scene.3
部室に入ると、室内にはもう既に部員の殆どが練習をしていて。司とともに空きスペースでウォーミングアップをしていれば、「七光りは重役出勤で羨ましいわね」と言う声がちらほらと耳に入ってくる。
「去年も三年生の先輩の役を横取りしてさ。先輩、最後の舞台だったのに」「才能があるとか言われてるけど、どうせ今だけでしょ」「あーあ、なんであいつ入ってきたの。どうせお遊び程度にしか考えてないのに」「言えてる。練習も真面目に出ないのに役だけは貰えるなんて狡い」
ぼそぼそと聞こえる声量で叩かれている陰口を聞くと、司は眉間に皴を寄せて「くだらない」と呟く。それに「いーよいーよ、ほっときなァ」と返せば、「でも、棗……さんがあんなに言われる筋合いもない」と呟く。
「くだらないことを言っている暇があるなら一分一秒でも努力すべきだよ」「……まー、司さんのいう事が合ってるけど。なかなかそうもいかんでしょ、あの人たちもさ」
別に慣れてるから平気だよと言えば、司は眉間に皴を寄せたまま「……棗さんがそう言うんなら」と呟く。それに「良い子だねェ」と返せば、司は眉間の皴を深くしてから「……別に」と呟いた。
強がりでも何でもなく、それはあたしの本心から出た言葉だった。実際三年間頑張ってきたのに、ただの後輩に役をとられてしまうのが悔しいと言う彼女たちの気持ちも、僅かながら理解はしているつもりだった。それを彼女たちが理解しているのかはまた別の話なのだけれど。
(……まぁあたしはあたしで忙しいし。人の嫉妬にあんまり構っている暇もないからねェ)
僅かに不満げな表情の司が前屈をするのを横目にみながら、小さくため息をついた。
「司さん」「なに?」「────身体、硬すぎ」
「部内ミーティングをするので、部員は集まってください!」
他の部員よりも僅かに遅れてウォーミングアップが終わると、部長の言葉を聞いてぞろぞろと部員が集まっていって。部室内のホワイトボードの前に、ペンを持って立っている部長は、あたりをぐるりと見回して部員が集まったことを確認すると「では、本日の部内ミーティングを始めます」と言って、ホワイトボードに書かれた文字を指してゆく。
「まず最初に、今年度の役職の割り当てを発表します。……副部長、プリントを配布してください」
演劇部の副部長は、部長の声を聞くと手早く右端と左端と中央の三部に分けたプリントを先頭に座る生徒に回してゆく。演劇部内は高等部と中等部生を合わせたらかなりの生徒数が所属しているため、一人一人に配るよりはこのように配布した方がよっぽど早い。ボクは前の部員から回ってきたプリントを受け取ると、プリントの内容にざっと目を通す。
(今年度の演劇部の役職の割り当てか。やっぱり司さんが言ってたとおり、演出は司さんから変化なし。部長、副部長も変動なし。照明と美術が中等部と高等部の子を一名ずつトレードね。役者班は……お、)
配布されたプリントの一部に目を止めると、すぐ後方から「部長!」と声が上がる。声のする方に目を向ければ、そこにはあたしたちと同じ高等部一年生の生徒が、慌てた様子で部長に駆け寄っていた。
「なに、佐藤」「……っ、納得できません! どうしてあたしが美術班なんですか!?」
佐藤と呼ばれたおさげ髪の生徒は、酷く憤慨した様子で部長に詰め寄る。部長は微かに不愉快そうに眉を顰めると「……佐藤、その話はあとでにしてもらえるかな?」と諭すように言って。けれど彼女は納得が出来ないと言うような表情で、なおも食い下がる。
「っ、あたしは大きなミスもしてないし練習にだって毎回参加してます! なのに、……っ、あたしより参加してない奴だっているのに! どうして、」「佐藤」
恐らく美術班に移動になったことが納得いかないのであろう佐藤さんは、部長の窘める声も耳に入らないようで「どうして」と繰り返す。一方通行の会話に苛立ったのか、部長は大きな溜め息を吐くと「……館石、悪いけど外で説明してあげて。これじゃ話も進まない」と副部長に頼むと佐藤さんを一瞥して「悪いけど、みんな忙しいんだよ。あとは館石に説明して貰って」と言うと、大きな溜め息をついてから再び部内ミーティングに移る。佐藤さんが館石先輩に背中を擦られながら部室を出ていく様子を横目で見ていれば、どこかからひそひそとした話し声が聞こえてくる。
「……佐藤が異動になったのって、去年の本番で台詞飛びしたからでしょ」「……あー、あれは最悪だった。流れぶち壊しだったもんね」「うぇー、でもそれだけで? 厳しー」
好き勝手に騒ぐ声を聞き流していると、部長がパンパンと二回手を叩いて。それに目を向ければ「はいはい、説明するから聞いて」と声を上げる。部内でも珍しいよく通る澄んだ声だった。
「例年通り、今年も部活動紹介の時に使用するステージの許可はとってある。本番まで五カ月は練習期間がある訳だけど、皆それに甘えずにより一層気を引き締めて練習して欲しい。良い舞台を作るのに、時間はどれだけあっても足りないから」
そう言って微笑む部長に、部員は「はい!」と声をあげて。部長はその声に満足したように頷くと「……では、後は今年度の演出に任せます」とあたしの隣を見れば、それを受けた司は徐に立ち上がると「……今年度も演出を任されることになりました、高等部一年二組の泉見 司です」と言って頭を下げた後、司は部長から手渡されたコピー用紙を手に持って「では、演出から今回のオーディション内容を発表します」と淡々と読み上げてゆく。
「今回は一昨年の演目から『空白』を上演します。メインキャストの配役は記載の通り≪主役≫、≪準主役≫、≪恋人≫、≪友人A≫、≪友人B≫、≪クラスメイト≫、≪担任教師≫、≪先生≫です。特に≪主役≫と≪準主役≫はオーディションのレベルによってダブルキャストか一人二役かを決定するので、より質の良い演技をお願いします」
配役の発表が終わった部員たちは、悔し気な人、嬉しそうな人、嫉妬を宿した目でボクを見る人、諦めたような表情の人など様々で。司はぐるりと部員を見回すと「以上です。役者班は後程 台本を配布するのでこの後受け取りに来てください。また今回残念ながら落選した方も才能がないと言うことはありませんし代役として舞台に立つ場合も十分ありますので、各自練習をしておいてください。以上です」と言うと、後はプリントに目を落としたまま自分の場所へと戻ってゆく。部長はその様子を眺めた後「以上。この後は各自希望配役に分かれて説明会。美術班と照明班も個別に説明があるので、指定の場所に集まって班長から説明を受けるように。では、異動!」と言ってパンパンと手を叩くと、五十人ほどの演劇部員はわらわらと一斉に移動してゆく。
「役者班は左隅!」「美術班、右隅でやります!」「照明は場所確認しながらなので黒板側で!」
様々な声が飛び交う中をのんびりと役者班の方へ歩いていけば、ドンと左側に軽い衝撃があって。そちらに目を向ければ、外から戻ってきた佐藤さんがこちらを軽く睨んでおさげ髪を揺らしながら美術班の方へ向かってゆく。「八つ当たりかよ」と思いながらドアの方に目線を向ければ、副部長は疲労をその表情に浮かべながら教卓の方へ戻って何かを司さんに伝えていたものの、司さんは頑として首を縦には振らず口を動かしている。その唇の動きと表情で何となく「学芸会じゃないんだから才能がないやつには任せても仕方がない」と言っているのが解った。
「……はは、きっつー」
思わず呟いた言葉を聞かれていたのか「泉見さん!」と役者班の班長から名前を呼ばれる。それに目線を向けると「すみません」とだけ返して班へ向かった。