6 page 本当に伝えたかったことは
「おばあちゃん、魔物が……魔物が来たの! 逃げなきゃ!」
「オリヴィア、まだこんなところにいたのかい?!」
私よりずっと驚いた顔をしたおばあちゃんは、立ち上がろうとして「あいたた……」とひざを押さえた。
「大丈夫? 歩ける? もうすぐそこまで来てるの……!」
「知ってるよ。あたしのことはいいから、お前さんは早く逃げなさい」
「逃げるわ、だからおばあちゃんも一緒に――」
ロビンおばあちゃんはいつものように笑った。
「あたしは無理だよ。いいんだ、この家と一緒に朽ちるならそれはそれで本望さ」
それはまるで、ここで死ぬことを宣言しているようで。
私は大きく首を横に振った。
「ダメ! おばあちゃんに何かあったら息子さんが悲しむわ!」
「順番なんだよ、オリヴィア。あたしはもう十分生きた。でもお前さんはまだ若い。生きなきゃいけないよ。ほら、早く逃げるんだ」
ぐいぐいと背中を押されて、それでも私は留まった。
力なんて何もない私だけれど、おばあちゃんを置いていけるわけがない。
この村外れにいるおばあちゃんのことを、私以外にも誰かが覚えているはずだ。だからきっと助けは来る。
でも、もし力のある剣士や魔法士たちがすぐに来てくれなかったら……そう思うととても怖かった。
今にもあの魔物がこの樫の樹に登ってくるかもしれない。
せめて時間をかせがなきゃ――。
私は壁際にあった小さな飾り棚を、玄関扉の前に押して移動させた。
扉が開かないように、ソファーも押してくっつける。
「オリヴィア、お前さんなにを……」
「おばあちゃんが逃げないなら、私も逃げない。ここで村のみんなが助けに来てくれるのを待つわ」
「馬鹿を言うんじゃないよ! お前さんはひとりでも逃げないと……!」
「しっ、おばあちゃん。静かに」
カーテンのすき間からのぞくと、すぐ前の道に魔物が姿を現すところだった。こちらを見上げたようだった。
家の灯りがついているのを今から消すわけにはいかない。
この家に私たちがいることを、余計に知らせることになってしまう。
(こっちに来ないで……!)
部屋の奥に移動して、おばあちゃんとふたり、手を取り合って座り込んだ。
息を殺していると、ギシ、ギシ、と階段がきしむ音が聞こえてきた。
登ってきている。
全身の血が凍り付くような恐怖を覚えた。
おばあちゃんが小さい声で「あたしが前に出るから、お前さんはその隙に横から逃げなさい」と言った。
怖かったけれど、そんなことはできない。
「いやよ、絶対にいや」とだけ返す。なおもなにか言おうとしたおばあちゃんは、ガチャガチャ、と玄関扉の取っ手が音を立てたのに、言葉を飲み込んだ。
「来たよ……オリヴィア、いいかい、お前さんは逃げるんだよ」
「無理よ。私だけ逃げるなんて、そんなの絶対にダメ……!」
様子をうかがうように、ガチャガチャと扉が鳴る。
私は震える手で、胸元のペンダントを握りしめた。
カイからもらった御守り……今こそ助けて欲しい。でもそんなに都合良く、この状況が好転するわけがない。そこまで楽観的にはなれなかった。
ふと、テーブルの上に乗っている紙が目にとまった。
同時に、玄関がガン! と音を立てた。
思わず小さい悲鳴をもらす。
縮こまりたいのを我慢して、私はテーブルに手を伸ばした。
「オリヴィア……? なにをするんだい?」
紙とペンを取りあげた私を、おばあちゃんは怪訝な顔で見つめた。
きっと誰か、村の人たちが助けに来てくれる。町外れにひとりでいるおばあちゃんや、力のない私を見捨てたりしない。
でも、助けが来るまで私たちが持ちこたえるとも思えない。
(カイ……)
無事なのかどうか、分からなかった。
でも信じてる。カイならきっと魔王を倒して、この世界を平和にしてくれるって。
私はいつまでも、応援してるから――。
そう、伝える言葉を書きたかった。
でも書けたのはたった一文。「カイ、愛してる」とだけ。
精一杯の、最後の告白――。
玄関の扉が、外からの圧力を受けてメリメリと音を立てた。
裂けるように割れた木のすき間から褐色の手がのぞく。壁から引きはがされた扉が、樹上から放り投げられて落ちていった。
飾り棚の向こうに、青い舌を垂らした蜥蜴の頭が見えた。
震える手で折りあげた鳥を放すと、白い光は蜥蜴の横を通り過ぎて空に消えていった。
(どうか……)
どうか、最後の手紙が、カイのところへ届きますように。
蜥蜴頭は飾り棚によじ登ると、私とおばあちゃんを冷たい金色の目で見下ろした。はじめて間近に見る魔物だった。
2本足で立っているのに、人間とは似ても似つかない。全身をおおう褐色のウロコが不気味さを際立たせている。腐った水のような、不快な匂いが鼻をついた。
大きく裂けた口が、笑ったように見えた。
魔物は床に飛び降りると、一歩二歩と私たちに近付いてきた。
もう逃げ場所などないことを分かっているように。
「オリヴィア、立って逃げるんだ……!」
おばあちゃんが必死にそう訴えていたけれど、私は半分泣きながら首を振った。
おばあちゃんを助けなきゃ。でも私は自分すら助けられそうもない。
私よりずっと体温の低い硬い手が、左の足首を掴んだ。
すごい力で引きずられて、反対の手でのど元を捕まえられた。
「オリヴィア……!」
おばあちゃんがすぐ側にあった花瓶を手にとって、魔物に投げつけた。
蜥蜴頭はそれを一瞥すると、空中でたたき落とした。
ガラスの割れる音が、鳴り響いているサイレンの音に同調して室内に響き渡る。
首が痛い。息が……苦しい。
持ち上げられて、足が床から離れた。
「この化け物! その子を放すんだよ!!」
おばあちゃんが魔物の腕に飛びつくのが見えた。
振り払われて床に転がった姿に、ヒュッと自分の口から音が鳴る。
「おばあちゃん、ダメよ逃げて」と声にはならなくて――
薄れていく意識に、覚悟を決めた。
こんな風に魔物に殺される自分を、少し前までは想像出来なかった。
人生って、いきなり終わりがくるものなのね……
カイ、と。
音になったか分からないほど小さい声で、彼の名を呼んだ。