36 親心と子の気持ち カーターとピーター
王都の街に漂う金木犀の香りも薄まった頃、魔法雑貨屋『天使のはしご』に、なんだか不機嫌そうな男の子が訪れました。
「いらっしゃいませ」
「あ~と、作業用の耐熱手袋を五双ください」
頬を膨らませて、いかにも嫌々御使いをさせられているという感じです。
「ただ今準備しますので、お茶でも飲んでお待ちください」
本当はすぐにでも商品を出せるのですが、ひと息ついて気分転換をしてほしいので、先にお茶をお出ししました。
「うまっ! あったまる~」
「ありがとうございます。こちらがお品物になります。領収証は必要ですか?」
少し首を傾げた後コクリと頷いたので、領収証を準備いたしましょう。
「かしこまりました。少しお待ちください」
私は耐熱手袋を使ったことがないので分かりませんが、地球の技術とこちらの魔法雑貨では、どちらの性能が優れているのか気になりますね。
まあ、こちらの火の精サラマンダーの力を織り込んだ手袋も、なかなかすごそうですが……。
「チェッ。今時、背中を見て覚えろなんて、はやんね~よな」
頬杖をついて、一人ブツブツと悪態をついています。大分穏やかになりましたが、ずいぶんふて腐れたお顔をしていましたし、誰かに愚痴を聞いて欲しいのでしょうか?
「お仕事でなにかあったのですか?」
「お姉さん聞いてよ。俺、今親父のところで修行中なんだけどさ、親父の考え方が古いんだよ」
やっぱり話したくて仕方なかったのですね。どうぞどうぞ、サンドバッグばりに刺々した想いを受け止めますよ。
「自分の教え方が下手くそだからってさ、見て覚えろなんておかしくない? しかも雑用ばっか押しつけてくるから、見てる暇なんてないし」
「まあ、それは大変ですね」
きっと、お父様の時代はそうだったのでしょうね。違う世代に上司力を発揮するのは、大変そうです。
ただ、私だって子どもの時があったのです。この方のおっしゃる気持ちもよくわかります。
「お父様に、もっとたくさん教えて欲しいと思っているのですか?」
「まあ、面倒そうだけど、まだそっちの方がいいっかな~って」
中には、一から十まで叩き込まれ、マニュアルに縛りつけられるのはごめん。自分で考えながら動きたい。と思う人もいますから、加減が難しいところですね……。
いい塩梅とはなんぞやと考えていると、男の子はポケットをごそごそしながら青ざめました。
「あれ? いっけね。財布を忘れた……。お姉さんごめん。今日はこれからいきなり任された棚卸をして、明日の午前中は納品があるから無理なんだけど、午後には必ず支払いに来るから、ツケててもらえない? 信用出来ないなら、王都民カードを置いてくから、なんとかお願いしまっす!」
初めてのお客さんでいきなりのツケは遠慮したいところですが、身分証明になる王都民カードを預けてくれると言うくらいですから、ここは信用してもいいでしょう。
「お名前は――ピーターさんですね。カードは確認だけさせてもらえたら大丈夫です。その代わり、領収証を預かっておきますね」
「ありがとう。あ~あ、また親父にどやされちゃうな。でもさ、急に棚卸を言いつけられたのも、親父が手首を痛めてるからなんだ。適当な教え方をされてるのに、こなせちゃう俺ってすごくない?」
へこんだり自信たっぷりになったり、百面相する少年はかわいいものですね。
「フフフ。お父様の手は大丈夫なんですか?」
「う~ん。バレバレなのに、平気なふりして仕事してる。とっとと病院に行けばいいのに、俺にはさっぱり理解できないよ」
「我慢しているのでしょうね。よろしければ、こちらを試供品としてお父様にお渡しください」
やはり身体を酷使して炎症を起こしたときには、安静にするのが一番です。ただ、休ませられない時もあるでしょう。
それならばと、鎮痛効果としなやかな繊維が特徴の、シナーリ木という木の樹皮を使ったサポーターをお渡ししました。
「え? タダでくれるの?」
「はい。是非使っていただいて、ご感想をお聞かせください。気に入ったらご購入もよろしくお願いします。ただ、私はあくまでも雑貨屋です。痛み続けるなら、お医者さんに診てもらってほしいとお伝えくださいね」
こちらを渡せば、息子さんの心配している気持ちがお父様に伝わるはずです。少しでも、お二人の関係性改善のお役に立てるといいのですが……。
二人で話していると、もう一人お客さんがお店に入って来ました。
「おいピーター、財布も持たねぇで飛び出しやがって! しかももう昼だ。俺の休みを、お前の尻拭いで潰す気か!」
「親父!」
「あらまあ。ピーターさんは、カーターさんの息子さんでしたか」
怒りながら扉を開けたのは、王都で代々ガラス工芸家をしているカーターさん。職人組合の件で知り合い、それから贔屓にしてもらっています。
「セルマさんすいませんねぇ。支払いは待たせず現金でしろと教えてるんだが、覚えが悪くて本当に困った奴でさぁ」
「ちゃんと教えもしないくせに……」
「なんだと? 一人前になってからものを言え」
カーターさんのお小言で、ピーターさんはまたむくれてしまいました。
「そんなに叱らないでください。ピーターさんはしっかり仕事の流れを考えて、明日の午後支払いに来ると伝えてくださいました。なんなら、担保を置いていくとまで」
「いやぁ、家の愚息は変なところで頭が回るようで……」
頭を抱えて呆れたようにしながらも、カーターさんはどこか誇らしげな表情です。
「そういえば、カーターさんが手首を痛めているとうかがったので、お試し用のサポーターをお渡ししたんです。是非使ってみてください」
「なにっ!? ピーター、お前気づいてたのか?」
「あんなに動きがぎこちなければ、誰でも分かるって……」
どうやら、言葉が足りなくなってしまうのは、親子揃ってかもしれません。目を見開いて驚いているカーターさんに、ピーターさんの気持ちを少しだけ代弁します。
「ピーターさんは、ちゃんとお父様を見ているんですね。でも、もう少し仕事の件で、カーターさんとお話しされたいみたいですよ」
「そうなのか?」
「……」
頬を赤くして下を向くピーターさんを見て、カーターさんがトツトツと話しはじめました。
「先代たちから仕事は見て覚えろと教わり、こうして技を繋いできた。他の従業員もそうだ。お前だけ特別扱いして過保護にしてみろ。俺が親バカ呼ばわりされるだけならまだしも、お前までデキの悪いバカ息子にされるだろ」
そうですね。特別扱いをすれば、カーターさんだけでなく、ピーターさんまで悪く言われる可能性があります。
「で、でもさ……。俺は山ほど、親父から教わりたい事があるんだ!」
「……。そうか……。本当はな、お前のやることなすこと全部、口を出したけりゃあ手出しもしてぇ」
「えっ? それはウザいから勘弁してくれ」
た、確かにちょっとウザいパパですね……。ピーターさんからは、間髪いれずに否定されてしまいました。
「うるせぇ。親なんて、子どもが転んで痛い思いをしないよう、先の石っころを全部のけたいと思っちまうもんだ」
大切な人が苦しむ姿を見るのは辛いですよね。まして、庇護すべき存在として生まれた子どもなら尚更です。
「うちの商売は火を扱う。火傷なんぞ負われた日にゃあ、それこそ俺は仕事も手につかないだろう」
「変わってやりたくても変われないですからね」
地球上でもこちらでも、何度も耳にしたセリフです。
「しかし、そんなんじゃあ先に死ねん。だから、ひと様に迷惑をかける事と命の危険がないなら、俺はお前を信じて、成長を見守るしかねぇと堪えてきた」
「親父……」
心の内を言葉にするのは、なかなかに勇気がいります。カーターさんが秘めていた親心でした。
「だがな……そろそろ、やり方を見直す時期かも――」
「よ、よし。俺はしっかり親父の仕事を見て覚えるぞ! 安心してくれよ!」
あ、これはきっと、ウザ絡みされるのと今まで通りを天秤にかけ、ピーターさんは後者を選びましたね……。
「……おう、しっかり励め」
少し残念そうでしたが、カーターさんは息子さんの決意に微笑んでいました……。
それでもきっと、父の想いは、ピーターさんの未来を支え続けることでしょう。
成長真っ只中の息子と、深い愛で見守っていた父親。お二人はこれからも、素敵な作品を作り出す職人として、いい距離感で歩んで行くはずです。
『ピーターさんが、素敵な作品を生み出す工芸家となれますように――』
そっと、心の中で祈らせていただきました――
「ニャ」
この日は、カイさんが顔を出してくれました。
「お待ちしてましたよカイさん。さあ、女子トークをはじめましょう。ミルクでいいですか? お魚はありましたっけか――」
『餌で口を割らせる気だな』
カイさんの目がジトっとしましたが、ここはグイグイ行かせてもらいましょう。
そうでもしなければカイさんから恋の話なんて、一生聞けそうもありません。
「最近は、ジェイコブさんの所で過ごしているのですか?」
『ああ。ただ、次のボス猫候補に色々と叩き込むため、しばらく外に出ていた。ぼちぼち俺ものんびりしたいからな』
きっと、カイさんはジェイコブさんとの時間を増やすため、頑張っているのでしょう。
『ま、完璧に育たないうちは、俺が仕切るつもりだ。あいつには時折顔を見せればいい』
「焦らしですね。ダンディズムの塊を手玉にとるなんて、さすがカイさんです。それにしても、カイさんのお眼鏡にかなう方って、どんな猫さんでしょう?」
カイさんのお陰で、私には頼もしい護衛猫の皆さんがいます。次の親分となる方にも、しっかりご挨拶をしませんと……。
『支援団体の人間には顔合わせを済ませているが、セルマともそのうち会う機会があるだろう』
バリバリ親分教育を進めているのですね。カイさんの上司力なら、ジェイコブさんとのんびり過ごせる日も近いでしょう。
「なんだ、カイ殿も来ていたか」
「お帰りなさい、リアム様」
「ニャア」
今日もお仕事をご立派に勤めあげられたリアム様。ちょっと疲れた感じが大変素敵です。
「しばらく姿を見せないと、ジェイコブが沈んでいたぞ?」
「ニャニャー」
「明日顔を出すから、うまい物を頼むと伝えてくれ――だそうです」
「そうか。ジェイコブに伝えておく。しかし、あの仕事人間がここまでカイ殿に心酔するとは、わからんものだ」
カイさんは照れてしまったのか、黙々と魚を食べはじめてしまいました。
リアム様と私は顔を見合せ、思わずニヨニヨしてしまいます。
「ニャッ(自分の事は見えないものだ)」
「未来の婚約者殿しか見えてないんでな」
リアム様には時々、カイさんの言葉が伝わるみたいです。
魚をたいらげたカイさんは『お前らも早くジェイコブを安心させてやれ』と言って、見回りに向かいました。
「カイさんはリアム様のお宅でジェイコブさんと過ごせるよう、次期親分の育成で忙しいみたいです」
「俺もカイ殿に負けず励まんとな――」
艶のある意味深な流し目をいただいてしまいました。まんまと心拍数が上がってしまいますね。
「兄上も年末は領地に戻る。俺はこれまで任務優先で、五年以上母上に会っていない。今年は必ず長期休暇をとる。一緒に帰ってくれるかセルマ?」
「はい、リアム様。お店を閉めてもお客さんに迷惑をかけないよう、私も準備をしていきますね!」
リアム様の生まれ育った場所、生んでくださったお母様。もちろんプレッシャーは感じますが、今年の冬はとても特別なものとなりそうです――
「いらっしゃいませ」
魔法雑貨屋『天使のはしご』に、今日もわけありっぽいお客さんがやって来ました――