5 page まさかリトルシアに……?
その日は、食堂の主人の依頼で手紙を飛ばしにきていた。
私のとなりに座った旅人と、おじさんの会話に、背中がすうっと冷えた気がした。
「勇者一行が行方不明って……どうして……? 確かなんですか?」
強ばった声で、横から尋ねた。
そんな不吉な話、現実のことだと思いたくない。
西から来た旅人は、魔王の従僕だという強い魔物の話をしてくれた。西の国は前々からその魔物に悩まされていて、誰の手にも負えなかったそうだ。
そこをカイのパーティーが討伐に行ったのが、1ヶ月ほど前。
「勇者は討伐に出たあと、消息がつかめていないそうだよ。彼らが国を出て行くときにその姿を見たけれどね、本当に立派だったなあ……ここが勇者の産まれた村だって聞いて、寄っていこうと回り道してきたんだ」
西の国は、勇者一行を鳴り物入りで送り出したらしい。
カイの姿を見た人は多く、次は凱旋パレードだとしばらくの間、国全体が賑わっていたそうだ。
でも、勇者一行はそれきりどこに行ったか分からないという。
「あれから西の国では魔物の数が激減したんだ。だから、魔王の従僕は彼らのパーティーと相討ちになったのかもしれないってうわさもある。実際のところは分からないけれど、勇者たちが行方不明なのは確かみたいだよ」
「そんな……」
「ここに来るまでの間にも魔物の話はつきなかったよ。ぼくたちの西の国は落ち着いたけど、あちこちで魔物の動きが活発になっているらしい」
旅人の話に、おじさんが難しい顔でうなずく。
「だんだんと南下しているらしいって話は聞いた。このリトルシアも呑気にしていられないな」
「そうだよ、奴らはどこからかいきなり現れるんだから」
旅人とおじさんの声が遠くに聞こえた。
カイが旅先で倒れる可能性を考えていなかったわけじゃない。
ただ、考えていたからといって、覚悟が出来ていたとか、大丈夫だとか、そういうことには繋がらないのだと思い知った。
「オリヴィアちゃん、顔が真っ青だよ。大丈夫かい?」
おじさんが気遣うように声をかけてくる。
大丈夫じゃない。大丈夫のわけない。
でも今は、私の仕事をしなきゃ。
「ええ……おじさん、ごめんね。手紙、飛ばすわ」
無理に笑顔を作ると、うまく動かない指で鳥を折って、手紙を飛ばした。
お礼を受け取って、なにを最後に話したのかすら覚えていない。
混乱した頭で店を出た。
(カイ、どこにいるの……?)
すぐにでもカイのいるところへ行きたかった。
無事かどうかを確かめたかった。
世界のどこへ行きたい? と聞かれたら、いつだって、私の行きたいところはカイの側しかない。
(無事でいて……)
送った鳥は、きっと受け取ってくれてる。彼は生きてる。
そう信じて待つしかない。
家に帰ってカイに手紙を書こうと思ったけれど、筆が動かない。
私の鳥は、受け取る人がいない場合――ようするに、亡くなっている場合には戻ってきてしまう。
もしこの鳥を飛ばして、帰ってきてしまったら……
そう思うと、どうしても手が動かなかった。
胸に揺れるカイからもらったペンダントをぎゅっと握りしめた。
私も、彼になにか御守りをあげられれば良かった。
想うだけじゃなく、励ますだけじゃなく、身を守ってくれるような御守りを贈ってあげれば良かった。
カイ、大丈夫よね?
きっとどこかに、無事でいるわよね?
その日は手紙を書くことをあきらめて、考え疲れて、ソファーでうとうと眠ってしまったらしい。
どれくらい経ったのだろう。
遠くに聞こえるサイレンの音で、目が覚めた。
「……何?」
何度か聞いたことのある音だった。
水害や、ひどく天候が荒れるときに響く、村の警戒警報。
狼の遠吠えのように、村の端まで不吉に響いてくるサイレンに不安が広がった。
何があったのだろう。
外に出た。
村の向こうに重く、黒い雲が見えた。
空の一部だけを覆う不自然さに、思わず眉をひそめる。
周囲には、不吉な赤銅色が広がっていた。
もうお日様は沈んでしまった。夕焼けじゃない。赤黒い空を見ていると無性に気持ちが悪かった。
「……あれは、火事?」
口に出して、ざわりと悪寒が肌をなでた。家が燃えている。1軒だけじゃない。
どこからか人の悲鳴が、風に乗って聞こえてきた。
リトルシアの村が、魔物に襲われている――。
すぐにそう分かった。
美しいリトルシアが、魔物から襲撃を受けている。
遠くで戦いの音がした。
剣のぶつかる音、魔法が行使されて、爆発を起こす音。
「ど、どうして……?」
昼間に、旅人と食堂のおじさんが話していたことを思い出した。
あちこちで、魔物が現れている。リトルシアも、呑気にしていられない。
確か、そんなことを言っていた。
でも、そうだとしてもこんな急に魔物が現れるなんて……
急速に思い出したのは、カイがここを出ていく前に交わした、会話の内容だった。
村を出て行くと言ったカイに、どうしてと尋ねた私。
「――いつも、奪われるのは一瞬なんだ」
眩しい陽光を受けながら、カイは言った。
「オヤジの同僚や、色んな人から魔物の話を聞くよ。あいつらは、本当に人間を滅ぼそうとしている」
「知ってるわ。でもなんでカイが行かなきゃいけないの?」
そんな危ないことやめて。ここから出て行かないで。
あと少しでそう言うところだった私より先に、カイが口を開いた。
「なくしたいんだ、悲しいことを。いきなり日常を奪われて、大切な人や場所を壊されて泣く人たちをなくしたい。もし俺に力があるのなら、平穏な世界を護りたいんだ」
だから、俺、行くよ――。
そのときの彼の顔を、はっきりと覚えている。
正しいと思うことを押し通すときの、それでいて私が傷つかないかと気遣う、少し困った笑顔。
そうだ、奪われるのは一瞬だとカイが教えてくれた。
この平穏な日々は、すぐに消えてしまうかもしれない危うさといつでも隣り合わせだったのに。
彼が帰ってくるはずのここが、永遠にあるなんて、なんて傲慢だったんだろう。
恐怖に体が動かなくなりそうだった。
遠く向こうの道に、大きな蜥蜴の頭を持った魔物が姿を現すのが見えた。
(こっちへ来る――?)
まだ向こうからこちらは見えていない。
周囲に人の気配はなかった。みんなは逃げたのだろうか。
そこまで考えてから、はっと思い当たった。
「……おばあちゃん……!」
私は転がるように急な階段を駆け下りた。
3本となりの樫の樹の、同じように急な階段を登って、ノックもせずに扉を開く。
「ロビンおばあちゃん!」
おばあちゃんは、いつものように揺り椅子に腰かけていた。