ひとひらの勇気
市民プールでのダブルデートは夕方まで続いた。
「じゃあ、俺達は帰るから二人とも気をつけろよ」
「じゃあね、明君にマリちゃん」
とそう言って明君とマリちゃんは明君が運転する自転車に二人乗りして帰って行った。
「僕達も帰ろうか」
「そうだね。今日は本当に楽しかったよ」
「そうだな、また機会があればあの二人とダブルデートしてみたいな」
そう言いながら、私と大介君は夕焼けに染まりながら、歩道を歩いている。
家から市民プールまで近いが、そこまで大介君は私の事を送って行ってくれた。
「じゃあ、大介君。またLINEするからね」
「うん。待っているよ」
私が家に入ろうとすると、
「あの、奈々瀬さん」
「ん?」
大介君は何を考えているのか顔を真っ赤にしている。
察するに何か私に求めているような気がする。
何を求めているのだろうか、考えて見ると、もしかして、嫌らしい事を考えているのじゃないかと思った。
でも恋人同士なのだからそんなやらしいこともしても私は良いと思っている。
さあ、大介君、私に何を求めているのかな?
すると大介君は意を決したかのように私に伝えてきた。
「キスしませんか!?」
私のファーストキスは大介君に決まりだね。
「良いわよ」
「えっ!?そんなあっさりと?」
「恋人同士ならキスぐらいなら別に普通だと思うのだけれども、それに大介君は私に勇気を振り絞って言ってきた事だから、それを反故しちゃダメだよね」
そう言って私は、大介君にファーストキスをしたのだった。
いつもはホッペにチューぐらいだけれども、大介君が求めるならそれで良いと私は思っている。でもそれなりに責任はとって貰おうと思っている。
私のファーストキスをしたのだから、もし浮気などしたら、ただじゃ置かないと言うか殺してやろうとも思っている。
さて、今日は両親がケンカしていないことを祈っている。
奈々瀬はそう思いながら、渋々家に入るのであった。
★
案の定、家の中に入ると、奈々瀬の両親は喧嘩をおっぱじめていた。
奈々瀬は家に入り、ただいまも言わずに、部屋の中へと入っていった。
部屋に入ると、奈々瀬の部屋の中まで二人の罵声が聞こえてくる。
喧嘩はやめて欲しいと思っている。
家族なんだからもっと仲良くして欲しいと思っている。
そこで思いついた、奈々瀬は恋のキューピットであることを、でも両親の喧嘩に入る勇気がない。
そんな時、今まで奈々瀬は恋のキューピットとして、みんなに勇気を与えて手紙を渡すことを提案してきた。
そうだ。私も、勇気を出して、二人の喧嘩を仲裁しないといけないと思っている。
でも両親は本気でお互い殺し合うような罵声を浴びせて、喧嘩している。
この両親の喧嘩を止めるには奈々瀬しかいないと思っている。
ここは勇気を振り絞って奈々瀬は両親がいる居間に向かって、階段を降り始めた。
「お父さん。お母さん。もう喧嘩はやめてよ!!」
奈々瀬の勇気ある発言だった。
そう思うと今まで勇気を振り絞って告白してきた人達の気持ちが分かったような気がした。
「あなたは黙っていなさい!」
「そうだ。お前は黙っていろ!」
もはや喧嘩に立ち入る隙間もないくらいに、奈々瀬の両親は仲が悪かった。
そこで奈々瀬は自分自身に言い聞かせる。
考えろ。考えろ。
私はお母さんとお父さんが仲良くなって欲しいと本気で思っていた。
私は恋のキューピットだ。今までにこんな事を経験してきた事を思い返す。
そしてさらにさらに勇気を振り絞って、
「もうこんな事はやめてよ!!」
と両親に訴える。
すると父親は「お前には関係のないことだ」
「関係ならあるよ。私がいつもお父さんとお母さんの喧嘩しているところを見て、私がどんな気持ちなのだろうって考えた事ある!?」
父親は奈々瀬の言葉に返す言葉が見つからないような表情をしている。さらに奈々瀬は続ける。
「お父さんとお母さんは私の事なんてどうでも良いと思っているの!?私がお父さんとお母さんが喧嘩している声を聞いて、私がどれだけ苦しんでいるかも知らないでしょ!?」
気がつけば奈々瀬は涙を飾っていた。さらにさらに続けて、
「家族なのだから仲良くしようよ。そんな喧嘩ばかりしていると、私死んじゃうだから」
奈々瀬は耐えきれず子供でも滅多に見せないような泣き方をした。これはもはや嘘泣きなどではなく本気の涙だった。奈々瀬はどうしても両親が仲良くなって幸せになり、自分も幸せになり家族で、昔の様に旅行とか遊園地に行きたいと思っている。
奈々瀬が泣いていると父親は、
「奈々瀬お前・・・」
奈々瀬は泣き崩れている。
「奈々ちゃん・・・」
お母さんまで心配をし始めた。
奈々瀬の涙は両親に伝わったようだ。
すると父親は自分の書籍へと戻っていった。
そして父親は帰ってきて一枚のDVDを持ってやってきた。
「お母さん。奈々瀬」
父親は奈々瀬とお母さんをテレビのあるリビングに行こうと促す。
父親が持って来たDVDを起動させて、両親とその幼い奈々瀬が幸せそうに、映っている映像だった。これは記憶に薄れているが、奈々瀬が五歳の時に撮影した記録になっている。
映像を見てみると本当にどこにでもあるような幸せな家族の姿であった。
「あなた、これは・・・」
「ああ、私達の家族の記録だよ。この世に二つとない私達の家族の絆のDVDだ」
お母さんは涙を流しながら、映像を見ていた。
「あたし達にもこんな素晴らしい絆があっただなんて驚いたわ」
そう言って母親は涙を流していた。
「母さん、もう私達で喧嘩をするのはやめよう。それに離婚届は解消しよう」
そう言って離婚用紙をビリビリに破いた。
奈々瀬は思った。もしかしてここで奈々瀬が入らなかったら本気で離婚をするつもりだったじゃないかと危惧した。
奈々瀬は思った。本当に奈々瀬は恋のキューピットだと。自分の両親が離婚する事を拒否させたのだ。奈々瀬本人今度は悲しみの涙から喜びの涙へと変わり、涙を拭って言った。
「ねえ、お母さん。私お腹が空いちゃった。何かお母さんの手料理が食べたいな」
そこでお父さんが、
「今日は外食にしよう。奈々瀬いつも辛い目に会わせて悪かったな」
「良いよ。お父さんとお母さんがまた仲良くなってくれて私は嬉しいよ」
何故だろう。悲しくもないのに涙が止まらないのは?涙が止めどなく流れ落ちてくる。
「奈々瀬何が食べたい、何でも良いのだぞ」
「私はお母さんの手料理が食べたい」
「ゴメンね、奈々瀬、私達喧嘩でそれどころじゃなくて料理を作る材料がないのよ。だから今日はお父さんの言うとおりにして外食にしましょう」
不本意ながら、外食を食べることになり三人でどこかで食べる事となった。
お父さんもお母さんも奈々瀬の事を蔑ろにしていたんじゃないかと思っていたがそれはとんだ思い違いだった。
お父さんもお母さんも喧嘩をしながらだけれども、奈々瀬の事を一番に考えていたんだ。
奈々瀬は思った。本当に勇気を持ってお父さんとお母さんの喧嘩の仲裁に入った事に良かったと思えた。
何故喧嘩をしていたかと言うと、お母さんは日頃からお父さんの帰る時間帯が遅いと言うことでどこかで浮気をしていたんじゃないかと勘ぐっていたみたいだ。
でもそんな事はないと思っている。
家のお父さんはかっこ良くていつも頼れる存在だと奈々瀬は思っている。
三人は外に出て、奈々瀬の左手にはお母さんの右手が繋がれその右手にはお父さんの左手がしっかりと握られていた。
こんな十一歳になっても、まだまだ子供で、これで恋のキューピットが務まるんだから凄いと自負してしまう奈々瀬であった。
奈々瀬はこんな家族に囲まれて幸せを感じてしまった。
これは家族の問題だから大介君が中に入っても仕方のない事だと思っている。
家族関係も幸せになり、家族とどこかに出かける何て、今さっきまでは信じられないことだった。
家族でも時には幸せの時もあるけれど、今回のように喧嘩をする時があるのかもしれない。
その時は全力を持って奈々瀬は喧嘩の仲裁に当たろうと思っている。
困難に立ち向かうには、いつも恋愛相談室で言っているように、好きな人にアタックするのはとても勇気のいることだ。
三人家族で食事に出かける事は何年ぶりの事だろう。
「奈々瀬は何が食べたいんだ」
「何でも良いよ。お父さんとお母さんと一緒なら何でもおいしいよ」
「お前はかわいい奴だな」
そう言ってお父さんは私を抱きしめた。
お父さんの体臭はきつかったけれど、これは子供の時から、お父さんの匂いを感じているから、懐かしく思い、その体臭はきつく感じられなかった。むしろお父さんの体臭は嫌いではなく好きであった。
お父さんはとび職の仕事をして、お母さんは銀行で働いている。
お父さんの仕事ぶりを見て分かったが、あれはかなりハードな仕事だと思っている。
そう言えば昔、お父さんの仕事を見てあんな高いところから仕事をしているところを見て、奈々瀬はあんなところから落ちてしまったら、死んでしまうと、夜一人で泣いた事もあった。
お母さんの銀行の仕事を見たことがあるが、奈々瀬には銀行の事は分からずに、お母さんは職場であっちに行ったりこっちに行ったりと大変な仕事をしていると奈々瀬は思った。
夜道を三人で歩いていると、周りから、仲睦まじい家族だと思われているのだろう。
そうだ。私達は仲睦まじい家族だ。
今さっきまで喧嘩をしていたが、私が勇気を振り絞って仲を取り留めたのだ。
困難に立ち向かうには勇気が必要だと奈々瀬は改めて思った。
「ねえ、あそこにお蕎麦屋さんがあるよ。私、お蕎麦食べたい」
「そんな質素な物で良いのか?」
「お父さんとお母さんと一緒なら何でもおいしいよ」
そう言って奈々瀬達家族はどこにでもあるようなチェーン店のお蕎麦屋さんに入り、安い蕎麦を食べたのだった。
奈々瀬はこれ以上の幸せはないと思っていた。
今日は本当に色々な事があった。ダブルデートをして大介君にファーストキスを与えて、そして最後に両親の喧嘩の仲裁に入り家族の絆を深めた。