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葵夜叉短編集

水無月ノ巻 葵夜叉

作者: 藤波真夏

藤波真夏です。

諸事情ありまして削除し、新しく投稿し直しました。

最後まで読んでいただければ幸いです。


「父上がお亡くなりになった」

 その知らせは突如として家族へ舞い込んできた。

 その知らせを聞いて亡くなった男性の妻である・時姫ときひめは泣き崩れた。時姫の目の前にいるのは、二人の幼い子供達。

「母上…。父上が…まさか…」

いち。まことですよ」

 一と呼ばれた少女・一姫も目に涙を湛えた。

 その隣に立つ、幼い少年は一姫の弟・籍王せきおうであるが、涙を湛える姉の姿を見上げて見た。

 幼い籍王の中でふつふつと煮えたぎる謎の感情。そして、それに追い打ちをかけるかのように強い激情が襲いかかる。

 気づいた時には言葉を発していた。

「ちちうえのかたきは…籍王がとる」

 それを聞いた時姫は目を見開いて籍王に詰め寄った。

「籍王! 愚かなことを言うものではありません!」

「母上! 籍王の気持ちはわかります! これ以上責めないでください!」

 一姫は籍王をかばったのだった。

 しかし、父が殺されたことには変わりない。時姫がいなくなった後、二人きりになった一姫と籍王は誓い合った。

「あねうえ。籍王はちちうえのかたきをとります! かならず!」

「私も協力します。籍王、この約束は必ず果たしましょう」

「はい!」

 一姫数え年で十歳、籍王数え年で五歳の時だった。





 時は戦の世。

 まだまだ世の中が戦で溢れていた戦乱の世。

 一姫と籍王の父・工藤成哉くどうなりすけは、武勇に優れ家族を大切にする立派な武士だった。しかし、工藤家の御家騒動に巻き込まれ、彼の従兄弟である工藤頼忠くどうよりただの放った矢をその身に受けて、この世を去った。

 成哉が死ねば、正式な跡継ぎは頼忠になるからだ。

 成哉の妻・時姫と子供である一姫と籍王は、父を喪った者を工藤家に置いておくわけにはいかないという、頼忠の鶴の一声で工藤家を追い出されることになった。

 時姫は今後、子供達に危害を及ぼすのではないか、と懸念しある手段を講じて子供たちを守る決心をする。

 姉である一姫は時姫の親戚に預けられ、弟の籍王は寺へ預けられた。特に籍王は成哉の血を受け継ぐ子で、命の危機にさらされる危機が高い。そこで、寺に預けいずれは僧になると周囲に思わせることで守ろうとしたのだった。

 そして仏の教えに触れることで、幼心に芽生えた復讐心を消してくれるのではないかと、期待もしていた。

 籍王は寺で雑用をしながら日々の徒然を思いながら、時は流れ、十年の時が経過した。

 籍王は十五歳となり、元服を迎えようとしていた。しかし、時姫が期待していた復讐心は消失することはなく、むしろ、高まりをあげていた。仏の前で静かに手を合わせ坐禅を組んでいても、感情を押し殺せなかった。

 籍王は住職に隠れて、剣術の稽古に励んだ。すべては家族の幸せを奪った復讐のためだ。そんな感情の波と戦いながら、籍王は思うのだった。

「阿弥陀如来様。この気持ちを消せなかった私をどうぞお許しください」

 神聖な阿弥陀如来の前で、籍王は静かに呟いたのであった。

 何よりも籍王が懸念したのは、十年前に生き別れた姉・一姫のことだった。一姫はすでに二十歳を迎えている。五歳の時に籍王は一姫と別れたが、当時の記憶力では顔もうろ覚えで、記憶は鮮明ではない。

 籍王は修行を終え、寺を出ることになった。

 籍王は錫杖を持ち、傘を乗せて寺を出て行くことになった。向かう場所は母・時姫が暮らしている屋敷。屋敷の中には美しい立葵の花が蕾になっている。それを見て籍王は朧げな記憶を思い出していく。まだ幼い頃、籍王は姉の一姫から葵の花をもらった。とても美しいその花は籍王にとっては家族の幸せの象徴だった。そんな立葵の蕾を横目に、籍王は進んで行く。屋敷に通された籍王の前には母・時姫と見知らぬ男性が座っていた。

「あの…母上…」

「そうですね。お前にはまだ話していませんでしたね。こちらにおわしますのは駿河するが殿です。あなたの新しい父上です」

 時姫の隣の男性に籍王は目を移す。そこには成哉よりは威厳はないももの、とても優しそうな眼差しを向ける男だった。

 駿河は時姫の再婚相手だが、初対面の籍王にも優しい印象を与えた。籍王も次第に駿河を受け入れ始めるのだった。

「籍王の元服をここで執り行ないたいのですがよいですか?」

 時姫の提案に籍王は謹んでお受けします、と頭を下げた。五歳の籍王が立派な若者になっていることに、時姫は感慨深かった。

 すると時姫は声をかけた。

「お前に会わせたい人がいますよ。なり

 時姫が名前を呼んだ。すると部屋の中に美しい女性が入ってきた。その姿に籍王の心が打ち鳴った。その美しさに目が釘付けになる。

「籍王。久しいわね」

「え? 私の名をご存知なんですか?」

 籍王の反応に驚きつつも、成姫は笑った。

「まだあなたは幼かったから。覚えてないのも無理はない」

 成姫は籍王の手に触れた。着物の袖から覗く糸のように細い指先、雪のように白い肌。美しい手が男らしい筋肉質の手を持つ、籍王に触れた。

「一ですよ、籍王」

「一…。まさか…姉上?」

「立派になりましたね、籍王」

 成姫こそ、籍王の姉・一姫だった。

 一姫は親戚に預けられ、姫としての教育を一身に受けた。その教育の賜物か一姫は、玉のように美しい姫に成長した。そして彼女も大人の女性の仲間入りをして、名前を一姫から成姫へと名前を改めたのだった。

「こんなに美しい娘御にご立派なご子息。あなたは素敵な宝物をお持ちだ」

「はい。目に入れても痛くないほどに大切な子供たちです」

 時姫は愛おしそうに成姫と籍王を見つめていた。

 そして籍王は駿河邸で元服の儀を執り行った。

 籍王は幼名に別れを告げて、新しい名前を得た。本来は工藤の血を引くが、時姫が駿河氏と再婚した影響で、駿河の姓を名乗ることとなった。

 駿河時宗するがときむね

 籍王改め時宗は初々しい武士の装束に身を包んで成姫を見つめ続けた。成姫を見ると高鳴る胸の音。十年後の姉弟の再会は、衝撃のものとなったのだった。





 元服より数ヶ月後のことだ。

 時宗は駿河氏の屋敷で過ごしていた。しかし、心の中に燃え上がる復讐心が消えることはなく、毎日剣術の鍛錬に明け暮れていた。その様子を成姫は見守っていたが、成姫も十年ぶりに再会した弟に平静を装っていたが、実際は戸惑っていた。

 最後に会ったのはまだあどけない可愛い童子だった。しかし、今は筋肉質の体を持つ、男の姿になっていた。

「姉上!」

「なんですか?」

「あの時の誓いを覚えておいでですか?」

 時宗の言葉に対し、成姫は静かに笑った。

「忘れるわけがありません。私たち家族の幸せを奪ったあの男を…この十年間、忘れたことはありません」

「姉上。まさに今です! 工藤家へ復讐を果たすことだけを考えて今日まで生きてまいりました」

 時宗は刀を地面に突き刺して、成姫のもとへ向かう。成姫に対し膝をつき、礼儀を尽くすと時宗は言った。

「駿河時宗。必ずや、姉上との誓いを果たしてみせましょう」

「時宗。仇討ちをするということは、極刑に処されても良いという覚悟はできているのですか?」

「はい。覚悟はとうにできております」

 時宗は成姫に覚悟を示した。すると、成姫は立ち上がり、時宗のそばへ寄った。

 香しいお香の香り。華やかな着物が擦れる音。手を包む雪のように白く細い指。ほんのり感じる温もり。

「では、私もあなたの覚悟に矜持を示して今後は振舞いましょう。私が、仇討ちの手助けをいたしましょう」

 成姫の言葉に時宗は「ははーっ!」と頭を下げた。

 翌日のことだった。

 とある屋敷の前に成姫と時宗は立っていた。その屋敷の主人は工藤頼忠だ。姉弟の父・工藤成哉を殺した張本人だった。工藤家を追われた二人がどうして工藤の屋敷にいるのかというと、成姫が預けられていた時姫の親戚が工藤家と親しい。工藤家から見目麗しい娘御がいないかと聞かれ、成姫に白羽の矢が立ったのだ。

 成姫はこれぞ好機とばかりに承諾し、成姫の護衛役として弟の時宗も同行することになったのだった。

 あくまで姫と護衛。姉弟と悟られないように接する。

 工藤家の屋敷に入るとそこには、武士のお歴々が並んでいた。

「待っておったぞ。お前が例の…」

「成と申します。工藤様のお屋敷にお招きいただけるなど恐悦至極にございます」

 頼忠を前に成姫は口を動かす。心の底から思ってもいない虚実の言葉を、吐いた。そして下げたくもない頭を下げた。

「そこに控えるのは?」

「護衛役を務めています、駿河時宗と申します」

 頼忠の興味は成姫の後ろに控える時宗へと注がれる。時宗は燃えたぎる復讐心に蓋をして頭をさげる。

 しばらくすると宴会が始まった。成姫はお歴々に酒を注いでいく。時宗は大騒ぎしている部屋の外で控えている。すると、頼忠が成姫の姿をずっと追っているように時宗には見えた。


 虫酸が走る。姉上をジロジロと…。


 胸騒ぎを覚えながらも宴会は終わった。

「成よ。また我が屋敷へ来るがいい。今度は我が肉体の味でも教えてしんぜよう」

 それを聞いた時宗は何かの糸が外れたかのように二人の間に割って入る。

「姫は気高く美しいお方! あなたのような者が手を出して良いお方ではない!」

 時宗の発言に驚いたのは他でもない成姫だったが、頼忠が逆上し、時宗の胸ぐらをつかんだ。

「駿河時宗と言ったな。お前は所詮護衛役。我らの事情に首を突っ込むでない!」

 時宗は頼忠をギラリと睨みつけて屋敷を後にした。成姫が時宗を追って歩き出すと、頼忠が成姫の手を握る。

「成。あのような者は護衛役に似合わぬ。もう少し器量の大きい者に護衛を頼むと良い。また参られよ。その時は、我が優しくしようぞ」

 成姫は頼忠を見上げて軽く会釈をした。そして、屋敷を後にした。

 成姫は先に出た時宗を見つけ、声をかけた。

「時宗」

「…」

 成姫が話しかけても時宗は返事をしなかった。成姫は頼忠に言われたことを気にしてしまっているのだろうと思った。成姫が時宗の肩に触れた瞬間、成姫は時宗の腕の中にいた。

「…姉上があの男に犯されると考えると、腸が煮えくりかえりそうです」

「時宗…。何を言っているのです?」

「姉上をあの男のいいようにさせてたまるか。愛しの姉上を…渡してなるものか…。姉上は…、私のものだ…」

 時宗は呪縛にも似た呪いの言葉を呟いた。それを聞いた成姫は目を見開いていた。

 成姫は時宗に言い聞かせた。仇討ちを果たすためなら、どんなに泥臭く薄汚く穢れても片棒をかつげるなら本望だと。刀を持てぬ女が唯一拮抗できるのは、このようなことだからと。

 時宗は成姫の言葉を受け入れたのかどうか分からなかった。何も言わずに二人は駿河邸へ戻ったのだった。





 水無月。時宗は悶々としていた。

 成姫が時宗を置いて工藤邸へ出入りしていることだ。時宗は頼忠と一悶着あった関係で、成姫が気を遣ったのだろう。時宗の頭の中に浮かぶのは、成姫の優しい顔と艶かしいほどに綺麗な顔、そして真っ赤な紅を引いた唇。烏の濡れ羽色の長い髪の毛。

 男が欲情する要素など、彼女には山ほどある。

 そして時宗自身も…その男の一人だ。十年前のつぎはぎだらけの記憶から飛び出した成姫は、時宗が惚れるのは必然だったかもしれない。

「…」

 時宗は頭を抱えていた。そして思うのは、「早く帰ってきて」ということだった。

 成姫が戻り、時宗の部屋へやってきた。

「時宗」

「…?!」

「そんな深刻な顔をしないでください。時宗がいなくて、心細かったですよ。工藤家には恨みしかありませんからね。時宗がいてくれたら、ってどんなに思ったか…」

 成姫が話しかけると時宗が顔をうつむかせた。いつもなら食らいついて話を聞いてくれる時宗の様子がおかしい。成姫は時宗の肩に触れようとした。

 すると時宗が顔を上げた。そこには顔を紅潮させて何かを我慢している時宗の姿があった。明らかに様子がおかしい。成姫は時宗に体調を聞こうとした次の瞬間だった。

 時宗の手が成姫の手首を掴んで、成姫を組み敷いた。突発的な展開に成姫も思考が追いつかず、行動ができなくなってしまう。冷たい畳の上に組み敷かれた成姫は時宗に言った。

「何をするのです?!」

「…」

「え? 聞こえません! はっきり申せ!」

「…汚らわしい。あの男に組み敷かれ、穢されるところなど見たくない! 穢すのは、私がいい!」

「時宗! お前が今、愚行に及んでいることを自覚しているのですか?! 私たちは血を分けた姉弟! 天の摂理に反する! 今すぐ離れるのです!」

 成姫の忠告と叱咤に時宗が黙りこくる。しかし、その叱咤は時宗の心に響くどころか、逆に彼を欲情させ、その気にさせてしまう。時宗は自分がどれだけ天の摂理に反する、愚行をしているかなど十分に理解しているつもりだった。

「…愚かな弟をどうかお許しください。十年前の純粋無垢な籍王は…もういないのです。あなたの目の前にいるのは…あなたに恋焦がれる一人の男でしかない…。大人になった姉上を見た時…胸が高鳴りました。しかし、あなたの口から一であると聞かされた時、どれだけ驚き、どれだけ絶望したか…!」

「時宗…! やめっ…!」

 成姫の抵抗は虚しく時宗に阻まれる。成姫は思った。どこで道を違えてしまったのか。今、弟は自分を犯そうとしている。天の摂理に反するこの行動を、姉として阻み、説法しなくてはいけない。

 成姫の着物がはだけ、真っ白な傷一つない肌が露出する。時宗は思っていた。指が綺麗なら、着物で覆い隠した部分はきっともっと清らかだと。時宗の息が成姫の首筋にあたり、むず痒くなって体をよじる。その瞬間に、成姫の乙女の象徴が動いた。

 すかさず時宗が触れた。

 自分の体がどうにでもなってしまっているこの現実に成姫は目を背いた。目からは大粒の涙が溢れ、顔が紅潮する。

 時宗は激しく、成姫の体を求め始める。成姫はたくましい腕に包まれる。熱い肌が触れ合うと、成姫は自然に時宗に体を委ねていた。そして小さく呟いた。

「…籍王」

 時宗はその言葉を聞いて、激しく成姫の息を奪った。酸素を求めて悶える成姫を逃すまいと腕に閉じ込めて、酸素を吸わせまいと息を奪い続ける。成姫が酸素を求めて息を枯らすと、時宗が成姫の髪に優しく触れて呟いた。

「…どうしてあなたは私の姉なんだ。私はもう夜叉だ。天の摂理に背いた夜叉だ。もう、人の道を踏み外した夜叉だ」

「ならば…私も夜叉の道を歩みましょう。この秘密は決して誰にも明かすことなく、逢瀬を重ね、地獄の業火に焼かれましょう…」

 夜叉。

 人の血肉を食らう半神半鬼の化け物だ。人の道を外れた化け物と化した成姫と時宗は、時間を忘れ互いを求め続けた。夜叉になって互いを貪り食う。汗が噴き出して、噛んだ跡からは血が滲んだ。汗も、血も、艶やかな露すらも愛おしくて、たまらない。汗も、血も…露も、貪る。

 まるで血肉を求める夜叉の如く。

 地獄の業火に焼かれる運命を受け入れながら、二人は互いを求め続けるのであった。





 朝になった。

 時宗が目を覚ますと隣には一糸まとわぬ姿で静かに寝ている成姫の姿があった。まさに、太陽も嫉妬するほどの美しい寝顔をしていた。すると、成姫がゆっくりと目を開ける。時宗は、成姫を胸に掻き抱いた。

 その瞬間、成姫の体が軋みだす。顔をしかめたがすぐに元の表情に戻った。体の中にある体液が動く感覚がした。成姫は体を締め付けて時宗にすがった。成姫の行動に時宗は、心配そうに聞いた。

「…痛かったですか?」

 互いを求め合っている時は、痛いのは最初だけ。その後は快感に様変わりする。成姫は締め付けをやめないまま時宗に言った。

「大丈夫…ですよ。気にしないでください」

 時宗はそうですか…と言った。成姫は時宗の胸の中で言った。工藤頼忠の首を取るのは、近いと。成姫は布団の中で時宗に情報を流した。

 頼忠は明日、巻狩りを行う。頼忠が巻狩りの際に一人になったところを狙い打つというものだった。当日は成姫も見学に向かう。その際、時宗を護衛役に伴い、頼忠を油断させるというのだ。油断した隙に時宗が刃を向けるという算段だった。時宗は話を聞いて、巻狩りに参加すると成姫に言った。

「もしもの時は…」

「私もあなたの後を追いかけましょう。あなたのいない世界に生きていても嬉しくはない。それに…私は夜叉に身を堕とした。この体はお前しか知らない。他の男に犯されるくらいならば…私は死を選ぶ」

「…我らの悲願は目の前です」

 時宗は強い覚悟を持って言った。

 そして運命の巻狩りの日。今日が最期の日になると確信した成姫と時宗は美しく着飾った。母である時姫に晴れ姿を見てもらうためだ。時姫に挨拶に向かい、時宗は開口一番に言った。

「私、駿河時宗は父上の仇である工藤頼忠を討ちます。仇討ちをお許しくださいませ!」

「…何ですって」

「母上。それは私も同じでございます。時宗の悲願を達成するため、私、成もこの仇討ちに参加いたします。仇討ちをすれば…待っているのは死あるのみ。これが、今生の別れとなりましょう。母上、最期にお顔をお見せくださいませ」

 姉弟の口から出た「仇討ち」という言葉。それに時姫は言葉を失った。子供の頃の復讐心は忘れることなく、ふつふつと燃え上がっていた。すると時姫は「なりません!」と拒否を吐いた。

 理由を聞く時宗に時姫は愛する娘と息子をおめおめ死なせに行かせる母親がどこにいるのですか?! と激昂した。しかし、時宗と成姫にとって仇討ちは悲願だった。必ず成しとげなければならないものだった。時宗は時姫に激昂したが、それを成姫がなだめた。

「仇討ちがしたいと申すならば、あなたたちを勘当します! もう好きなところへおゆきなさい!」

「母上! 私たち姉弟が会えるのは、これが最期! どうかお顔を…」

 成姫が時姫のそばにより、最期の願いを伝える。しかし、時姫は一切振り向くことなく、部屋を後にしてしまった。成姫の時姫を呼ぶ声が屋敷中に響き渡る。しかし、その願いは虚しく、成姫は畳に額を擦り付けて泣いた。

 それを時宗が優しく包み込んだ。二人は顔を見合い、部屋を出る。そして、仇討ちを果たすため駿河邸を後にする。もう二度と戻れない我が家と愛しい母に想いを馳せて、二人は馬に乗り、巻狩りへと向かったのだった。

 遠ざかる馬の蹄の音に、時姫は涙を湛えていた。愛おしい我が子があの世へ逝ってしまう。時姫は一人手を合わせて祈り続けるのであった。

 二人は定刻通り、巻狩りの会場へとたどり着いた。

 二人は馬から降りて頼忠へ謁見する。成姫が連れてきた護衛役の時宗に、少々納得しない顔をしていたがまあよしとしようとあまり追求はしなかった。

 成姫は頼忠のそばに配置し、護衛役の時宗は巻狩りへの参加を命じられた。

「では各々方! 始めようか!」

 頼忠が雄叫びをあげると、男たちが駆け出した。時宗も走り出す。地面が激しく揺れて踏み荒らされる。動物たちの声が聞こえ、巻狩りの本格化が告げる。そして、頼忠が立ち上がる。

「成。私も行って参る」

「大物を期待しておりますわ」

「待っていろ。お前があっと驚くほどの大物を仕留めてごらんにいれよう!」

 頼忠は意気揚々と成姫の元を離れ、巻狩りへ参戦していった。それを見届けた成姫はすかさず、動き出す。たくさん来ていた着物を脱ぎ捨て小袖になり、腕にば籠手を巻き、袖をまくる。そして、胸には短刀を忍ばせてその場を後にする。

 誰にも気づかれないように成姫も男たちがひしめく巻狩り会場へ向かう。愛しい弟・時宗と合流するために---。

 時宗は探っていた。頼忠が一人になる瞬間を。時宗は木々に身を隠し、頼忠の姿を探した。すると頼忠を発見し、時宗が飛び出した。

 襲撃に頼忠は驚いて引いた。時宗は刀の切っ先を頼忠に向けて、睨みつけた。

「お前は駿河時宗! 何をする!」

「我が名は駿河時宗! 我が父・工藤成哉の仇討ちに参った! 覚悟するのだ!」

「工藤成哉だと…。まさか…! 籍王?!」

 頼忠は時宗の幼名を叫んだ。親の仇を討つために巻狩りへ潜り込んだのだと。頼忠も刀を抜いて時宗に襲いかかる。時宗と頼忠の腕は互角。刀がぶつかる音が周囲に響き渡る。激しいぶつかり合いに火花が飛び散る。

 頼忠は時宗に力で押され、一旦撤退を余儀なくされ、その後を時宗が追いかける。頼忠は息を切らしながら大岩の中へと隠れる。

「籍王め…。謀反など愚かなことを…」

 頼忠は大岩から顔を出して周囲を見渡す。時宗はいなかった。時宗を撒いたと思い、大岩から飛び出すと、目の前には自陣で待っているはずの成姫が立っていた。見知った顔を見て頼忠は無防備に近くに寄る。

「成! どうしてここにいるのだ?! 自陣にいたのではないのか?!」

「申し訳ありません。待っているのも退屈なので…私も近くに行こうと…」

「そ、そうかそうか! そういえば…、籍、いや、お前の護衛役が謀反を犯したのだ!」

「まあ、謀反でございますか?」

「そうじゃ! あやつの正体は籍王と言ってな、父の仇を取るなどと…」

「…そうですね。父の仇でございますか。では…」

 成姫はニヤリと笑い、懐から短刀を抜き頼忠に切っ先を向けた。成姫の行動に頼忠は言葉を失った。美しい姫がまるで汚物を見るような眼差しで短刀を突きつけている。

 頼忠は成姫に何をしている?! と慌てる。成姫は静かに笑い、じりじりと近づいていく。

「我が名は駿河成。またの名を一。籍王の姉だ。我が父の仇、今果たす!」

 頼忠は震え上がった。愛しく美しい成姫は、籍王の姉であり、工藤成哉の娘であるということ。彼女もまた、自分を殺そうとしていると。すると時宗が成姫に気づいた。

 時宗が成姫と合流し、二人が背中合わせで刃を頼忠へ向ける。

 頼忠は姉弟に刃を向ける。頼忠がまず狙ったのは、短刀を持っている成姫だった。女であるために腕の力だけでは男に劣る。まずは、彼女を始末しようと考えて刃を向けた。

 成姫は必死に短刀で、頼忠の長い太刀を受け止める。

「姉上に触れるな!」

 時宗が頼忠の太刀をはじき返した。成姫に駆け寄り、彼女の肩を強く抱いた。太刀を受け止めていた影響で成姫の手は赤く腫れた。その様子を見た頼忠は違和感を覚えた。たとえ絆の強い姉弟であることは変わりないが、なぜか違和感を感じる。

 その違和感の正体はすぐに晴れた。時宗が腫れた成姫の手に口づけをしたのだった。そして、成姫も時宗の手に触れて、優しく口付けた。それを見た頼忠は大きな声で笑う。その声に反応して姉弟は頼忠を睨みつける。

「そうかそうか! お前たちはそのような関係か! 神や仏に背いて夜叉になりよったか! 地獄の業火に焼かれる夜叉共め!」

「神にも仏にも嫌われようが知らない。この仇討ちが達成できれば本望! 私は…我が弟・駿河時宗の肉体に酔いしれ、その身に快楽を背負った夜叉じゃ!」

「我ら姉弟は神に背いた夜叉だ。人間に戻る気は毛頭ござらん!」

 三人は激しくぶつかり合った。すると頼忠は成姫の体が揺れた瞬間を狙い、彼女を斬りつけた。小袖は真っ赤な鮮血に染まり、成姫の体がぐらりと揺れて地面に叩きつけられた。

「姉上! 貴様!」

 時宗が逆上し、頼忠を斬りつけるが、頼忠が一枚上手だった。時宗も斬りつけられ、地面に叩きつけられた。

「時宗!」

 成姫の声が轟く。時宗は成姫を守ろうとしてなんとか動こうとするが、時宗に追い打ちをかけるように斬りつけていく。成姫は持っていた短刀をしっかりと持ち、なんとか立ち上がり、雄叫びを上げながら駆ける。短刀は頼忠の背中にぐさりと刺さった。

 刺した場所からは鮮血が飛び散り、頼忠の動きが止まる。成姫はその短刀を動かす。成姫は雄叫びをあげた。それはもはや人間の叫び声ではない。怒りと恨みに満ちた狂気の声。まさに、夜叉の叫び声だった。短刀の刃が頼忠の骨と肉を切断していく生々しい音が聞こえてくる。その音を聞くたびに、成姫は悦びの笑みを浮かべていた。そして、頼忠の動きが完全に止まったのを見計らった成姫が叫んだ。

「時宗! 今です!」

「工藤頼忠! 父の仇! お命、頂戴致す!」

 時宗が太刀を振りかざし、頼忠に袈裟斬りで最期の止めをさす。真っ赤な血が周囲に飛び散り、紅に染まった。まさに、あの世の彼岸花を彷彿とさせるほど凄惨な現場になった。頼忠は絶命し、その場に倒れこんだ。

 絶命したのを確認した時宗は力が抜けてその場にへたり込んだ。そして、這って倒れている成姫の元へと向かう。

「…姉上! 姉上!」

「…時宗! 時宗!」

 互いを呼び続けるが、成姫がゲホッと咳をし喀血した。大量の血が溢れている。成姫は悟った。命の灯火が燃え尽きると。成姫は仰向けになり天を仰ぎ、笑った。

「時宗! 父上の仇を取れました! こんな嬉しいことはありません…!」

「姉上! お待ちください! まだお逝きになるのは…!」

「唯一の心残りは…お前が弟であったということです。私は…あなたを好いています。弟ではなく、一人の男として…。なぜ、神は私たちを血の繋がる姉弟として産み落としたのでしょうか…」

 成姫の言葉に時宗は嬉しくて仕方なかった。時宗が最初は成姫の全てを犯したはずだった。しかし、成姫は時宗に抱かれて愛されることを望んだことだった。時宗は涙を流しながら笑った。

 そして叫んだ。私も同じだ、と。成姫と時宗は手を必死に伸ばした。指先が触れて、手のひら、腕、肩とだんだん近づいていく。血に濡れて、躰が軋み、いつ命を喪失するか分からない瀬戸際だ。

 時宗は成姫の躰を抱いてその口を奪う。生臭い血の香り。時宗は成姫の血を吸い尽くす。成姫も時宗の味を味わいながら、血を吸い尽くす。時宗は成姫の手を握る。

「…父上、悲願を叶えましたよ。ただ…、夜叉に身を堕とした私を…お赦しください…」

「…姉上」

「籍…王…」

 成姫は時宗の幼名である「籍王」の名を呟いて意識を手放し、命の灯火は静かに消えた。命の灯火が消えた音を感じた時宗は目を見開いて血塗られた手で、成姫の躰を揺らした。

「姉上…? 姉上! あねうえーっ!」

 時宗は大声で成姫の名前を叫びながら、泣き崩れた。すると、時宗はあるものを見つけた。それを見た時宗は涙を浮かべて笑った。

「姉上…! 立葵の花です! 父上と…私に…姉上がくれた…あの、立葵の花です!」

 時宗の目の前にあったのは美しい立葵の花だった。

 立葵の花は時宗にとっては幸せな頃の家族の象徴。成哉と時宗に成姫が渡した立葵の花束。静かに揺れている。時宗はすでにあの世へ旅立った成姫に言い聞かせるように、汗を浮かべてぐちゃぐちゃになった顔で、言った。

「私は…、あの花をもう一度…姉上の手から…頂きたかった。あの花は…私にとって…、姉上そのもの…。立葵のような…清廉で高潔な姉上を…私は…お慕いしております…。私も、人を捨てて夜叉に身を堕とした。来世は…、陽の下を堂々を歩ける…、関係で…いたい…」

 時宗は成姫の口に自分の手を噛ませた。指に成姫の犬歯が突き刺さる。獣のように鋭いその歯は皮膚を貫通し、血がたらり、またたらりと流れた。

 そして時宗は成姫の首筋に、己の犬歯を突き立てた。まるで生き血を啜る夜叉の如く。

「姉上…、いや…、一姫様…。愛して…おります…」

 時宗は首筋に唇を寄せた状態で小さく呟いた。そして首筋に歯を突き立てたまま、命を散らした。

 こうして、駿河成こと成姫と駿河時宗の姉弟は、工藤頼忠への仇討ちを完遂し、大きな秘密を抱えたまま、夜叉の名前を背負い、お互いの想いを胸に命を散らしたのだった。





 工藤頼忠が仇討ちにあったという話はまたたくまに広がり、その仇討ちを行ったのは姉弟であることも広まった。そして、彼らの遺骸も発見されたが、その狂気と異様さに全員がどよめいた。

 まるで互いの血を求めて吸い続ける夜叉のようだったからだ。しかも、血を分けた姉弟であるにも関わらず、互いの肉体だけではなく、血までも貪る。慕う相手の血、汗、涙、はたまた淫らな蜜までも求めて、一滴残らず吸い尽くす。その姿は、人を逸脱していた。仇討ちを行った姉弟は、いつしか人々の間で夜叉という化け物として語り継がれ始めたのだった。

 そして…愛しい子供たちに先立たれた母の時姫は訃報を聞いて、よろめき泣き崩れ、仏に手を合わせて泣きながら言った。

「一…、籍王…愚かなことを…! 母はただ、お前たちが生きてさえくれれば…それでよかったのに…! しかも…醜く淫らな夜叉に身を堕とすなど…、なんたる愚行…! 愚かなことよ…」

 二人の悲観に引かれつつも、淫らな関係に姉弟でありながらなってしまったことへの嘆いたのだった。時姫は死するその日までいつまでも成姫と時宗の冥福を祈り続けた。





 これは運命に背き、自ら化け物に身を堕とした姉と弟の物語。

 しかし、これはすでに昔のこと。彼らが来世で出逢えたかどうかは…存ぜぬ。

 一と籍王。後の駿河成もとい成姫、駿河時平の妖しくも哀しく、また狂気を孕んだ仇討ち物語でございました。

 この姉弟は血のつながりがありながら、互いを求める禁忌を犯し、夜叉に成り果てた。仇討ちは成功したが、この姉弟は不幸な夜叉として語り継がれる…はずでございました。

 ところが、姉弟に名前を与えた者がいたのでございます。其の者は、二人が水無月に仇討ちを行ったことから姉弟にこう名付けた。


葵夜叉あおいやしゃ


 美しい高潔な花。雨の中で美しく咲く立葵。姉・成姫の美しさと献身と高潔、弟・時宗の正義と野望を、葵の花にちなんで名前がつけられたのです。

 この話は、「葵夜叉の仇討ち」の物語として後世まで語り継がれることになるのでございます。



 完


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