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ルース


 ルースは観葉植物に水をやりながら、『不可解だわ』と考えを巡らせていた。


 ――結局ここは乙女ゲームの世界なのか、そうではないのか。


 こう考えたこともあった――もしかすると転生者はルース以外にも存在したのかもしれない。しかもふたつの世界に互い違いに。


 たとえばガーランド帝国から地球に転生した、Aさんという人がいたとする。そのAさんが『乙女ゲーム』という形で、前世ガーランド帝国の記憶を、地球でアウトップットした。


 それを転生前のルースが地球でプレイ――そしてその記憶を残したまま、今度はAさんとは反対に、地球からガーランド帝国へ転生した。


 そうすると一見時系列が合わないようでもある――普通に考えるなら、ルースはもっとあとの時代――たとえば氷帝や悪役令嬢が亡くなったあとに転生しないとおかしい。


 けれどおそらく矛盾は出ないのだろう。


 時間というものは必ずしも『過去から未来へ』というふうに、一方向に固定されているわけでもないと思われるからだ。


 Aさんとルースは互い違いに転生し、時間軸もねじれて前後した。


 とはいえこの世界は、ルースがプレイしたことのある乙女ゲームとはふたつの点で大きな違いがある。


 ――まずひとつ目は、テオドール・カーヴァーの性格。


 攻略対象者の彼がなんであんなに阿呆なのだろう? 性的にだらしなさすぎる。ゲームそのままなのは、外見だけ。


 テオドールは『春の訪れを祝う会』で馬鹿げた騒ぎを起こしたことで、父・カーヴァー公爵の逆鱗に触れ、国外に追放されたらしい。家督はどうやら繰り下がり、次男が継ぐことになりそう。


 テオドールが排斥された理由はあの一件だけのせいというより、色々なことが積もり積もった結果だったのかもしれない。


 カーヴァー公爵は息子への最後通牒として『これ以上、ソフィア・ブラックトンにちょっかいを出すな。面倒を起こすな』と指示したのに、それをまるきり無視してあれだけ大暴れしたわけだから、『もう出て行け、お前!』となるのも納得である。


 そうなるとテオドールの可愛い子猫ちゃんことゾーイ・テニソンは、これからどうなるのかしらね……まぁそれは別にどうでもいいことだけれど。


 ――それから相違点のふたつ目は、悪役令嬢ソフィア・ブラックトンが辿った運命。


 この世界にいるソフィアは十二歳の時に受けた魔力測定で、『才能なし』と判定されている。


 うーん……一体、どうして?


 結局、陛下がソフィアをキュンとさせ、彼女がとんでもない魔力を有していることが証明されたので、本人の能力自体はゲームと同じだったわけだ。ただし外国で呑気に暮らしたことで、潜在能力が飛躍的に高められ、元の設定を大きく超えてしまったようだから、これもまた差異ではある。


 とにかく起点となった十二歳時、悪役令嬢に何があったのかしらね……?


 答えは出ぬものの、どうにも不可解に感じてしまうルースなのだった。




   * * *




 ――七年前の、ある晴れた日のこと。


 ルースはこの時まだガーランド帝国にいた。この時点では前世の記憶を取り戻していなかったルースだが、頭のどこかがずっと絶えずモヤモヤしているような、現状に対する違和感にさいなまれることが多くなっていた。


 そんな状態で通りを歩いていた彼女は、激しい衝動を覚えて足を止める。


 え――懐かしい匂い――……このスパイシーな香りは一体……?


 あとになって判明したのだが、この時ルースが強く惹きつけられたのは、カレーの匂いだった。


 ルースは胸を鷲掴みにされたような心地になり、焦りで足をもつれさせながら、鼻をクンクン動かして歩き始めた。彼女はすっかり前方不注意になっていて、ある雑貨店の前で寝そべっていた犬の尻尾を踏んでしまう。


 犬は激怒し、ギャン! と鳴いて飛び上がった。そしてあまりに勢い良く動いたために、繋がれていた縄から抜け、犬はそのまま通りへと駆け出して行った。


 通りに犬が飛び出して来たので、往来で馬車を進めていた御者は仰天し、手綱を強く引いた。


 馬はこれに驚き、たたらを踏み。馬車が蛇行し、歩道に突っ込む。


 ――歩道を歩いていた十二歳のソフィア・ブラックトンは、背後から大きな音がしたので、びっくりして振り返った。


 そして驚愕に目を見開く。


 眼前に迫るのは、鼻息も荒くいななく黒馬、今にも横転しそうに傾いた馬車、瞳に恐怖の色を浮かべる御者――それらすべてがゆっくり動いているように彼女には感じられた。


「ふにゃーっ‼」


 ソフィアは間抜けな悲鳴を上げ、慌てて避けようとしたのだが、あいにく場所が悪かった。


 彼女がその時にいた場所は修道院前の歩道。やんごとないお方が隠居するために作られた修道院で、かなり凝ったデザインになっており、塀と歩道のあいだには見事な噴水が造られていた。


 後退した拍子にかかとが段差に当たり、バランスを崩すソフィア。


 手をバタつかせ――……彼女はそのまま背後にあった噴水に、後頭部から突っ込んでいった。


 ゴーン――……! 頭を強打!


 ブクブク……と溺れかける令嬢を、通行人が慌てて助けに入る。


 ちなみに元凶のルースは一心不乱にカレーの匂いを追っており、背後でこんな騒動が巻き起こっていることに気づいてもいないのだった。


 その後無事に救助され、ずぶ濡れでなんとか家に戻ったソフィアは、高熱を出して三日ほど寝込んだ。


 それでも五日が経過した頃にはすっかりよくなったので、当初の予定どおり魔力測定を受けに行くことに。


 ところが頭を強く打ったばかりのソフィアは、一過性の症状で、魔力の出力回路を見失っていた。


 十二歳時点の彼女はまだ魔法を使えないのだが、魔力の出力回路自体はこの段階ですでに形成されている。そしてこの出力回路確保が無意識に行われる処理であるがゆえ、彼女自身、自らの体に起きている異変に気づくことができなかった。おそらくもうあと一週間も経過していれば、自然治癒していたはずである。とにかく時期が悪かった。


 自然な状態ならば、本人が有している魔力は体内の見えない管を伝って、手のひらから出力される。そのため手のひらを専用器具で測定することで、出力口から逆算して辿り、眠っている魔力量を測定することができる。


 しかし途中の管が一時的に途切れているソフィアは、手のひらから何も漏れ出てこないので、『魔力ゼロ』『才能なし』と判定されてしまった。


 その後家族会議が開かれ、落ちこぼれの烙印を押されたソフィアは、『私ってだめなんだ』と強く思い込んでしまう。これにより、強力な自己封印が完了――そして現在に至る。


 つまりこうして相違点が出ているのは、七年前、ルースが前世の記憶を刺激されて非常識な行動を取ったことが原因だった。


 テオドールに関しても、彼が性に奔放になるようなきっかけが、過去にあったのかもしれない。それもまたルースが知らず知らずのうちに起点となって、とんでもない事件を巻き起こしていたのかも?


 ということは結局、ここは乙女ゲーム世界そのものではなく、どこかの時点で枝分かれした、並行世界のひとつということになるのだろう。



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