手紙
祐二へ。
お元気ですか?
あなたが家を出てから、もう5年が経とうとしています。
こっちは、お父さんもおじいちゃんも雄一も、みんな元気です。
もちろん、お母さんも元気でやっていますよ。
今日の昼間、母からこんな手紙が届いた。
手紙に書いてあるとおり、俺は家を飛び出してから5年の間、祖父の顔も、両親の顔も、兄貴の顔も見ていない。なんていうか、帰りたいのはやまやまなんだが…。
「祐二!あんた、どこ行くの?」
「うるせぇな!ウチには兄貴が居ればいいんだろ!?」
「何を言ってるの。あんたも雄一もお母さんたちにとっては大事な…。」
「よく言うぜ!兄貴は大学へ行くのに反対もされなかった。なのに、なんで俺はダメなんだよ!なんで俺は大学へ行っちゃいけないんだよっ!」
「祐二…っ!」
あのとき、母の手を振りほどき、振り返ることなく家を飛び出してから、もう5年か。
俺は、何をやっても出来のいい兄貴と比較される毎日に嫌気が差していたんだ。俺は勉強も運動神経も、まるで人並み。学校の成績だって悪いほうじゃなく、むしろ普通をキープしていたというのに、勉強も運動も完璧にこなし、容姿も端麗という超人的な兄貴がいたお陰で、俺はずっと『普通』であることを嘲笑われ、肩身の狭い思いをしてきた。
父も母も、兄貴には期待していた。
そんな兄貴に、俺は嫉妬していたのかも知れない。両親の期待に応えられる兄貴が羨ましかった。そして、何も出来ない俺は両親に疎まれているような気がしていた。
ずっと、な。
そういや、一度だけ両親に手放しで喜ばれたことがあった。中学ん時に家庭科の授業で作ったパンケーキをラッピングして、父と母に一つずつプレゼントしたときだ。そのパンケーキを一口頬張ったときに、父と母が浮かべた満面の笑みと『ありがとう』の言葉は、未だに心の中に残っている。それがきっかけで俺はお菓子作りが趣味となり、将来、パティシエになって、自分の作ったお菓子で多くの人の笑顔が見たいと思っていた頃もあった。
だが、1年早く高校を卒業した兄貴が、東京の大学に進学した。
だから、俺も当然、大学に行くつもりだった。兄貴と比べられるのを避けたかった。兄貴ほどいい大学に行けなくても、とりあえずどこかの大学に行って無事に卒業し、それなりの会社に就職すれば自分の最低限のプライドを保てると思っていた。…パティシエの道も捨てがたかったけど、兄貴に対するコンプレックスの方が、その頃の俺にとっては重要だったんだ。
だが、両親は俺の大学進学を強く反対した。それによって拠り所を失った俺は家を飛び出し、そして現在に至る。というわけだ。
家を出てからの俺の生活は、パッとしないものだった。最低限のお金を得るために職業安定所で適当な仕事を探し、文房具の販売会社に営業として就職。安月給で散々こき使われた揚句、今年になって会社は倒産。今は再び就職活動をしながらコンビニのアルバイトをしているという顛末だ。
威勢よく家を飛び出した手前、こんな姿を両親や兄貴に見せたくない。だから俺は、帰りたいけど帰れないんだ。
『ふぅ』と、溜息ばかりがこぼれる。
俺、何をやっているんだろう。なんでこんなに情けないんだろう。
ぼんやりとしながらテーブルの上に視線を運ぶと、そこには母のくれた手紙の入っていた封筒が置かれていた。俺は何気なくその封筒を拾い上げてみる。
「ん?」
封筒の中には、まだ何か入っているようだ。疑問に思った俺は封筒の口を開けて覗き込んでみる。…中には1枚、紙が入っている。手紙の続きかな?
…あなたが出て行ったとき、私たちはようやくあなたの苦悩に気が付きました。
小さなころからずっと雄一と比べられ、たくさん傷ついてきたんでしょうね。
…本当に、ごめんなさい。
でもね、あなたの大学への進学に反対をした理由は、
雄一の方がかわいいからでも、あなたが憎いからでもありません。
あなたは、お菓子職人になりたいのだと思っていたから。
あなたの作るお菓子ね、お父さんもお母さんも、大好きだったのよ。
…5年間も、謝ることが出来なくてごめんなさい。
あなたに恨まれているのではないかと思うと、怖くて。
だけど、もし良かったら。
一度帰ってきて、元気な顔を見せて下さい。
母より
…知ってたんだ、母さん。
俺が、パティシエになりたかったこと。
そのとき、俺はすべてを思い出した。
俺は母に、『とりあえず大学に行きたい』と言った。そうしたら、母は顔を真っ赤にして怒り、『とりあえず、なら大学なんか行かせないからね。』って言ったんだっけ。…とりあえず、か。今思うと、浅はかなことを言ったもんだ。母が怒るのは無理もない。
すべて、俺の逆恨みだったってことか。兄貴へのコンプレックスに悩むあまり、両親が向けてくれていた愛情に気付かず、俺は我儘を言っていただけだったんだ…。
「…母さん。」
5年間、口にすることのなかった言葉が、吐息とともにこぼれた。その言葉を口にしたとたん、目頭が熱くなり、ぽろぽろと大粒の涙が、俺の頬を伝って床へと落ちた。
謝らなきゃ。
そして、今からでも遅くはない。
俺は、パティシエへの道を歩みたい。
母のため、父のため、そして…兄貴へのコンプレックスに悩んでいた過去の自分のために。
俺はジーンズのポケットから携帯電話を取り出し、懐かしい番号をプッシュする。
電話の向こうで呼び出し音が響く中、母がパタパタと小走りで電話に向かう姿を想像しながら、Tシャツの袖で涙を拭う。
「もしもし?」
電話の向こう、懐かしい声。
「あ、もしもし。母さん、祐二だけど…。」