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こいびとですか?


 ソフィアは耳を疑った。


「こい・びと役ぅ? ――え? 『こい』ってあの、赤と白のまだら模様で、池を泳いでいるあれ? 私はあれと人間のミックス役に抜擢されたってこと? 演劇初心者には難しすぎるわ、上手く演じられるかしら?」


「鯉と人間のミックス役を探しているわけないだろ!」イーノクがイラッとして口を挟む。「どんな舞台だ、そんなもん誰も見んわ」


「そうですよ。誰も見ないから、やめたほうがいいですよ」


「だからぁ! 君が演じるのは鯉と人間のミックスではない! 陛下とステディな関係を演じるってことだ!」


 まくし立てすぎて、イーノクの息が上がっている。


 一方、陛下のほうはクールな佇まいを崩さず、ソフィアの馬鹿話に対しても賢く沈黙を守っていた。


「あぁん、頭が混乱してきたぁ!」


 ソフィアは両手のひらで側頭部をぎゅっと押さえつけた。そうしながら瞳を揺らして陛下を見遣る。


「……あの、どうして私なのでしょう?」


「君の『能力』が欲しいだけ」


 淡々と答える陛下。


「え……私の『事務能力』って、陛下に一目置かれるほど優秀でした?」


 ソフィアがまじまじと陛下を見つめて尋ねると、横手からイーノクが電光石火で口を挟む。


「んなわけないだろ」


「じゃあなぜ?」


 問われた陛下は物柔らかにソフィアを見返す。


「なぜかという理由を気にするより、協力した場合に得られるものについて考えたらどうだ? 君はテオドールと別れたいのだろう――ならば私の恋人役を演じるのが、希望を叶える手っ取り早い手段だと思うが」


 確かにそう……けれどこの事態はソフィアの手に余った。そこで自力で答えを出すべく頑張るのは諦め、すぐにギブアップすることにした。


「……ヘルプを呼んでもいいでしょうか?」


「この場に誰かを呼ぶ気なのか?」


 陛下が微かに眉根を寄せる。


「そうでぇす」


「ここで交わされた話は機密事項だ」


「でも私には判断がつきません」


「一体、誰に話す気なんだ」


「侍女のルースです。彼女はものすごく賢いの。これまで一度だってルースが間違っていたことはないから、私は彼女の意見を聞きたいわ」


「……大丈夫か?」


 陛下は機密云々よりも、ソフィアがそこまで侍女のことを信用して、重大な決断を委ねようとしていることのほうが気になった。


 そのルースとやらが極悪人だった場合、これまでなんでも打ち明けてきたであろうソフィアは弱みを握られているも同然なわけで、あとでとんでもないことになるのでは?


「大丈夫です! 二百パーセント大丈夫!」


 数値が上限百を超えてしまった……!


 陛下とイーノクが絶句しているあいだに、ソフィアは「ルースは今皇宮にいますから、すぐに連れてきますねー!」という台詞を残し、あっという間に部屋を飛び出して行った。




   * * *




 ルースはソフィアに捕まり、気が進まぬまま陛下の執務室に連行された。


 ああ……まったく面倒なことになった!


 お嬢様がグイグイ手を引き、こちらの意向は無視で突き進んで行くので、『なんという駄犬ぶり!』と恨めしく思ってしまう。散歩コースを好き勝手に決める、言うことを聞かない犬みたいだ。


 とはいえルースが心の中で悪態をついていられたのも、執務室に入るまでだった。


 普段は図太い彼女であっても、さすがに皇帝陛下の御前に引っ張り出されては、心臓をギュッと鷲掴みにされたかのような緊張を覚える。


 どうしよう……。


 伏し目がちに縮こまっていたルースであるが、『いつまでもこうして俯いてはいられない』と覚悟を決めた。


 おそるおそる顔を上げる――すると執務デスクの向こうに、氷帝ノア・レヴァントの麗しい姿が。


 おおおお――これはすごい! ルースはビクリと体を震わせた。ひねくれ屋の彼女が皮肉のひとつもひねり出せないほどに、氷帝の存在感は圧倒的だった。


 美形とか優雅とか知的とか、もはやそういう次元にはいない人だわ……ルースは正しくそれを悟った。ゲームではノア・レヴァントが一番好きなキャラクターであったけれど、実在している彼を見てしまったら、『好き』とか『格好良い』とかそんな感想を気楽に述べることすらおこがましく感じてしまう。


 緊張する……でも落ち着いて……。


 ルースは意識して深く息を吸った。


 大丈夫、大丈夫よ。何も殺されるわけじゃない。堂々としていればいいの……何度か深呼吸を繰り返し、平素の落ち着きを取り戻す。


 切り替えが早いのも年の功だろうか。ルースはすでに四十近い年齢なので、人生経験はそれなりに積んできている。


 そして自分の外見がほかの女性と比べてかなり見劣りするという自覚もあったから、美形な男性を前にしても舞い上がらずにいられた。だって毎朝鏡で自分の姿を見る度に、『ほぼ五頭身じゃない?』とか『機嫌の悪いブルドッグみたいな顔ね』とか自分でも思うくらいなのだ。相手にされるわけがないのだから、気楽なものである。


 大体、氷帝はふた回り近くも年下だしね。


 少し余裕がでてきたルースは部屋の中を見回してみた。


 え――やだあれイーノク? なんと窓際にイーノクがいるではないか――彼もまた攻略対象者だ。インテリ系の腹黒キャラ。


 ……だけどなんだか彼、こちらを睨んでない?


 そうされる筋合いもないのにと、ルースは不快感を覚えた。なんとも説明のつかない執拗さでイーノクがこちらをジロジロ見てくるので、理由はなんにせよ良い気はしない。


 ブスなオバサンが入って来たものだな、勘弁してくれ、とでも思っているのだろうか?


 なんて感じが悪いのだろう……イーノクは元々そんなに好きなキャラでもなかったので、この件により、彼に対する好感度は底打ちとなった。


「訊いてもいいか?」


 端っこにいるイーノクに気を取られていると、陛下からそう声をかけられた。ルースはかしこまり、礼をとる。


「はい、なんなりと」


「君がソフィアに仕えている理由は?」


 理由? なぜそんなことを訊くのだろうか。他者に関心を向けないはずの氷帝――先の問いかけはまったく彼らしくない。


 これに対し、ルースは正直に答えることにした。


 ノア・レヴァントはとにかく勘が鋭く、賢い。浅はかな嘘をついても、すぐに見破られてしまうだろう。だったら素直に答えておいたほうがいい。


「私がお嬢様にお仕えする理由は、彼女が面白い人だからです」


「面白い……そうか」


 短い返答であったけれど、なんというか、声音が柔らかい。これにルースは『おや』と注意を引かれた。


 そういえば、彼の表情。すごく穏やかではないかしら?


 いや――普通の人と比べれば、そりゃ笑顔を見せるわけでもないし、取っつきやすいとは言いがたい。それはそう。けれどゲームをプレイ済みのルースはよく理解している――普段の彼はもっと冷ややかであることを。だからこそ彼は人から『氷帝』と呼ばれているのだ。


 では少し……踏み込んでみようか。


 ルースは言葉足らずだった気がして、さらに続けた。


「お嬢様は下の人間に親切です。それは底抜けに善良であるとか、八方美人であるとか、そういうことではないのです。ただただ自然体――意地悪なところがなく、適度に淡白で、他者のだめなところもある程度寛容に許してくれる――自分もだめなところがいっぱいあるからお互いさまよ、と言って。そのためお嬢様に仕える私は気楽でいられます。お嬢様の下で働いたあとでは、もうほかでは働けません」


「なるほど、よく分かった」


 陛下の唇の端が微かに……見間違いでなければ、ほんのわずかばかり上がったような気がして、ルースは呆気に取られてしまった。


 ――え? 氷帝が笑った? 嘘でしょう?


 ゲームだと、頑張って、頑張って、裏技を駆使して、やっと見ることができるご褒美であったはずだけれど? それがこんな初期で出ます?


 かたわらでお嬢様が「ルースがほかで働けないって言ってくれて、安心したぁ。面倒ばかりかけているから、そのうち愛想を尽かされるんじゃないかと心配していたのぉ」とか間抜けな感想を漏らしているのを聞き、『いや馬鹿な、こんな阿呆の子に氷帝がほだされるはずがない』とつい考えてしまうルースであった。



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