1 page 地味な異能力者です
この小さな村を訪れた人たちは、みんなが口をそろえて言う。
「とても素敵なところですね」と。
咲き乱れる野の花と、なだらかな棚田に囲まれた田舎村。
樹上や地上にはおとぎ話のような人の住処が並ぶ。
色鮮やかな鳥が空を舞い、豊かな水がたえることのない緑の楽園。
一年中吹く穏やかな風に守られた、澄んだ空気のおいしさは格別だと思う。
王都からは馬車で3日も旅しなければ辿り着けない、辺境の村。リトルシア。
都会の景色を見慣れた人たちにとって、ここは理想郷のように見えるらしい。
理想郷。そうかもしれない。
だって私もこの美しいリトルシアが大好きだ。
生まれてから19年間、ずっと過ごしてきたこの村を愛している。
それでも、私の理想郷には足りないものがひとつだけある――。
ガラス窓の向こうで配達を知らせるベルがチリン、と鳴った。
お茶を煎れていた手を止めて、窓辺へと急ぐ。
両手で引き上げた窓枠の向こうに、草色の封筒が見えた。
思わず頬が緩む。小さな木箱の中に手を伸ばして取りあげた、たった一枚の封筒は思いのほか重く感じられた。
待ちに待った手紙だ――。
胸の中であたためるように持って、窓を閉めてからベッドに腰掛けた。
二週間ぶりの手紙にはやる心を抑えつつ、サイドテーブルのペン立てから羽型のペーパーナイフを取りだして、丁寧に開封した。
◇◆◇*◇◆◇*◇◆◇
オリヴィアへ
予定通り大陸の端まで行ってきたよ。
タイリクオオカミたちが頑張ってくれたけれど、今回はなかなか骨の折れるソリ旅だった。
結局、目的地の氷の神殿にも魔王はいなかった。
また情報がデマだったのか、移動されてしまったのかは分からない。
それでも難しい敵が多くて時間がかかった分、経験値も稼げたし、みんなはまたレベルがあがったよ。
魔法士たちも新しいスペルを覚えたし、これからの旅がやりやすくなったと思えば、苦労したかいがあったってもんだ。
明日からは北の大陸を離れて、また少し西に移動する予定だ。
魔王の従僕が暴れているらしいから、直接行ってみて誰も手に負えないようなら、俺たちが討伐を請け負う。
もしかしたらそこで、確かな手がかりがつかめるかもしれない。
そうすれば魔王の居場所も特定出来ると思う。がんばるよ。
でも少しだけ弱音を吐くのなら、次は暖かい国に行きたかったな。
ずっと雪と氷の中を歩いていたのに、西の国もまだ寒いらしいんだ。リトルシアの暖かい空気が恋しいよ。
手紙を送れそうな拠点に着いたらまた連絡する。
オリヴィアの顔が見たい。
カイ
◇◆◇*◇◆◇*◇◆◇
2枚の便せんを読み終わって、もう一度読み返した。
平らではないどこかで書いたと分かる、ところどころ崩れた彼の文字が愛おしくてたまらない。
一度ペンを置いたあとで書き足したような、最後の『顔が見たい』の一文に泣きたくなった。
ひとつ年上のカイとは、幼い頃からいつも一緒だった。
近所の子たちと泥だらけになって遊ぶのも、いたずらをして大人に叱られるのも、星空を見上げて将来の夢を語るのも。
私たちは兄妹のようにここで育ってきた。
彼の高い声が変わって男性のものになるのも見てきたし、16歳になった私の成人式にエスコートしてくれたのも彼だった。
カイが私とは違う性を持っていると、はっきり意識したのは大分遅くて、彼が16、私が15になった頃。
丸みを帯びてきた胸にほんのり淡い恋心を育てながら、それでも私たちは変わらず仲良しだった。
永遠にそんな時間が続くのだと信じていた。
でも、2年前。
もともと剣士になりたかったカイに、転機がやって来た。
リトルシアを通りかかった魔王討伐隊の一向に、その腕を認められたのだ。
彼は誘いに乗り、ここから旅立ってしまった。
今ではすっかり"勇者様"の呼び名で通るようになったカイ。
私だけのヒーローは、みんなのヒーローになって、この瞬間も広い世界を飛び回っている。
そのことを誇らしく思う気持ちと、彼の不在を寂しく思う気持ちは別物だ。
私の知らないどこかで倒れてしまうかもしれない。もう二度と帰ってこないかもしれない。
そう不安に思う気持ちも、なくせはしない。
あの時、ここにいて欲しいと叫びたい気持ちを必死に飲み込んで、彼を送り出した。涙をこらえて手を振った。
人生の目的を見つけた彼の足枷にはなりたくない。
だから私にできることは、ひとつだけ。
サイドテーブルの小さい引き出しから、薄紅色の便せんを取りだす。
『カイへ』の宛名から始める、いつもの手紙。
彼と仲間たちが無事に旅ができるように祈りながら、細い筆を走らせた。
1枚の便せんに想いをこめる。
『私もカイの顔が見たいわ。』でしめくくると、頂点をあわせてふたつに折った。
続けてもう一度折り、三角に折り、斜めに折る……流れるような手つきで折りあげれば、手紙は簡素な鳥の形になる。
私は腰を上げると窓を引き上げて、折った手紙を手のひらに乗せた。
「いってらっしゃい」
そう声をかけると、鳥の折り紙は生きもののように羽を広げた。
薄紅色は光輝く純白になり、紙の質感は消えてただの小鳥になる。
私の手から飛び立った小鳥は、木々の合間を抜けると、音の速さで青空の向こうに消えていった。
これは私の特殊な異能力。
手紙を鳥に変えて送ることができる、小さな魔法だ。
手紙というものは本来、マジックアイテムを使ったり、人の手で運んだりしなくてはいけない。
けれど私はこうして、世界中のどこへでも、想う相手の元へ文字を届けることができる。
この能力を生かして、私は村で手紙配達の仕事をしている。
魔物を討伐するような、強い力じゃない。
怪我をした人を癒やせるような、尊い力でもない。
ただ文字に想いをこめて、相手に届けることができるというだけの地味な異能力。
どうしてこんなことしかできないのかと、自分の無力さを呪ったこともあったけれど。
今はこのスキルが好きだ。
手紙を送ったあとのみんなが、うれしそうにお礼を言ってくれるから。
離れたカイに、言葉を届けることができるから。
早く魔王がいなくなって、世界が平和になればいい。
そうすればカイは、ここに帰ってきてくれる。
その時が来るまで、私はここから彼を励まし続けよう。
それが私にできる唯一のことだと、知っているから。




