番外編 おにぎりの行方
ルースは『食』に強いこだわりがある。
転生者である彼女は前世日本の記憶を持っているため、ほかの人より食べものに関する知識が深い。そのためどうしても『あれも食べたい』『これも食べたい』という欲が強くなるのだ。
――今日、ルースは皇宮におにぎり弁当を持参していた。
以前、『米、海苔、具材』……日本で食べたのと似たものを異世界で必死に探したら、意外だけど見つかったのである。ということで、最近ルースは手作りおにぎりに嵌まっていた。
今日は唐揚げと、だし巻き卵も作ってみた。
中庭のベンチに腰かけ、弁当箱を膝の上に置く。
「いただきまーす」
手を揃えて挨拶してから、ワクワク顔で蓋を開けたところで、
「――ルースさんっ!」
上ずった声が横手から響いた。
うっげー……ルースは盛大に顔をしかめそうになり、鋼の自制心でなんとかこらえた。
うぜー……意地悪クソ人間イーノクの声じゃん……うわー反応したくないなー……。
葛藤すること数秒……ルースは無の表情を保って顔を上げた。
渋々声のほうを見遣ると、イーノクのやつ、すでにベンチ横まで来ている……怖っ。
「ルースさん、変わった食べもの? をお持ちですね?」
ルースはこれを聞き、意外に感じた。
イーノクと雑談……これほど似合わない組み合わせもない。
イーノクのキャラからして、他人から雑談を振られた日には、「ふっ……下らん、貴様との雑談に時間を取られるくらいなら、拷問されたほうがマシだ」とかなんとか憎まれ口を叩きそうなものなのに、まさか本人から仕かけてくるとはね……。
ルースは考えを巡らせる。
なんか……無茶な頼みごとでもしようとしているのかしら? その前にご機嫌を取ろうとしている?
どのみち迷惑な話だった。
頼みごとをする気なら、ストレートに頼んでほしい。
どうせこちらは立場的に断れないのだからさあ……これじゃ雑談にも付き合わされて、私、損しかしないじゃん……。
ルースは黙したままそっと弁当の蓋を閉めた。
すると。
「ああっ……」
吐息のような悲鳴が聞こえ、ギョッとして彼のほうを見る。
するとなぜかイーノクがこの世の終わりのような顔をして、ルースが蓋をしたばかりの弁当箱を眺めおろしているではないか。
ど、どういうつもり……?
「あの、イーノクさん?」
「もう少し見たかった……」
「え、お弁当の中身を?」
「はい」
「でも……これは見世物じゃないので」
モヤッとして冷たく言い放つと、イーノクの目がうつろになった。
……ええ? なんなのこのリアクション?
ますます混乱するルースに、イーノクがボソボソと話しかける。
「その……ソフィア嬢がルースさんの自慢をしていまして……あなたは料理が得意で、手作りのお弁当がとっても美味しいのだと……」
これを聞き、ルースは思わず舌打ちした。
お、お嬢様めぇ……つまらんこと言いふらしやがって!
ムカムカしながらもなんとか答える。
「お嬢様はなんでも大袈裟に言うんですよ」
「私はそうは思いません。その……先ほど見たお弁当の中身は、大変独創的で、ルースさん以外にはできない仕事だと思いました」
「あ………………そうですか」
ルースは淡い笑みを浮かべながら、内心歯ぎしりしていた。
イーノクくんよお……お前絶対こう思ってるよなあ?
――そんな自作の変な弁当なんか食べているから、貴様はババアの上にデブなんだろお? 他に類を見ない独創的なデブなんだろお? って。
そう思ってるよなあ? 思ってるよなあ?
畜生、どっか行け、意地悪クソイケメンがぁ……!
ルースは性格がひねくれており、被害妄想も激しめである。
他人に聞かれたらドン引きされるような悪態を百八個ほど心の中で吐き捨てたあとで、改めてにっこり笑ってみせた。
「あの……ご用件があるならおっしゃっていただけませんか?」
「は、はい――それでは――」
イーノクが何か言いかけた時、
「――ルース!」
華やかな声が割り込んできた。
びっくりして顔を左に向けると、数メートルほど離れた場所で、お嬢様が氷帝に肩を抱かれて手を振っている。
ルースはそれを眺め、ポカンと口を開いた。
「え、お嬢様、いついらっしゃいました?」
こんなに見晴らしが良いのに、接近するまで気配も感じなかったなんて……。
疑問に思い尋ねると、まさかの答えが返ってきた。
「今、来たのよ」
「今?」
「転移して来たの」
て、ててて転移して来た???
言葉を失うルースを眺め、氷帝が説明してくれる。
「私は転移魔法が使える」
「えー!!」
びっくりしすぎて大きめの声が出た。
氷帝って転移魔法が使えるの? え? 乙女ゲームにそんな設定なかったけど……。
というか本来はそういったすごい魔法を使えるのだけれど、乙女ゲームの中ではマギー・ヘイズが相手だったから、特殊な魔法を使う気分にはならなかったということ?
本気じゃない相手には、自分のすべてを開示しようとは思わないものね……。
「あ、あの……陛下が転移魔法を使うほどの緊急事態発生ですか?」
「いや」氷帝が淡々と答える。「ソフィアがルースに用があると言って駆け出そうとしたので、その前に捕まえて一緒に転移したんだ」
「なぜ……」
「うっかり取り逃がしてひとりで行かせてしまうと、途中で騎士のバートに遭遇してナンパされるかも」
おお、スパダリの騎士バートの名前が挙がった……!
ルースは顔がにやけそうになり、慌てて気を引き締める必要があった。
クールな氷帝がバートにヤキモチを焼いている……! 奇跡が起きた……!
「お、お嬢様」やばい、声が震える。「それで私に用というのは?」
「あのねえ」ソフィアが呑気に笑みを浮かべながら答える。「あなた以前、スープが美味しいお店のことを話していたじゃない?」
「ああ……はい」
「それをノアに食べさせたくなったの。だから場所を教えて」
うわああああ……嫌なプレッシャー……。
これで氷帝が実際に食べて「いまいち」となったら、紹介者である自分の責任になる。
冷や汗をかくルースであるが、氷帝から、
「手間をかけてすまない」
と詫びられ、こうなってはもう断れるはずもなく……。
「では地図を描きますので」
「それよりもルース――これから一緒に行きましょうよ♡」
おい黙れ、ポンコツお嬢様……!
イラッとするルースに、氷帝が声をかける。
「予定がなければお願いしたい。店のことに詳しい人に同行してもらえると助かる」
くうっ……身に余る光栄……!
ルースは深々と頭を下げた。
「――謹んでお受けいたします」
* * *
さあこれで氷帝とお嬢様に同行することは決まったわけだが……ルースは少し困って手元を眺めおろした。
あー……お弁当、どうしよう?
すると横手から、
「ルースさんっ、それは私がもらってもいいですか?」
イーノクが声をかけてきた。
「え?」
「もしもいただけるならお金を払いますが」
何言ってんだこいつ……処分代としてお金を取るのではなく、イーノクがお金を払ってくれるの? なぜ?
罠の匂いがして恐怖しかない。
ドン引きしているルースを見かねたのか(?)、氷帝がイーノクに尋ねる。
「イーノクは一緒に来ないのか?」
「……同行を許されるならそうしたいところですが、大変残念なことに、十五分後に大司教との面会がありまして……」
さすがにここまでの大物相手だと予定をキャンセルできない。今回は氷帝抜きで、大司教とサシの面会になるので、当事者のイーノクは責任をもって対処しなければならなかった。
話を聞いていたソフィアが「あ」と手を叩く。
「それじゃあイーノクさんは今度、ルースとふたりきりで行くといいわよ~」
この爆弾発言を聞き、ルースが目を剥き、イーノクがボボッと赤面し、氷帝が半目になってイーノクを見遣るという奇妙な時間が流れた。
ルースはお嬢様の発言をスルーして咳払いをした。
そう……とりあえずお弁当の件を決着させなければ。
「あの、イーノクさん……お弁当はあとで自分で廃棄しますわ、だから」
「いえ、いけません!」
「は?」
「その――皇宮内はゴミの処理なども複雑なルールがあるので!」
なるほど……そういうものかあ……。
ルースがどうしたものかと考えていると、イーノクがズイッと手を出してくる。
「お弁当は私がいただきます!」
「あー……分かりました。あの、お弁当箱ごと捨てていただいていいので」
「そんな馬鹿な! ありえなーい‼」
イーノクの魂の叫びが中庭に響き渡る。
「……どゆ意味?」
ルースはキョトンとしたあとで、このやり取りを続けることが面倒になり、イーノクとの会話を切り上げることにした。
「ああ、ええと……ゴミの処理が複雑なんですっけ……よく分からないのでお任せしますね」
「ねえねえルース」
とソフィアがカットイン。
「転移って面白いから、あなたも体験してみない?」
「へっ!?」
「では行こう」
氷帝に招かれ、ルースはおっかなびっくりふたりに近寄って行った。
「全員でくっついてないと転移できないから~」
ニコニコのソフィアがそんなことを言うので、
「!?!?」
ルースは目を白黒させる。
――ひ、氷帝とくっつくとか、無理ぃ!
ルースは赤面しながら極力氷帝には触れないようにして、お嬢様に抱き着いた。
その途端、三人の姿が中庭からかき消えた。
* * *
中庭にひとり取り残されたイーノクは、黙したままお弁当箱を天高く掲げた。
陽光が燦燦と降り注ぎ、彼を照らす。
イーノクは心の中で叫んだ。
――我、覇者、なりぃ!
イーノクは涙ぐんだ。
おおおおお、生きててよかった~! 神様~! これまでバチ当たりなことばっかりしてきて、すみません~! 悔い改めまっす~!
イーノクはお弁当箱を掲げたまま踊り出した。
* * *
――後日。
イーノクが奇妙に踊り狂うさまを遠目に目撃した皇宮の誰かが、
「イーノクが天に祈っていた。そして泣いていた」
と友人に語って聞かせた。
その噂が次の人に伝えられた時には、
「彼は雨乞いの儀式をしていたらしい。そして泣いていたらしい……だけど泣いていたという部分はさすがに嘘だな」
それが三人目に伝えられた時には、
「とうとう彼はやった――太古の邪神を復活させたらしい。その時に泣いていたという噂もあるが、そっちは明らかに嘘」
という内容に変異した。
皆疑うことなく荒唐無稽な噂を信じたが、なぜか「イーノクが泣いていた」という真実の部分だけ、「さすがにそんなわけない」のコメントが毎度つけられたという……。
* * *
番外編(終)




