23 壊れないノームのマグカップ ヘクター
お日様がてっぺんに昇る前、ちょっとは暑さがましな開店して間もなく――
筋骨隆々とした逞しいおじ様が、魔法雑貨屋『天使のはしご』にいらっしゃいました。
「いらっしゃいませ」
「マグカップが見たいんだ。ノームが作った品があると聞いてな」
「はい。こちらがノームのマグカップです。本当に割れにくいんですよ。ゆっくりご覧ください」
そうは言っても割れ物なので、とても慎重に手に取られていますね。見た目はとても厳ついですが、繊細でお優しそうな方です。
時々唸ったり頷いたりしていましたが、なかなか決まらないみたいですね。
「プレゼントをお選びですか? よろしければ、少しこちらで休憩してください」
夏の定番。香ばしく焙煎された麦茶で一服しましょう。
「長居して悪いな。家内のマグカップを割ってしまったから、急いで代わりの物を買って帰ろうとしていたのだが、どれがいいのかさっぱり選べん」
「自分の物を選ぶより難しいですから、仕方ありませんよ」
こちらの方はヘクターさん。最近子どもたちが巣立ち、奥様と二人暮らしになったそうです。
「奥様の好みはどんな感じでしょうか?」
「わからん……。どれを選んでもダメ出しされそうだ……」
そうこうしている内に、ヘクターさんがお仕事へ向かう時間になりかけていました。
「反省しているのを伝えるためにも、早く行動に移したかったんだ……。一度家に戻って弁当を受け取る時に、サッとカップを渡そうと考えていたんだがな……」
そのお気持ちだけでも、なんとか奥様に伝えられないでしょうか……。
「そうです! 一分でギフト券を作りますから、そちらを奥様にプレゼントしてください! ノームシリーズのマグカップは全部お値段は同じですから、奥様に好きな物をお選びいただけますよ!」
「それは良い! よし、そのギフト券とやらをもらおう!」
上質なカードにカリグラフィーを施し、『天使のはしご』オリジナルギフト券を作ってみました。
これが好評でしたら、今後も皆さんにオススメしてみるのもいいかもしれません。
綺麗な花模様の封筒に入れヘクターさんにお渡しすると、それはそれは喜んでくれました。
「あの、ヘクターの妻ですが、これを渡されたもので……」
昼前には訝しげにギフト券を持った、ヘクターさんの奥様がいらっしゃいました。
「これは、本当にこちらで使えるの?」
「はい。ヘクターさんが今朝方お求めになったのです。どうぞ、ノームのマグカップの中から、お好きな物をお選びください」
「そうなのね……。――うん、これにするわ……」
今もどこか腑に落ちていない表情でしたが、奥様はささやかに植物が描かれた、白いシンプルなマグカップを即決されました。
ラッピングをし手提げに入れた時、おずおずと疑問を口にしてくれました。
「あの……、主人はなんと言ってこれを買いに来たの?」
「奥様のカップを割ってしまったから、すぐに代わりの物が欲しいと。ただ、とても迷って時間がなくなってしまったので、私がギフト券を提案したのです」
ヘクターさんの様子を聞いた奥様は、少しあきれ顔で、でも、どことなく愛おしそうに話し始めました。
「そう……。娘たちも嫁いで、主人の仕事も若い人にほとんど譲ったから、今は週二、三日しか仕事場に行かないの。あの人が家に居るようになったその時間がね……」
「その時間が?」
「苦痛だったのよ」
私は予想だにしないお応えに、雷に打たれた様に固まってしまいました。
ですが、動揺をさとられてはいけませんね。ここはまずお客様の気持ちを傾聴して、スッキリしていただくことに専念しましょう。
「時間をもて余すのか、家事に手を出しては失敗ばかりで、余計な仕事を増やすだけ。洗い物をしてみれば私のカップを壊すし」
まあ! ヘクターさんはマグカップ以外でも、奥様のご機嫌を損ねる事をしでかしていたのですね!
「今までは、日々の出来事なんかを娘たちに話せていたのに、二人きりになってそれ程会話もないし……。子どもたちが緩衝材になってくれていたのよ」
子はかすがいですし、娘さんたちならきっと、お母さんとたくさんお話しをしてきたのでしょう。
「長く家に居られてもイライラしちゃってね。どちらかが出掛けていないと、ため息ばかりが出てくるのよ」
そんな時、ご主人はおもむろに、『ゆっくり夫婦の時間を送れると思っていた……』と呟いたそうです。
「何を今さらと思ったわ。今までわがままも言わずに頑張ってきたんだから、いい加減自由にさせてってね」
そりゃそうですよね。奥様だって、妻業からも嫁業からも少しお休みしたってバチは当たりません。
「でも、あの人なりに私を想ってくれていたのよね……。不器用な人で、対応するのが面倒だったでしょう?」
「とんでもないです。お贈りする相手を想って真剣に悩むお姿に、お優しい方だなと思っていました」
カップを割ってしまった申し訳なさと、新しい物をお渡しした時の期待と不安で、ヘクターさんの大きな体ははち切れそうだったはずです。
「悪い人ではないのよ。――本当、このカップは壊れそうにないわね……」
愚痴を語り終えて、奥様のイライラが軽減されたのかもしれません。
「はい。品質は保証します」
「ありがとう。あんな熊みたいな人でも、可愛いところがあったって思い出せたわ」
そう言った奥様は、ご機嫌でマグカップを持ってお店を出ました。
「家内は来たのか?」
「はい。あの後すぐにいらっしゃり、無事に選んでお帰りになりましたよ」
不安だったのでしょう。仕事帰りのヘクターさんが、『天使のはしご』に顔を出してくれました。
全てはお伝えできませんが、ヘクターさんからのギフト券を喜んでいたと付け加えておきます。
「そうか……よかった……。俺はな、娘たちが巣だっても家内がいればいいと思っていた。それなのにあいつは、暇さえあれば近所で世間話をし、楽しそうに今までしてこなかった習い事を始めたりして、ゆっくり二人で過ごす時間なんてなかった」
二人の時間を楽しみにしていたヘクターさんと、やっと自分の時間を得られたと外に出たい奥様。どちらのお気持ちもよくわかります。
「習い事から帰って飯の支度をすれば、簡単な料理しか作らない。挙げ句、俺の苦手な野菜ばかりを出すんだ。思い描いていたリタイア後とまったく違い、俺は苛立っていた」
『俺に草しか食うなって言ってんのか!』
『あんたの無駄にデカイ体を考えて料理してるの! それに、あたしはやっとできた自由時間を楽しんでるだけよ!』
そんな風にギクシャクしていた時、奥様が倒れてしまったそうです。
「俺は家の事は全部任せっぱなしにしてきたから、何一つ家事ができなかった。自分の着替えが何処に入っているのかさえ知らなかったんだ」
「そうでしたか」
幸い奥様は、軽い貧血ですぐにお元気になられたそうですが、そこからさらなるヘクターさんの空回りが始まったそうです。
「焦った俺は、少しでも家内に安心してもらおうと家の事をやってみた。『余計な事はしないで』と言われたが、俺だってできるとムキになってやり続けた。でも、一朝一夕で上手くこなせる訳がない」
それはそうですよね。いきなり始めても、奥様みたいにはこなせません。家事を軽視しすぎなのです。
そう出てきそうなのを我慢し、ここでも聞き役に徹します。
「洗濯は服をボロボロにして失敗するし、面白そうだし自信があった料理はからっきしダメ。単純だと考えていた洗い物でさえ、家内のお気に入りのカップを壊す始末でな」
「だから朝一番で、ここにいらしたのですね」
趣味を作ろうとすれば“二人の時間が”とイジイジされ、健康面を考えればイライラされ、さらに家の中は引っ掻き回され、奥様は余程溜め込んでいたのでしょう。
ですが、そもそもヘクターさんは新生活を前向きに捉えての行動が多い方なので、なんとも複雑な気持ちになりますね。
「俺が割ったカップは、付き合う前の家内に重くない贈り物をと、一生懸命考えて渡した物だったと気づいたんだ。だが、大切に使ってくれていた喜びも、壊した詫びを口にすることも出来ず、とにかく新しい物を買って渡さねばとここに駆け込んだ。――三十年以上も割らずに使ってくれていたのに、最後に壊したのが俺なんてな……」
大きな体がみるみる小さくなってしまいました。ここは励ましませんと!
「奥様はずっと、ヘクターさんとの生活もカップの思い出も、守ってきてくれたのですね」
「ああ。俺が外で稼ぐだけだったのに、あいつは多くの事に気を回して大変だったろう。近所やら、俺の職場やら、娘たちのことやら、家のことやら、自由な時間なんてなかったはずだ。この歳になってわかるなんて、あいつからすれば腹が立つだろうな……」
「それでも、一緒に家庭を築いてきた年月は失われませんし、物は変わっても、カップへ込めた気持ちは変わってないのですよね? 奥様も、昔を思い出されたようですよ?」
「そうか……。――よし、もう一度考えを伝えてみるか! 家内との時間はまだまだあるんだ。焦らずあいつの話しも聞きながら、二人で何とかやってくさ!」
「奥様にお送りしたノームのマグカップは、たとえ剛力な男性が扱っても割れません。今までお二人が築いたご関係のように頑丈なのです」
「ありがとう。色々気を遣わせたな」
少し照れくさそうにして笑うヘクターさん。
私には、お二人が仲良く台所に立つ姿が見えたような気がしました。
「いらっしゃいませ」
今日も魔法雑貨屋『天使のはしご』に、わけありっぽいお客さんがやって来ました――