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アレキサンドラ・ベル・エメラルド

 かつて最強と言われたその女騎士は、日頃からこう口にしていた。

「この世で最も強い力とは、誰かを思う力。それすなわち愛である」、と。


 彼女は自身の言葉を体現するかのように、世界を愛した。仲間を愛した。敵すらも愛した。そして――夫には、他の誰よりも強く深い愛を注いだ。


 世界最強でありながら、世界最恐でありながら、世界で最も皆を愛し皆から愛される女。しかし……彼女はもうこの世にはいない。


 彼女は負けたのだ。

 誰かを愛することも、誰かを信じることもしようともしない、そんな男に負けて、殺されたのだ。


 世界最強の女と、正反対の思想を持った男が新たな最強になった。その事実は、他ならぬ彼女の主張の否定を意味していて。偽りを意味していて。


 人々はその日を境に一転、口々にこう唱えるようになった。

「この世で最も強い力とは、孤高の強さである」、と。


 変わりゆく情勢の中でも、彼女は依然として己の思想を変えることはなかった。

 馬鹿にされても、異端者と罵られても、それでも彼女は愛の素晴らしさを説いていた。

 そして死の間際――彼女は何度も何度もこう呟いていたという。

「あれは強さじゃない。ただの暴力だ」

 息絶える直前、夫に最期の願いを託すのだった。

 

「いつか必ず、最強の座を奪い返して。あの男の全てを……否定して」

 

 亡き妻との約束のために、夫は今日も剣を振るい続ける。

 世界平和もクソも関係ない。最強の男になるためだけに――。

 


 ◇


 

【名前】 アレキサンドラ・ベル・エメラルド

【性別】 女

【年齢】 16歳

【職業】 騎士

【レベル】 1

【武器】 ギルドに着くまでの道中、叩き売りで購入した安物の剣

 

「あの……どうですか、ね?」


 記入した自分の初期ステータスに一抹の不安を覚えながら、黒髪の少女、アレキサンドラは言った。


 相手はギルドの窓口兼面接官という役割を担っている、受付嬢。クエストカウンターから一歩も動かずして数多のギルド構成員の精神を亡き者とする、陰の処刑人と言われる人物だ。


「……」


 受付嬢はアレキサンドラの質問に答えることなく、じーっと彼女の記入した紙、所謂履歴書のようなものを凝視し続けていた。


 チクタク、チクタク……。ギルドの中央に設置されている大時計の音だけが、二人の空間に響く。

 受付嬢の返答を待つ間、アレキサンドラは終始ビクついていた。


(うぅ……。断られたら、どうしよう……)


 アレキサンドラは幼少期から、純粋で小心者で、心優しすぎる女の子だった。


 誰かに悪口を言われればすぐに傷つくし、小動物が茂みから飛び出してきただけで腰を抜かしてしまう。そして何より、蟻一匹すら殺せぬほどの優しさを持っていた。


 しかしアレキサンドラの育った村の子供というのは、人が嫌がることほどやりたがるようなろくでもなしの集まりで。

 彼女にナイフを持たせては、罠にかかったネズミを殺すよう催促したり。夕食作りと称して、生きているニワトリの解体からやらせてみたり。

 その都度アレキサンドラは、泣き喚いて、弱虫だと言われて、大人たちに助けられて。そうやって生きてきた。


 しかしあるとき、皮肉なことに、アレキサンドラに騎士としての才能があることがわかった。


 騎士というのは選ばれた人間だけが名乗ることの出来る称号であり、有名な騎士の出身地というだけで、莫大な経済効果を生む。

 卑しい大人たちの大半は、騎士によって生じる利益を我が物としたいわけで。ましてやアレキサンドラの育った村では、騎士が輩出されるなんて初めてのことだった。


「君は絶対に騎士になるべきだ。いや、騎士になるために生まれてきたんだ」


 村の大人たちにそう勧められ、言われるがままにギルド加入の面接を受けていた。

 勿論純真無垢な彼女が、大人たちの思惑など知る由もないのだが。


 面接が始まって、早五分。まだギルドに入ってすらいないのに、アレキサンドラは既に魔王を前にしているような緊張感だった。


「あの……」


 依然として無言の受付嬢。

 アレキサンドラは勇気を振り絞って声を掛けるも、大時計のゴーンという音に掻き消されてしまう。


 それはまるで、無機物にすら彼女の加入を拒絶されているような感じであった。


 王国最大にして、王都唯一のギルド『白銀の女騎士』。


 田舎の村に住んでいたこともあり、ギルドの名称や所在地や数など大して知らず、辛うじて耳にしたことのあるギルドへ足を運んだわけだったが……流石に王国一のギルドは、身の程を知らなすぎただろうか? だって自分は、大時計に負けてしまうようなちっぽけな存在なのだから。

 アレキサンドラは、そんなことを考えていた。


 大時計が鳴り終わり、ギルド内は再び騒がしさを取り戻し始める。

 アレキサンドラはそれに乗じるように、「どっ、どうですか……?」と尋ねた。


 受付嬢は履歴書をカウンターの上に置くと、アレキサンドラの顔写真に被さるように、判子を押す。


『加入』と、そう印字された判子を。


 その後受付嬢は、見せつけるように履歴書をアレキサンドラに向けながら、


「アレキサンドラ・ベル・エメラルドさん、おめでとうございます! これであなたも、我らが『白銀の女騎士』の一員となりました!」

「は、はぁ」


 単調というか、覇気がないというか。アレキサンドラは、気の抜けたような声で返す。


「そしてようこそ! 王国一と謳われるこのギルドで、存分に力を発揮して下さい!」


「差し当たりましては――」。受付嬢は履歴書をしまうと、代わりにチェスの『騎士』が形取られた、白い駒をアレキサンドラに差し出した。


「これは……?」

「このギルドのメンバーである証明と同時に、あなた自身のランクを指標する重要なアイテムとなっております。ネックレス状にして首に提げても良いし、キーホルダーとして腰に付けても構いません。必ず持ち歩くようにしていて下さい」


 受付嬢は駒をアレキサンドラに手渡す。


「あっ、ありがとうございます」

「ギルドメンバーの中には、愛用の防具に埋め込む方なんかもいらっしゃいます。アレキサンドラさんは騎士なので、鎧の胸の部分に埋め込んだりすると、存外様になるのではありませんか?」

「そう……ですかね?」


 受付嬢に褒められ、アレキサンドラは照れを隠せないでいた。


 生まれてこの方、アレキサンドラはネックレスや指輪といった装飾品を身につけたことがなかった。

 憧れや興味がなかったわけじゃない。小さい頃なら兎も角、妙齢の年になってくれば、宝石店の前を通る度に「いいなぁ」と自然に目がいってしまうこともあった。


 ただ気の小さい彼女は、そういうものを買いに行ったり、付けて村中を歩き回る勇気がなかっただけなのだ。

 だからこれからは合法的に、いや、強制的に付けていられるのだと思うと、自然と彼女の胸も踊ってしまう。


「その駒について、詳しく説明を致しますね。先程も言ったとおり、その駒はあなたがギルドに加入している証明となるのと同時に、あなたの実力が第三者の目からもわかるようになっています」


 受付嬢は指を開き、5という数字を表わす。


「ランクは全部で5段階。プラチナ、ゴールド、シルバー、ブロンズ、そしてホワイト。それぞれのランクの名称が駒の色となって表現されており、ギルドの皆様には自らのランクに準じたクエストを受けて頂いております」


 アレキサンドラの駒の色は、白。当たり前のことだが、最低ランクというわけだ。


「試しに」と、受付嬢はアレキサンドラが来るまで処理していた二種類のクエストを取り出す。


「こちらの『野ウサギ、30匹捕獲』というクエストには、『WHITE』という判子が押されているでしょう? これはホワイト以上のギルドメンバーなら、つまり誰でも受注できるというわけです。一方……」


 受付嬢は、もう一つのクエストに目を向ける。


「『東の森、ケルベロスの討伐』。こちらには『GOLD』の判子が押されているので、プラチナとゴールドのメンバーのみが受注可能となっております。……まぁ実際の規則事態はそこまで厳しくなく、パーティーに一人でもゴールド以上がいればこのクエストを受けられるのですが……実力差もありますし、あまりオススメしません。自分と同じホワイトのメンバーとパーティーを組み、切磋琢磨しながら力を付けていくのが良いでしょう」


 説明を受けたアレキサンドラは、クエストボードを一瞥する。


 少し離れた位置にあるため、はっきりとはわからなかったのだが……パッと見た感じ、『SILVER』の判子を押されたクエストが多そうだった。つまりこのギルドには、シルバーランクの人間が多いということなのだろう。


「他に何か、わからないことはありますか?」

「えっ、はい、えーと……」


 今まで教えて貰ったことを思い返しながら、疑問点がなかったかアレキサンドラは考える。……特に何もなかった。


 そんなアレキサンドラの心中を察したのか、受付嬢は苦笑を浮かべる。


「まぁ、右も左もわからない状態で「何か質問はありますか?」なんて聞かれても、困っちゃいますよね? 私はいつでもここにいますので、これから活動を続けていく中で何か疑問に直面しましたら、遠慮なく声を掛けて下さい」

「! はい!」


「最後に!」。受付嬢は背筋をピンと伸ばし、アレキサンドラを真っ直ぐ見据える。

 それにつられて、アレキサンドラもその場で気をつけをし直した。


「このギルドの名称、『白銀の女騎士』というのは、かつて実在した女騎士が由来となっています。最強と謳われ、愛のためにその力を振るい続けた、一人の女騎士が。同じギルドの一員として、同じ騎士として、あなたにもその加護があらんことを」

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