11 ミラちゃんの秘密のお弁当箱
窓に張りつく雨蛙をよく見かけるようになった頃、『ダルマ』目的で詰めかけていたお客さんの予約が一通り済み、お店は落ち着きを取り戻してきました。
王都にある魔法雑貨屋『天使のはしご』に、もう少しでいつものゆっくりとした時間が流れそうです。
「いらっしゃいませ」
「こんにちは、保冷温弁当箱はありますか?」
「はい。こちらにございますよ」
仕事の休憩中にこちらに立ち寄ったのでしょうか? 今日のお客さんは、隊長さ――リアム様と同じ歳くらいの男性です。
保冷温弁当箱は、火・氷・風の魔石を使っており、保冷と保温のどちらもできて便利です。
私は男性が好む、大きくて黒い、ドカンとたっぷり入るお弁当箱を取り出そうとしました。
「あっ! 違うんです。五つになる娘の弁当箱なんです。女の子にはどんな柄がいいんですかね?」
娘さんのお弁当箱でしたか。そうでしたらと、口なのか鼻なのか分からないバッテンをつけたかわいいウサギのキャラが描かれた物と、小花柄のお弁当箱をお見せしました。
「えーと。難しいですね。どっちがいいのかな……」
「お急ぎでしょうか? 女の子は持ち物へのこだわりがあるでしょうから、今度お二人でいらしては?」
男性もそう思ったのか『その方がいいですね』と、一度お店を出られました。
その日の夕方、お弁当箱を探していた男性と娘さんが、お二人で再びご来店されました。
「ほら、どっちがいいんだ?」
「……どっちも嫌……」
「どうしてだ?」
「お弁当箱なんて……いらないもん……」
男性も私も困ってしまいました。『天使のはしご』は取り扱う商品が多いので、幼い女の子向けのお弁当箱はこれしか置いていません。
でも、女の子は小花柄のお弁当箱の方を言葉に反し、物欲しげな目でチラチラと見ています。
どうやら、お弁当箱を気に入ったのに、素直になれないだけのようです。
その時、お店の扉が力強く開けられました。
「ジャン! ここにいるって聞いてな。早く来てくれ! 現場の足場が崩れて、通行人が怪我をしたかもしれない!」
「分かった! ミラ、一人で家に帰れるか?」
「……」
ジャンさんのお仕事関係で、事故が起きたようです。
そちらも心配ですが、五歳の女の子を一人で帰らせるわけにはいきませんよね。
「差し出がましいかもしれませんが、ミラちゃんをこちらでお預かりしましょうか? 何時になっても構いません。遊ぶ物はたくさんありますから、心置きなくお仕事へ行ってください」
「すまない、感謝する! ミラ、お利口さんにしているんだぞ!」
ジャンさんはお仕事モードに入り、現場へと向かいました。私はミラちゃんが寂しくならないよう、オレンジジュースをお出ししました。
「ミラちゃんは、お弁当箱が気に入りませんでしたか?」
「ううん。とってもかわいいと思う」
「ありがとうございます。でも、どうしていらないと言ったのですか?」
眉間にシワを寄せ、泣くのを我慢しているみたいです。でも誰かに話を聞いてほしかったのでしょうか……。
小さい手をギュッと握りしめながら、私に理由を話してくれました。
「お母さんが死んでから、パパがお仕事の間はおばあちゃん家に行くの」
「おばあちゃんのお家に行くのが嫌なのですか?」
「……。おばあちゃんに迷惑かけないようにしなきゃなって、お父さんがお弁当を作ってくれるの。でも、おばあちゃんがね……」
ミラちゃんのつぶらな瞳が、ウルウルしてきました。
「おばあちゃん、パパのお弁当をかわいくないって言うの。イロドリ悪いし、茶色いのを詰めただけだって言うの……。とっても美味しいのに……」
「ミラちゃんはそれを聞いて、悲しい気持ちになったのですね?」
ミラちゃんはコクンと頷き、とうとう我慢できなくなったのか、ポロポロと涙をこぼしました。
フワフワ素材のハンカチで、優しくミラちゃんの涙を拭きます。
「街のおばあちゃんはね、きっとパパのことが嫌いなの。ママが早く死んだのは、パパが無理させたせいだって言ってた……。だからね、もうおばあちゃんのところに行きたくなくて、ミラがお弁当箱を隠したの……」
私はミラちゃんの頭を撫でました。とても悪いことをしてしまったと感じていたのでしょう。それでも勇気を出し、私に話してくれました。
なんとなく状況が分かりました。ジャンさんは仕事の間、奥さんの実家にミラちゃんを預けているのですね。
そこでミラちゃんはパパの悪口を聞いて、悲しい思いをしていると……。
おばあさんから見れば、かわいい娘と孫に、他人のお婿さんかもしれませんが、ミラちゃんにとってはパパもおばあちゃんも家族に変わりはないのです。
さて、どうお答えしましょう……。
私は、ミラちゃんにこう言いました。
「ここは魔法雑貨屋です。このお弁当箱には、秘密の魔法がかけられています」
「わぁ! どんな魔法?」
ミラちゃんの目が、小花柄のお弁当箱に釘付けになりました。悲しい気持ちも吹き飛んだのでしょう。
「このお弁当箱を持っている時、好きな人の話をたくさんすると、話を聞いた方もその人のことを好きになってしまうのです」
「じゃあ、パパの話をたくさんすると、おばあちゃんもパパを好きになるの?」
私は人差し指を口に当て、こう答えました。
「はい。でも、ミラちゃんと私だけの秘密ですよ」
「うん!!」
それから一時間ほどして、ジャンさんがミラちゃんを迎えに来ました。
「パパ! このお弁当箱買って!」
「ん? そうかそうか。こっちがいいか」
こうして、ミラちゃんはお弁当箱を買ってもらい、大好きなパパと家に帰っていきました。
「セルマ、いるか?」
「たいちょ――リアム様、いらっしゃいませ」
リアム様は、やれやれだなと呆れた表情です。
「早く名前に慣れてくれ。それに『いらっしゃいませ』じゃない。俺は客じゃなく、セルマのなんだ?」
「か、……彼氏です」
「なら、お帰りなさいとか、お疲れさまがいいな」
正式にリアム様とお付き合いを始めて一ヶ月弱。一向に慣れる気がしません。大人の男性とお付き合いするのって、難しいですね。どうしたら意識せず、自然に振る舞えるのでしょうか……。
毎日会う? デートを重ねる? 手を繋いだりしてイチャイチャする? もっとお互いのことを知っていく?
うーん。まだまだ時間がかかりそうです。考えてもらちが明かないので、話の流れを変えましょう。
「夕方、なにか大きな事故でもありましたか?」
「商売人は情報が早いな。建設現場で足場が崩れてな……。通行人に負傷者が出たんだ。幸い死者は出なかったし、怪我も軽く済んでよかったがな……」
ジャンさんが呼ばれたのは、その現場だったのかもしれません。いつも大変なお仕事に向かう前に、ミラちゃんのお弁当を作っているのですね。
「なあ、セルマ。二人でいるんだから、一人で考えごとするのは止めてくれ」
「はい……」
「今度の休みの日、二人で出掛けるか?」
「どちらに行くのでしょうか?」
私の体力はおじいさん以下です。アウトドアなことは苦手なのですが……。
「初めての二人でゆっくり過ごすデートだ。俺も考えておくから、セルマも気になる場所があったら教えてくれ」
「はい」
しばらくその日の出来事などを雑談し、リアム様は『また明日も仕事帰りに寄る』と、家に帰って行きました。
とっても健全なお付き合いです! これでもドキドキするのですが、デートとなったら……。
よし、今は付き合い始めのこの高揚感を、味わえるうちにたっぷりと味わっておきましょう!
でも……毎日好きな人と逢えるって……幸せですね……。
私はリアム様のことを考えて、布団でゴロゴロ転がるうちに、いつの間にか眠りに落ちていました。
その日から二日後のことでした。お店の前を掃除していると、ミラちゃんがおばあさんと手を繋ないで歩いて来ました。
「ミラちゃん、こんにちは」
「こんにちは、お姉さん!」
おばあさんから離れ、ミラちゃんが私のところにやって来ます。そして、私の服の裾をクイクイと引っ張り、そっと口を私の耳に寄せました。
「あのね、あのお弁当箱、もう魔法が効きはじめたみたいなの」
無垢な笑顔を見せ、嬉しそうに報告してくれました。
頑張ってパパのいいところを、たくさんおばあさんに伝えているのでしょうね。
その魔法は、ミラちゃんが頑張ったから効いてきたのです。
ミラちゃんがもう少し大きくなったら、本当のことをお伝えしましょう――
大人が何気なく言った言葉に、敏感な子どもは傷ついたりしているのです。
幼くてもしっかり理解し、聞いているのですね。
感じる力が大きいのなら、幸せに感じてくれる言葉を沢山伝えてあげたいと私は思います。
あ、そういえば、リアム様とのデート場所はどうしましょう!?
今日も、魔法雑貨屋『天使のはしご』に、わけありっぽいお客さんがやって来ました――