scene.8
※軽度嘔吐描写注意
────酷い夢を見た。それは何とも滑稽で、夢特有の訳の分からない展開だった。
ボクは目の前に蹲って、何かを探している。近づいてみればぱしゃりと言う微かな水音がして、それに気が付いたのか目の前の泉見棗がこちらを振り返る。
ボクによく似たその顔は、あたしを見るとその薄く形の良い唇を歪めて酷く意地が悪そうに笑って。ボクと同じ制服を着た彼女は、興味がなさそうにまた目を逸らして何かを探している。滑稽なその姿に、ボクは負けじと意地が悪そうに見えるように笑い返すと「なんか探してんのォ?」と声を掛ければ、目の前のそいつは「あぁ」と呟いてにこにこと笑う。
────何探してんのォ?星花女子学園にはぜぇんぶ揃ってんのにさァ?
そう言って近づけば、「わからないんだよ」とそいつは返して。「わかんないのに探してんのォ?」と言えば、「そうだよ」と笑う。
────わからなくて、見つからないから探してるんだ。……なぁ、
不意にそいつはボクの身に付けている星花女子学園指定の灰色のネクタイを引いて。ボクは思わずバランスを崩して、そいつの────泉見棗を崇拝するかのように、膝をついてしまう。
目の前に映る自分と瓜二つの顔を見ながら、他人の前に膝をつく状況に反吐が出て。小さく舌打ちをすれば、そいつは酷く愉快そうに笑って、耳元で囁いた。
────あんた、司がずうっと自分の傍にいてくれるって思ってるわけぇ?ずうっと?何年先も?死ぬまで?
そいつは座って私と目線を合わせると、ボクの着る星花女子学園の制服の制服のネクタイを再び引っ張って。首が締まるような不快感に眉を顰めれば、そいつは目の前でにっこりと笑って。その顔は、嫌になるほどボクによく似ていた。
────あのさぁ、ずうっと一緒になんているわけないじゃん。あんたと司は違うんだよォ。司はあんたがいることが存在意義になってるみたいだけどさぁ?可哀想だよねぇ、泣けちゃうよ。司さんはもうとっくに一人で生きられるのにさァ
不快な音が頭の中に響く。「五月蠅い」と呟けば、そいつはにやにやと笑ったまま「はァ?」と馬鹿にしたように笑って。不愉快な嘲笑が頭の中を占めてゆく。
首元に両手を伸ばしたのは無意識だった。ボクによく似たそいつの白い喉が、打ち上げられた魚のようにぴくりと跳ねて、膨らみのない胸が彼女の呼吸に従うように収縮を繰り返す。夢の中なのに、人間特有の微かにざらついた肌の感触がやけに生々しくて、それが堪らなく気味が悪かった。
うるせぇなと呟いた自分の声が、何処か遠くから聞こえたような気がした。昔から頭に血が上りやすい気質だったから、他者とトラブルを起こしかけたことは何度かあって。そのたびにそれを止めてくれたのは司だった。
微かに飛び出たように見えるそこを親指でぎゅっとつぶす。こんなのは駄目だと頭の中で解っているはずなのに、結局相手を傷つけて、力で屈服させることでしか意見を伝えることが出来ない。それが、嫌いで嫌いで仕方のない両親と根本的に同じだと解っているはずなのに。
「────司はずっとボクの傍にいるし、あたしがいないと生きられないのは司の方だ。ボクは、あたしは、……泉見棗は、司がいないと愛されることも出来ないんだ。泉見棗そのものに、最初から価値なんて無いんだよ」
吐き出した言葉は酷く滑稽で情けない言葉だった。こんなの、誰にも聞かせたくないし、聞かせられない。……少なくとも彼女には────武村美弾には、死んだって聞かせたくないとさえ思った。
不意に景色が白んでゆく。辺りが酷く眩しくて、首を絞めている泉見棗が光に照らされて白く光って、視界が急速にぼやけてゆく。
────だからその時、泉見棗がどんな表情をしていたのか、結局ボクには解らないままなのだ。
────目を開けると、見慣れた菊花寮の天井が目に入った。成績優秀者や特待生、才能のある人物を住まわせているその部屋は、隣にある桜花寮とは僅かな格差があって。ずっと昔、「それはどうしてなんだろうね」なんて司に尋ねれば、司は少しだけ意地悪く笑って「知らなぁい」なんて言っていた。
不意に腕にもさもさとした感触があたって、そのくすぐったさに半身を起こすと隣で気持ちが良さそうにすやすやと眠る墨山奈々の姿があって。小さく溜め息を吐きながら、ベッド周りに散乱する彼女の衣類を拾って畳むと、ベッドボードに置いて。それからシャワーを浴びるためにユニットバスの扉を開けて、衣類を衣類カゴに放り込んでから風呂場の戸を開けてシャワーを捻る。時折行われる整備点検のお陰か、シャワーが壊れたことや温度調節が出来なくなってしまったと言うトラブルに見舞われたことは中等部から合わせた四年間は殆どなくて。それだけは有難いななんて思いながらシャワーを済ませると、身体を拭いてから半袖のTシャツと学校ジャージの長ズボンに着替えると、タオルで適当に髪を拭きながら心地よさそうに眠る墨山奈々の身体を揺する。
「────起きてよ、センパイ」
何度か声を掛けると、彼女はほんの少し鼻に掛かったような微かに甘えた声を出して。あたしの顔を見ると、驚いたように目を見開いてから跳ね起きる。
「────っ、棗」「はいはぁい、おはよー。昨日はいきなり来たからびっくりしちゃったよォ、勝手に来て勝手に泣いて勝手に眠って。センパイってば赤ちゃんみたいだねぇ?」
にやにやと笑いながらそう言えば、「五月蠅い」と寝ていた枕で頭をはたかれて。それから彼女の唇が柔く自分の唇に重なったのを感じながら、「可哀想だなぁ」と心の中で小さく呟く。
墨山奈々は恐らく、[演劇部後輩の泉見棗]が好きなんだろう。生意気で、我が強くて、練習には不真面目で、でも才能があって、気まぐれに優しくしてくれる人間を。そして、そんな[泉見棗]が自分に振り向いてくれることを待っている。さながら物語の王子様がお姫様を迎えに来るように、精一杯頑張っている自分が報われることを望んでいる。……いや、そうであるべきだと感じているのだ、きっと。
唇を離した後の熱っぽい視線に内心辟易しながら、「じゃあ、また部活でね?」と返せば彼女は少しだけ納得できないような表情をしてから頷いて、あたしの部屋のシャワーを浴びてから制服に着替えると部屋を出て行って。一瞬だけ抱きしめて欲しそうな甘えと媚の混じった視線を無視して「じゃあね」と言って彼女が見えなくなるまで見送ってから急いで部屋に戻ると、水を大量に飲んでからトイレに顔を突っ込んで、人差し指と中指を喉の奥まで突っ込む。ごりゅ、と言う感触とともに出てくる胃酸に微かに顔を顰めながら吐き出し終えると、トイレを流して洗面所で口内を漱ぐ。げほげほと何度か咳き込んでから、「あーもう、最っ悪」と呟いて洗面所の壁を拳で叩く。ドンと言う音がやけに大きく聞こえて、それすらも酷く気持ちが悪かった。
「あ、あ、あー……「あはは、おはよう!」……っと、こんなもんかな」
胃酸で声が枯れてしまっていないかチェックをしてから、小さく息を吐いて。髪をとかして整えると、顔を洗ってから歯を磨いて、洗面台の壁に掛けた手洗い用のブラシを使いながら手を洗うと、制服に着替えてどちらになっても良いようにマスクと手袋をつけてから部屋を出て隣の司の部屋をノックする。
三回のノック音の後、酷く不機嫌そうな顔で出てきた司に「おはよう」と言えば、司は小さくため息を吐いてから「消毒してから入ってね」と呟いて、キッチンの方へと消える。
「はいはぁい、そんじゃ、入るねぇ」
適当に返事をしながら、消毒を済ませて。「今日なにぃ?」と尋ねれば、司は小さく「ホットケーキ」とだけ返して。暫く待っていると、ホットケーキの乗った皿とナイフ、そしてフォークと蜂蜜が置かれる。
「どうぞ」「いただきます」
ホットケーキを一口大に切ると、あまり口を開かないようにして食べる。そう言えば、両親に何か料理を作って貰った記憶がないな、なんてぼんやりと思い返した。
司は今日の昼食の二人分の弁当箱を机に置くと向かい側に座って。「いただきます」と言ってから、ボクと同じ手順でホットケーキを口に運ぶ。
「────棗」「んぁ?なぁにぃ、つーちゃん」
普段、食事中に私語を慎むようにと注意する司にしては珍しいな────なんて思いながら、ホットケーキを咀嚼して飲み込み終えてから尋ねれば、彼女は一瞬だけ酷く言いにくそうな目をして。それから「昨日のことなんだけど、」と呟く。
その表情に動揺を呑み込んで「えぇ?なになにぃ?」と尋ねれば、司は「────昨日、棗から本を引ったくったでしょ?」と酷く言いにくそうに呟いて、テーブル越しにボクの手に触れる。
冷たい指先が柔くボクの手の輪郭を撫でた。司もボクも生まれつき体温が低いけれど、司よりもボクの方が少しだけ体温が低い。
「怪我はしてない?」「────え?あ、あぁ、うん」
ひらひらと手を振れば、司はほっとしたように息を吐いて。「そう、良かった」と呟く。
「棗に何かあれば、演劇部に顔向け出来ないからね」「あは、司さんもそんなこと考えるんだ?」
茶化すようにそう言えば、司は酷く苦々しい表情で「考えるよ」と続けて。「私は演出だから、演者に光を当てるのが仕事なんだ」と言って、小さく笑った。
菊花寮を出て教室へと向かいながらふと隣を歩く司の表情を見れば、司はどことなくそわそわしたような様子でいて。それは恐らく、昨晩に天塩さんへ渡しに行った本に────いや、本よりもそこに挟まれた手紙に、柄にもなくそわそわしてるんだろうな、なんて思ってしまう。
「────司」「うん?どうしたの、棗」
小さく名前を呼べば、司は相変わらず後をついてくる子供のような表情でボクを見て。それに小さく息を吐いてから、「今日はどっちィ?」なんて、他愛もない言葉で誤魔化した。
へらへらと笑うボクの表情に少しだけ困ったような表情をしてから、「今日は────」と言って二組に視線を向けて。それから、少し考えたような表情をすると「……いや、今日は一組に行くよ」と言ってマスクをずらす。
その表情に、内心酷く面白くないなァなんて考えながら、「あぁ、そう? そんじゃ、またねェ」と言ってひらひらと司に手を振って。二組の教室の戸を開ければ、一組よりも遥かに静かで落ち着いた教室があった。
「あら、泉見さん。おはようございます」
近くの席に座る二組の学級委員長の御神本美香が、出入り口に立っていた私に気が付いたのか柔く微笑んで。それに微笑み返して「おはようございます」と言えば、彼女はうんうんと頷いて「今日は司さんですわね」と微笑んでから、同じクラスの塩瀬晶の席へと向かって。「おーほほほ! 塩瀬さん、紅茶の良い専門店の情報をお聞きしましたのよ!」なんて楽しそうに笑う彼女に、「本当? 御神本さんの話はいつも助かってるよ。そうだ、これ、友人からクッキーをお土産で貰ったんだけど、もし良ければ貰ってよ。ボクの家もこんなに貰っても食べ切れなくて」なんて言って、紺と白のパッケージに金文字で装飾された小さな箱を手渡していて。御神本さんは嬉しそうに「良いですの? では有難く頂きますわ」と受け取っていた。
それをぼんやりと眺めながら窓際の一番後ろの席に着くと、「二組は平和だなァ」なんて欠伸をして。シャープペンシルをくるくると回しながら、ぼんやりと窓の外を見つめていた。
司が一組に行こうとした理由も、今では何となく解ったような気がするけれど。解ったからと言って、それが納得できることかと言われればそうではなくて。暫くして入ってきた二組の学級担任の姿を見て、学級委員長である御神本さんが号令をかけると、何回か「立花さん。……立花さん?」と名前を呼ばれるも、返答が無い生徒がいて。クラス委員である御神本さんが、困ったように手を上げて「……後程探しに行きます」と言っていた。
(なぁんだ、二組も結構変わってる人ばっかじゃんねェ。……なぁんて、一組に所属してるボクが言えることでもないけどォ)
その後も名前だけは呼ばれるものの、返事のない生徒が何名かいて。その度に御神本さんが頭が痛そうに額を抑えていて。その様子をぼんやりと見つめながら、そう言えば一組の学級委員の望月さんも、毎回頭が痛そうにしてたなァなんて思い出した。
学級担任の朝の連絡を聞き流しながら再度欠伸をすると、チャイムとともに一限目の担当教師が教室へ入ってきて。連絡を終えて号令を終えると、一限目の数学の教科書とノートを出してずれたマスクを定位置まで上げると、ノートに数式を解く。授業を聞きながらやっぱり思うのは、司の変化についてだった。
中等部から今まで何度か入れ替わったことはあったけれど、司から直接ボクのクラスに行きたいと言われたことは、その中でもあまりなかったような気がする。
今朝見た自分の夢が柔く自分を呑み込んでいくような、どうしようもない強烈な違和感と不快感が静かに私の首を絞める。生きているような、それともそうではないような、何とも言えない感情が酷く居心地が悪かった。
────司さんはうまくやってんのかなァ
ノートに数式を書きながら、ぼんやりとそんなことを考えて。うまくやれていればいいと思うと同時に、うまくやれなければいいだなんて考えてしまう。うまく演じられないでいて欲しいだなんて、暴かれてしまえばいいだなんて、そんなどうしようもないことを感じていた。
「なつ────っと、司さァん」
二時間目が終わった業間休みに、自分の名前を呼ぶ軽薄そうな声に顔を上げて。すると、教室の出入り口扉の方で泉見棗が私を呼んでいた。
椅子から腰を上げると、「どうしましたか、棗さん」と返して。私と同じ顔が、「ちょっと話があってさァ」とへらへらと笑う。
司から見た泉見棗はこんなに軽薄そうなのか?────なんて自分の行動に少し呆れながら、「なんですか?」と言って一緒に教室を出て。少し歩いて教室から離れてから、「なぁにィ」と尋ねれば、彼女は少しだけ申し訳なさそうに「……あの、今日のお昼、天塩さんも一緒に食べても良いかな」と呟く。
その言葉に一瞬だけ心臓がひやりとしながら「なぁんでボクに聞くんだよ。良いんじゃなァい? 別にィ」と言えば、司は酷くほっとしたように息を吐いて、小さく笑った。
その表情に内心舌打ちをしながら、「じゃあ、お昼休みに迎えに来るから────」と言った司に、「あっはは、一緒になんて食べないよォ」と返せば、司は面食らったような表情をして。薄い唇が「え、」と小さな声を漏らした。
「……な、なんで、」「なんでってこともないけどねェ。なんとなくゥ?……ほら、そろそろ休み時間終わるから戻りますよ」
「────棗さん」
吐き出した自分の言葉がやけに冷たく響いた。その声に驚いたのか、司はぴくりと微かに肩を弾ませて。「なっちゃん?」と呼ぶ声に、内心舌打ちをしながらにこりと笑って、「今はつーちゃんですよ、棗さん」と言ってから、棗の左目にある泣きぼくろに親指の腹で触れて。驚いた様子の棗に再びにこりと笑ってから、「そんじゃーねェ」と踵を返すと、そのまま二組の教室へ戻る。
「────みぃんななんでも教えてくれる訳じゃないんだよォ、つー」
吐き出した言葉は誰かに届くわけでもなくて。私は席につくと、教科書とノートを机の上に置いて担当の教師が来るまでぼんやりと窓の外を見る。ほどなくして、一限目と二限目に立花さんを見つけることができず、慌てて教室を出て行った御神本さんがぜぇぜぇと肩で息をするほど疲れきった様子で戻ってきて、対称的に酷く楽しそうな様子の立花さんがその後をついてくる。へろへろの様子をした御神本さんが呼吸を整えながら、「……せ、せめて、四時間目の終わりまではここにいてくださいね」と言って、立花さんを座らせていて。立花さんはふらふらと歩いている間にインスピレーションでも湧いたのか、「うん」と言って、スケッチブックに絵を描き続けていた。
[新規cast.]
星花女子学園一年二組学級委員長役/御神本美香様
御神本美香様考案/藤田大腸様
[御神本美香様 代表作]
ウソから始まる本当の恋物語
https://ncode.syosetu.com/n9845gf/
星花女子プロジェクト第9期参加作品。2020年9月現在、[小説家になろう]内にて連載中
立花透役/立花透様
立花透考案/桜ノ夜月