならば。
他者の為にそれまでの自分らしさと決別するその姿は、ある意味アレキサンドラらしいといえた。
覚悟を宿しながら、アレキサンドラはゆっくり目を開ける。
ジッと向けられるその視線に、数日前までとは全く異なるその立ち振る舞いに、バロッサともあろう男が息を飲んでしまった。
「……何だよ?」
気付けば口調も崩れている。
「お願いは終わりです。……取引をしましょう」
「取引?」
「はい」
アレキサンドラは頷く。
「もし改名の話をなかったことにしてくれるのなら、私はあの日起きた一切のことを忘れます。未来永劫、口外しないことを誓いましょう」
「……っ」
裏を返せば、を取引に応じなければ、バロッサの非道な行いを暴露する」。そう言っているようなものだった。
しかしその程度で慌てるバロッサではない。
「君の世迷いごとを、王国中の人間が信じるとでも? 随分と傲慢だな」
「私だけでは、無理でしょうね。ホワイトがプラチナを悪く言ったところで、無視されるのがオチです。でも」
アレキサンドラは、クエストカウンターを一瞥する。
険悪な空気を感じ取ってか、遠くでは受付嬢が心配そうに彼女たちを見ている。……アレキサンドラとバロッサ、どちらを心配しているのかは、本人のみぞ知ることだが。
「その場にいた人が証言すれば、話は別でしょう?」
厳密には、受付嬢はバロッサがアレキサンドラを見捨てる場面を目にしたわけではない。
だがバロッサとアレキサンドラがパーティーを組んだこと、そしてバロッサがアレキサンドラの死を誤認したことは知っている。
根拠と呼ぶには些か薄いかもしれないが、不信感を募らせるには十分だった。
「俺を……脅そうというのか?」
「だから取引ですって。脅しだなんて……人聞きの悪いこと、言わないで下さい」
ギリギリと、バロッサの歯が軋む。
周囲の目がなければ、今頃自分は殺されているはずだ。そう思うと、アレキサンドラは悪寒が走って仕方ない。
外面や肩書きが足を引っ張り、手を出せないバロッサの代わりに魔術師が動く。
音を立てずに杖を構えた彼を制したのは、野次馬の一人だった。
「アレキサンドラに危害を加えたら、ただじゃおかないわよ」
「!?」
魔術師はおろか、その場にいる野次馬たちも声の主を見る。
「……ツバキ」
魔術師は低い声で、声の主を呼んだ。
「退いて」
カツンカツンと、人を掻き分け前に出るツバキ。アレキサンドラの隣に立ったところで、その足を止めた。
「いつまで杖をこちらに向けているつもりかしら? また踏みつけるわよ、この豚野郎が」
ガンッと、おおよそヒールとは思えない足踏みの音。
「……一年前のように」
以前ツバキに苦渋を舐めさせられたことがあるのか、魔術師は萎縮してしまう。そんな彼を庇うかのように、バロッサは前に出た。
「やぁ、ツバキ。君がギルドに顔を出すなんて、珍しいこともあるものだね」
時間を置いた為か、落ち着きを取り戻している。
「……クエストを受ける時は、毎回来てるでしょうが」
「でも、基本的に誰かと会話をするなんてことはないだろう? まぁ……だからこそ、噂が絶えないのだが」
野次馬のざわめきは、いつの間にかツバキに向けたものへと変わっていた。
「聞いているよ? 君が……あのヤマトと裏で繋がっているって」
「……」
ツバキは応えない。
「取り敢えず、剥き出しの殺意を抑えてくれるかな? それと……毒針を仕込んだ、そのヒールも」
ヒールのかかと部分は、昨日の麻酔針から毒針へと変わっている。その証拠に、僅かだが毒の影響を受け床が腐敗していた。
言われた通り、ツバキは突き出していた右脚を一歩引く。しかし殺意まで引っ込めるほど、間抜けではない。
「相変わらずのようだ。……どうだい、ツバキ? 君もアレキサンドラと一緒に、俺たちのパーティーに入らないかい? 君なら十分やっていけると思うのだけれども?」
「折角のお誘いだけど、遠慮するわ。私はサディストなの。神様王様気取りでいる男につくより、そいつが屈服した時の顔を見る方がそそるわ」
ペロリと、ツバキは唇を舌で舐める。
「そうかい。それは実に残念だ。……アレキサンドラ」
バロッサは視線をアレキサンドラに戻す。
「取引の話だが……良いだろう。君の要求を飲んでやる」
「ありがとうございます」
「なに。同じパーティーのよしみだ。気にするな」
バロッサから取引を了承して貰ったというのに、アレキサンドラはどこか浮かない顔をしていた。
「あのー……さっきから、ずっと言おうと思っていたんですが……勘違いしてません?」
「勘違い?」
「えぇ。私――バロッサさんのパーティーに戻るって、言いましたっけ?」
「――なっ!?」
自分を脅すどころか、パーティーへの誘いも断られる。それもツバキのような実力者ではなく、冒険者のいろはも知らないホワイトに、だ。
「ツバキさんじゃありませんけど、折角お誘いですが、お断りさせていただきます。私にはもう、パーティーメンバーがいますから」
「……それはそこにいる、ツバキのことかい?」
「えぇ、まぁ。ツバキさんもそうですね」
ツバキさん「も」。それを聞き逃すバロッサではない。
「ツバキもということは、他にもいるということかい? ……まさか」
ギルドで耳にするツバキの噂を考えれば、もう一人の存在なの想像に難くない。
アレキサンドラは「はい」と頷いた後、バロッサが最も聞きたくないであろう名前を口にした。
「ヤマトさんです」
――ヤマト。
その名前を耳にして、ギルドは今日一番のざわつきを見せた。
ツバキと繋がっていると言われていても、それはあくまで噂話。裏付けされているわけではない。
だったというのに……今この瞬間、一線を退いたはずの敗北者が、未だ冒険者稼業に勤しんでいる事実が発覚したのだ。
「パーティーメンバーはヤマトだ」という発言を受けて、バロッサは鼻で笑う。
「ヤマトはもうギルドにいないんだぞ? そんな奴と徒党を組んで、何の意味がある? それに知らないなら、教えてやるよ。あいつは敗北者だ」
「違いますよ」
アレキサンドラは、きっぱり言い張った。
だって彼には、敗北者なんかよりもっと相応しい名前があるのだから。
「ヤマトさんは、この世界で二番目に強い人です」
バロッサは、ピクッと眉を動かす。
アレキサンドラの隣では、ツバキが優しく微笑みながら彼女を見ていた。
「そしていずれあなたを超えて、最強になられる人なんです」
「――っ!!」
それは世界と呼ぶにはあまりにも矮小で。アレキサンドラ・ベル・エメラルドというたった一人の人間の中だけの話だけれども。
世界最強の男、バロッサはヤマトに負けた。
彼にとって、これ程の屈辱が他にあるだろうか?
コロス。
彼の頭によぎったのは、その三文字だった。
コロスコロスコロスコロスコロスコロス!!!
しかし殺意を面と向かって露わにするような真似をしない。あくまで穏やかに。善人ぶって。
「それは……残念だな」
気持ちを抑えるなんて、いつもやっていることじゃないか。
弱い犬程よく吠える。ホワイトの戯言なんて、気に留めるまでもない。なのにーー
(なぜこんなにもイラつくんだ? なぜこんなにもチラつくんだ?)
――メサイア!
かつて自身の前に立ちはだかった白き女神の姿が、頭から離れない。
「悩んだ末に決めたことなんだね?」
「……はい」
コロスコロスコロスコロスコロス!!!
「そうか……。なら俺は、アレキサンドラの意思を尊重するよ」
「……はい」
コロスコロスコロスコロスコロス!!!
「取引の件なら、心配しなくて良い。君が約束を守ってくれるのなら、俺から破棄することはない。……ヤマトにも、そう伝えておいてくれ」
「……はい。ありがとうございます」
コロスコロスコロスコロス……コロセ!!!!
「じゃあ、私はこれで」
ツバキと共に、立ち去ろうとするアレキサンドラ。
彼女たちが背中を向けた瞬間……バロッサは隣にいる魔術師だけに聞こえる声量で、まるで吐息でもするかのように吐き捨てた。
「やれ」
待っていましたと言うように、魔術師は杖を振るう。
杖の先端から放たれる炎の玉。
バロッサの言葉を信じきっていたアレキサンドラはもとより、もうこれ以上何もしてこないとタカをくくっていたツバキも、反応が遅れた。
「アレキサンドラ!」
叫ぶツバキの声か、それとも魔術師が放った炎の玉か。先にアレキサンドラに届いたのは……前者だった。
そもそも、炎の玉はアレキサンドラに触れてもいない。何故なら――和服に包まれた左手が、炎の玉を握り潰したのだから。
「おい……あれ……」
「嘘だろ……?」
野次馬たちは、口々に声を漏らす。敗北者ではない、『白銀の女騎士』におけるもう一人のプラチナの姿が、そこにはあった。
ヤマトさん、ヤマト、敗北者ヤマト、プラチナの男ヤマト……皆がその名を呟く。
その名前を呼んでいなかったのは、たった一人。バロッサだけだった。
自分の炎をいとも簡単に消したヤマトを、魔術師は睨みつける。
「おい……」と何か言おうとするバロッサを放っておき、ヤマトは振り返る。
「無事でよかった」
そう言って、アレキサンドラの頭を右手で撫でた。
「ヤマトさん……何で?」
「何で? お前が何も言わずに家を出たからだ。……あまり心配をさせるな」
相変わらずの、ぶっきらぼうな優しさ。
でもヤマトがギルドに来た理由なんて、本当はわかっていて。
心配をかけ、不安にさせ、そして二度と来たくないギルドに足を運ばせた。そんな自分が不甲斐なくて……。
だからこそ、わからなかったのだ。何で自分が――「嬉しい」と思っているのか。
(……ううん。その理由だって、わかっているはず)
自問自答を繰り返し、結局アレキサンドラが最後に声に出したのは「ごめんなさい」だった。
「……もう二度と謝罪は聞きたくないからな」
「……はい」
一頻りアレキサンドラとのやり取りを終えたヤマトは、続いてツバキの顔を見る。
ツバキに驚いた様子はなく、「やっぱり来た」というような、確かな信頼があった。
「遅いわよ」
「悪かった。……アレキサンドラを守ってくれたこと、感謝する。この通りだ」
「何で頭を下げるのよ? 私も仲間でしょうが。今すぐ上げないと、脳天踏み潰すわよ」
「……それは洒落にならないな」
ツッコミながら、ヤマトは頭を上げる。
「それに私は何もしていないわ。全部アレキサンドラがやってくれた。そして彼女を守ったのは……」
ツバキは心配そうに、ヤマトの左手を見る。
炎を握り潰したのだ。流石に無傷とはいかなかったようで。ヤマトの左手のひらは、大火傷を負っていた。
「大丈夫なの?」
「致命傷には遠く及ばない。いずれ治る」
「そういう心配ではないのだけれど……」
長年の付き合いであるツバキには、ヤマトが今何を考えているのかがわかっていた。それ故の心配なのだ。
「手はもう一つある」
「……そう。ならもう、何も言わないわ」
強引にツバキを言いくるめたヤマトは、ようやくバロッサを視界に入れる。
憎き敵にして、目標とすべき相手の姿が、そこにはあった。
「……一年ぶりだね、ヤマト」
「あぁ」
「息災だったかい?」
「どうだろうな? 少なくとも今、火傷を負っている」
左手をプラプラさせるヤマト。
「そういうところ、変わっていないね」
「今は何をしているんだい?」。旧友に会ったかのように、バロッサはヤマトに尋ねる。
誰がどう見ても、それは雑談で。一年前決闘という名の殺し合いをした者同士とは、おおよそ思えなかった。
「お前が救わない人間たちを救っている。……愛の名の下に」
「愛、か。愛の有無についてはこの際置いておくとして、俺の手の届かない人間たちの力になっていることは、素晴らしいと思うよ。大いに感謝する」
「感謝? 反省の間違いじゃないのか?」
「反省、か。手厳しいね……。そういうところも含めて、メサイアの意思を継いでいると言えるのかな?」
「!」
メサイアの名前が発せられ、ヤマトの手に力が入る。
怒りに任せて震える手を見たバロッサは、ニヤリと不敵な笑みを浮かべた。
「誤解しないで貰いたいのは、別に俺は貧しい人々を蔑ろにしているわけじゃないということさ。俺は多くの人たちを幸せにしたい。でも……遠く離れた土地までは、手が届かないんだ。ひとえに俺の力不足が原因だよ」
「詭弁は良い」
「詭弁じゃないさ。……自分自身を見つめ直すと、いつも思うんだ。辺境の人間まですくい取ろうとしたメサイアは、本当に凄い人間だったんだって。女神なんて……ぴったりの名前じゃないか」
「やめろ。お前がメサイアを褒めると……虫酸が走ってしょうがない」
ヤマトに忠告されても、バロッサはやめない。それが狙いなのだから。
「メサイアの爪の垢でも、煎じて飲みたいものだよ」
言った後で、わざとらしく、さも今思い出したかのように――核心を突いた。
「あっ、でももう死んでるんだっけ? じゃあ、無理だね」
「てめぇが殺したんだろうがっ!!」
我慢の限界だった。ヤマトは刀の柄に手を掛ける。
火傷なんて関係ない。ぶっ殺してやる。
プラチナの本気を止められるとしたら、それはプラチナの本気のみ。しかし当のプラチナが、ヤマトに狙われている。他の人間には、止めようがない。
……物理的には。
「ヤマトさん!」
アレキサンドラの声が、ヤマトの抜刀を止める。
「バロッサの……思うツボです」
「……」
アレキサンドラは実に冷静だった。故にヤマトも、冷静になった。
ヤマトは抜きかけた刀から、手を離す。
ヤマトから斬りかからせることで、彼を殺す大義名分を得ようとしたバロッサは、「チッ」と舌打ちをした。
「ありがとう、アレキサンドラ」
恩人に礼を述べたヤマトは、バロッサを睨む。
「汚いやり口だ」
「何のことだい? 俺は終始本当のことだけを言っていたつもりだが?」
バロッサの言う通り、虚偽はなかった。だからこそ、腹が立って仕方ないのだ。
「……そんなまどろっこしいことしなくても、俺を殺す機会なら与えてやる」
ヤマトは懐から、プラチナの駒を取り出した。その駒が証明するのは、彼が世界で二番目に強いという事実。
「今から俺と決闘しろ。俺が勝ったら、ギルドの改名申請を取り下げてもらう」
水泡と帰したヤマト殺害計画が、よもや向こうの方から提案してくるとは。バロッサからしたら、これ以上の笑い話はない。
「何だ? 俺の靴の味が、忘れられないのかい?」
「あぁ。あんな苦い味、忘れられるはずもない」
文字通り、苦渋だった。
「場所は?」
「噴水前の広場で良いだろう?」
「勝敗の判定は?」
「降参するか、或いは……死亡」
「良いだろう」
バロッサはヤマトの提案に頷いた。
「あの時と同じだね」
「いいや。今回は、俺が勝つ」
ヤマトは靴舐めから始まった敗北者の逃亡劇に、「さようなら」を告げるのだった。