4 page 今さら気づくなんて馬鹿でした
夜も遅くなって、外には人通りがなかった。観光客ももう宿で休んでいる時間帯だ、当然だろう。
私はベルタとふたり、灯りを落とした店が並ぶ通りを歩いていた。
「あの、もうここまでで十分ですから……ありがとうございました」
大きな通りからも外れたところで足を止めた。家は村の端にある。さすがにそこまで送ってもらうのは心苦しかった。
それにリトルシアに事件なんてまず起こらない。危ないことなんてないのだから、立派な剣士に護衛を頼む必要はなかった。
丁重に断ったつもりだったのに、ベルタは首を縦に振らなかった。
「いいから行こう」
さっと手を握られてそのまま引かれた。思わず頬に熱が集まる。
異性と手を繋いで歩いた記憶なんて、カイくらいしかない。
こんなことをされると、好意を持たれていると勘違いしそうになって、恥ずかしくなる。
そのまま少し歩いたけれど、いたたまれなくなって私は言った。
「あ、あの。本当にもう大丈夫ですから、手を離していただけませんか?」
半歩前を歩いていたベルタは振り向くと「うん?」と分かっていない顔をした。
とりあえずこの手を離してほしい。親しい間柄でもないのに不自然だ。
「もう家もすぐそこですし、ひとりで帰れますから……」
「オリヴィアちゃんて、見た目通り真面目なんだなぁ……」
感心したようなセリフとともに、強く腕が引かれた。1歩よろめいて、彼の胸に顔をぶつけそうになりながら止まる。
急な仕草に驚いてベルタを見上げた。
「俺のまわりってさ、いっつも強い女の子しかいないんだよね。オリヴィアちゃんみたいに女の子らしくて可愛い子を見て、癒やされたくなるのは仕方ないと思わない?」
「……え?」
「軽薄な男だって思わないで欲しいんだけど……正直に言うと、一目惚れなんだ」
何を言われているのか理解出来なかった。
ただ妙に近い距離で、ベルタが私を見下ろしている。
「ねえ、俺と一緒に行かない? 世界中どこへでも連れて行ってあげる。きっと楽しい旅になるよ」
世界中どこへでも? 私が旅?
唐突な提案に、返す言葉が見つからなかった。
どう考えても足手まといにしかならない、私が旅なんてできるわけがない。
それに、行きたい場所なんてひとつしかない。
「どうかな? 俺のこと嫌い?」
「じょ、冗談、ですよね……? 私は、魔法士でも剣士でもないんです。なんのお役にも立てませんから……」
「冗談じゃないよ。戦えなくても問題ない、俺が守ってあげる」
本気だと分かって、先ほどまで気にならなかった笑顔が途端に怖くなった。
すぐにでもこの場から逃げ出してしまいたい。
それなのに掴まれた腕がそれを許さなかった。
「あの、手を……」
「オリヴィアちゃん、付き合ってる男もいないって言ったよね? 俺がこんな田舎よりもっといいところに連れて行ってあげるよ。こう見えてうちは結構稼いでるパーティーなんだよ? 街に行ったら好きなものを買ってあげる。悪い話じゃないと思うんだ。ちゃんと考えてみてよ」
考える、までもない。
だって私は――ここで、カイを待って……
どうしてだろう。そこで気づいてしまった。
魔王を倒したら、カイは本当にここに帰ってくるの?
旅先でこんな風に誰かと出会って、リトルシアのことなんか忘れてしまうかもしれない。
ううん、そうだ。どうして今まで考えなかったんだろう。
カイに、もう恋人がいたっておかしくないのに。
帰ってこなくたって、不思議じゃないのに――。
青ざめた私を見て、ベルタは首をかしげた。
「オリヴィアちゃん、大丈夫? もしかして酔って気分悪い?」
ベルタはそう言うと、掴んでいた手を離して、私の顔に触れた。
違う。酔っているのはきっと、彼のほうだ。
陰った赤茶の瞳が近付いてきて、ぞくりとした。
「や、離して!」
思いきり胸を押すと、その手から逃げ出して走った。
呼び止められたけど、振り返らずに走った。
樹にかかる急な階段を一気に駆け上って、ドアを開けて閉めた。
ガチャリと鍵をかけて、背中を戸につけたまま、ずるずるとその場に座り込む。
まだ心臓が嫌な音を立てている。
家を出たときは、もしかしたらカイが帰ってきたかと思ったのに。
わずかな期待は崩れ去って、代わりに現実を突きつけられた。
カイは魔王を倒しても、ここへ戻ってこないかもしれない。
どこかで知らない誰かと、家族を持つのかもしれない。
その可能性に気づいてしまった。
一度気づいてしまえば、もうなかったことにはできない。
「カイ……」
しばらくそのまま動けなかった。熱いものが、胸から喉に込み上げてくる。
カイがここを出て行ってから、毎日のように彼の無事を祈っていた。
そうして、いつかここに戻ってきてくれることを夢見ていた。ただそれだけ。
カイが戻ってきたあとに何かを期待していたわけじゃない。なのに、ひどく虚しかった。
頭から離れないモヤモヤを、ベルタの言葉を、振り払おうとすればするほどそこから離れられなくなって。
なんとか立ち上がってベッドに潜り込むと、泣きながら眠りについた。
早朝。
チリン、と鈴の音で目が覚めた。
こんな朝早くに配達――?
腫れぼったい目をこすって、体を起こす。
引き上げた窓枠の向こうに、草色の封筒が見えた。
急いで拾い上げると、封筒の中に固い感触があった。
カイからだ。なんだろう。
ドキドキしながら、いつもより乱暴に封を開けた。
便せんと一緒に、しゃらりと滑り出てきたのは小さなペンダント。
涙型の透明な、清楚なデザイン。
◇◆◇*◇◆◇*◇◆◇
オリヴィアへ
サミュエルに頼んでたやつが、やっと出来たんだ。
御守りだよ。身につけていれば役に立つ。
困ったとき、危ないときは、ちゃんと俺を思い出せよ。
カイ
◇◆◇*◇◆◇*◇◆◇
「御守り……」
急いで書いたのだろうか。たったそれだけの短い手紙。
私の弱い心を見透かされた気持ちになった。
何に虚しさを覚えていたの? いつの間に、こうして気にかけてもらえる幼なじみでいることに、満足出来なくなっていたの?
「馬鹿ね、私……邪魔しないって、決めたはずなのに」
白銀のチェーンを取りあげて、首にかけた。
涙型の御守りを握りしめた。
そうだ。カイがもし愛する人を見つけてもかまわない。
今大切なのは、カイが帰ってきてくれるかどうかじゃなくて、彼が無事に目的を果たせるかどうかよ――。
たとえカイがここへ戻ってこなかったとしても、応援しよう。
彼の旅が終わるまで、励ます手紙だけは送り続けよう。そう、心に誓った。
3日後、ジェシカはベルタのパーティーと村を出て行った。
世界を見に行きたいという、彼女の願いは叶った。
ベルタはジェシカについて一度だけうちを訪ねてきたけれど、私は彼らと行くことをはっきりと拒んだ。
そしてペンダントの手紙を最後に、カイからは手紙がこなくなった。
もうあれから4週間経つ。
いつもは2週間に一度は返信が来るのに。
4度目の一方通行の手紙を飛ばしながら、何かあったんじゃないかと気が気でなかった。
西から来たという旅人に「勇者一行が行方不明らしい」という話を聞いたのは、ちょうどそのときだった。