39 欠陥品の魔法雑貨屋 後
絞められていた首が突然緩められ、私は石畳に崩れ落ちていました。急激に侵入してくる空気に、肺や喉がパンパンになって、激しくむせてしまいます。
朦朧としながらも辺りを見渡すと、目映い光を纏ったリアム様が、不気味に蠢くスペクターに向き合っていたのです。
既に可視化されたスペクターたちは、おぞましい姿でゆらりと揺れながら、リアム様を囲みだしました。
『伝言がうまくいったな』
「カイさんのお仲間が、リアム様を呼んでくれたのですね」
『俺たち猫は何処にでもいる。あいつを誰かが引っ張って来るくらい、造作もない』
こんなにも愛らしいのに頼もしくもあるなんて、猫さんたちは最強です。
『まあ、セルマやリアムが、俺たちを信じてくれるからできるんだが』
カイさんが照れくさそうに付け足しました。男前にドヤリとしたかと思えば、数秒でデレたのです。カイさんの魅力も、まだまだ未開拓の領域が広がっています。
死にかけている場合ではありませんね。息も整いましたし、リアム様の足を引っ張らないよう立ち上がりましょう!
「お前らのせいで、セルマを喪うかと思った。許さんぞ」
「肉体の檻に囚われた愚鈍な人間め。身の程を知れ」
「黙れ亡者ども。この血肉があればこそ、命あるものは魂と身体両方で、他者と向き合えるのだ」
リアム様が剣先に手をかざすと、その刃に聖なる魔力が宿されていました。神々しく黄金に輝いた剣を振りかざし、禍々しい怨念を撒き散らすスペクターたちに斬りかかります。
しかし、一部には命中しても、免れたスペクターたちは散り散りになって逃げてしまいます。
「いかに光を帯びようと、なまくらなぞ効かぬ」
「一瞬で消し去ってやっても構わんが、セルマを傷つけた事、たっぷり悔やませたいんでな」
リアム様の魔法の威力は、出会ったばかりの頃この目で確認済みです。びっしりと建物が連なる中心街を守ろうと、本来の力が発揮できないのでしょう。
スペクターたちを引き寄せては、魔法剣で斬りつける。これではリアム様が消耗する一方です。
いつの間にか、リアム様のお顔に一筋の血が流れていました。
「リアム様を傷つけましたね? 私の大好きな美しいお顔を! 私もあなた方を許しません!」
プツンと何かが弾けました。
私は自分のために祈ることができません。ですが、今ならこう願えます。
「リアム様を襲うスペクターたちが、本来在るべき所に還りますように――」
手を合わせながら戦いの場に飛び出した私を見つけ、亡霊たちが再び向かって来ました。
「さあ、死者の世界へ行こう」
「その醜い体を捨てよ」
「嫌で……す」
またまた天に召されそうですし、初めて見えてしまったお化けはとっても恐ろしいです。
ですが、悩んでいた事の答えが出た気がして、私の心はスッキリしていました。
ずっと、大それた力を得たことに、どこか後ろめたさがありました。
――情けは人の為ならず――他者を想って使った力は、巡りめぐって、いつか私を助けてくれるかもしれません。
それは、自分の私利私欲のために力を使うのと、同じではないかとさえ思ったりもしました。
でも、神様、違いましたね。
「必ず生き……ます……」
はなから私は、自分が生き長らえるためにこの力を望みました。それにこちらの神様が応えてくれたのです。
ならば、存分に使わせていただきましょう! さあ、もういっちょ!
(リアム様の攻撃が、確実に命中しますように……)
やっと気がついたのね――遠くであの不思議な声が聞こえた気がしました――
「頼む。目覚めてくれセルマ」
「……ふぁい、リアム様……」
恥ずかしながら、気絶してしまったのですね。目を開けると、見慣れた『天使のはしご』の天井が見えました。
「ううっうっうっ。セルマァっ。魂が抜けたかと思ったわよぉっ」
ああ、カレンさん……。そんなに泣かないでください。貴女は強く麗しい女性。ダリアの様な凛とした笑顔がお似合いなのです。
カイさん……。毛繕いをよそおってチラ見していないで、素直にじゃれて欲しいですよ? もっと私を毛まみれにしてください。
ディラン様……。さらりと、号泣しているカレンさんの腰を抱いて、支えているところが気になります。なかなかやり手ですね。
って、リアム様……。そんなに力を込めて抱きしめられては、鍛えていない柔な私はバキバキに折れてしまいます。
「もう、セルマったら」
『換毛期になったらしてやる』
「お褒めいただき光栄ですね」
「すまない。加減ができなかった」
あっ、うっかり心の中が口から駄々漏れていました。
それにしても、艶やかに微笑んだディラン様にどぎまぎするカレンさんが可愛いです。
「これは一刻も早く、ディラン様がチャラ男でない証明が欲しいところですね。あれ? また漏れました? 心と体が離れかけて、おかしくなったのでしょうか?」
「ハハハ。もう大丈夫ですよ。ですが、これ以上セルマさんに心労をかけないよう、きちんと証明するとしましょう」
ディラン様がカレンさんを見つめ、クルリとカレンさんを自分の方に向けました。
「カレンさん。貴女とならば、互いにない属性を完璧に補い合えると常々思っていました」
「で、ですが……、先ほどお伝えしたとおり、私は光魔法が扱えないんです……」
「今は扱えないだけであって、適性があれば可能性はあります。他の属性が強力過ぎて、身につくのが後回しになっただけ。私も最後にマスターしたのが闇属性でした」
「ディラン様も?」
照れと迷いで伏せられていたカレンさんの瞳が、ディラン様の言葉に煌めきました。
「はい。ですから、魔法師団に入って修練を重ねるべきです。リアムさんが光魔法の使い手ですから、きっと参考にもなります。どうか、うちに来ていただけませんか?」
「……」
刹那の沈黙ですが、固唾を呑んで見守っていると、ひどく長く感じられるものです。だからこそ、カレンさんが生き方を定めた瞬間がはっきりとわかりました。
すうと息を吸い顔を上げた親友は、恋する乙女から美しく聡明な女性に変わっていました。
「私はより多くを学びたいです。強くなって、巻き込まれ癖のある親友を守りたいですし、ディラン様を支えられるような人間にもなりたいです。――今後も試験を受けます!」
「では、三次の面接でお会いしましょう。ああ、それと――私はカレンさんに、どうしようもなく惹かれています。仕事だけでなく、私生活でも補って欲しいのですが、このお返事は一年後に聞かせてください」
「一年後ですか?――承知しました!」
カレンさんの可能性を狭めることのないよう、大人の余裕を見せつけるなんて、憎い方です。
「お二人とも素敵過ぎます!」
「セルマ……。お願いだからそう興奮しないで、もう少し安静にしてくれないか?」
強制的にベッドに戻された私は丸一日眠り、翌日には体調も良くなったので、街へと繰り出しました。
「おっ、セルマちゃん。なんかこの前会った気もするが、久しぶりの感じもするな。サービスするから見てってよ!」
「はい」
「雑貨屋さ~ん! この時期だから、みんな保温冷弁当箱が欲しいんだって~。オススメしておいたから、仕入れとくといいよ~」
「ありがとうございます」
被害者の私の希望で、王都の皆さんに操られていた件は公表されていません。憑依されたことも悪夢を見せられていたことも、覚えていなかったのです。
ですが、潜在意識に残るのか、行く先々でサービスが良いですね。時々こそこそと囁かれるくらいは日常茶飯事。いつでも誰にでも起きること。いちいち気にしていられません。
それからほどなくして、リアム様が夜勤の日にカレンさんが酒瓶を抱えて来ました。今日はやる気みたいです。
「あのね、念のためって受けてた魔法師団の二次試験が受かったの。いよいよ来月は三次だから、対策しなきゃなんだ」
「と言うことは、入団の意思確認ともなる面接試験に行かれるのですね?」
「うん。あの日のあの瞬間で完全に迷いはなくなったよ。王都を離れて任務にあたる時期もあると思う。けれど、それでもやっぱりディラン様の期待に応えられる魔法師になって、いつか隣に立ちたいんだ」
すごく大人っぽくなったカレンさん。春、エリート魔法師になる未来は鮮明です。
「にしても、もう今年が終わるよー。いよいよセルマは騎士隊長さんの婚約者かぁ」
「ご実家への挨拶が緊張です。秒で嫌われたらどうしましょう!」
「お兄さんがいるんだし、大丈夫よ。何かあったら話しは聞くし、骨も拾ってあげるわ」
「頼みました。そういえば、私がお見受けするに、ディラン様はドSかドMと、振り切れていそうじゃないですか?」
「ええー、セルマもそう思う? 実はあたしもそう思ってたんだぁ。でも、ディラン様ならどっちでもオッケーよ。あたしが合わせちゃうー!」
「すごい。カレンさんは器用なんですね」
「で、セルマはどっちなの?」
う~ん。巻き込まれに対応するうち、受け身体質になっているのは事実ですね。それならば、SではなくMでしょうか?
「私はMですかね」
「キャー。なんか分かるう。セルマって、ドMっぽいもんねー」
「フフフ。でも、優しくされたいので取り扱い注意です」
「リアム様に言いなってー」
明け方の魔法雑貨屋から、かしましい声が聞こえてくる。そんな店の扉が僅かに開いてそっと閉められたが、店主とその親友は酒盛り中で気づいていない。
その日、夜勤明けの騎士隊長が、顔を押さえて何かを呟きながら家路につく姿が目撃されていた。
魔法雑貨屋『天使のはしご』は、本日臨時休業日――