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生ハムとイチジクの白和え

 その金曜日、珍しく開店直後に悦子はやって来た。お通しを食べ終えて、ビールを半分ほど飲んだ辺りで彼女は言った。


「今日さ、課長と同行したのよ」

「ふうん」

「その帰りに、イトカワ製作所の社長と駅でばったり会っちゃって」

「え……糸川さんにか?」

「そう」

「……それで?」

「課長、糸川さんを見るなり『急用を思い出した』って逃げちゃった」


 そう言って悦子は笑った。店主が呆れてぼやく。

 

「なにやってんだか、あのおっさん」

「それであたしも失礼しようかと思ったんだけど、お茶でもどうかって誘われて」

「へえ」

「喫茶店でいろいろと話したついでに、あんたのことも話しちゃった」

「……おい」


 悦子は少し遠い目で語る。


「糸川さん、あんたが会社を辞めた話を聞いて眼を潤ませてたわ」

「……別にあの人のせいで辞めたわけじゃないけどな」

「まあそういうことにしておこうか」

「で、社長は……元社長か。糸川さん、元気そうだったか」

「うん、今は中堅の文具メーカーで開発の仕事やっているって」

「そうか……専門性のある人は転職にも強いな」

 

 店主は少しホッとした顔をして微笑む。


「元気でやっているなら安心だ。たぶんあの人なら、どこに行っても自分の居場所を見つけるだろうし」

「そうね。社長をやっている時より若返ったとか言ってた」

「その方が幸せだったりするのかもな」

「……こっちは大変な目に遭ってるけどね」

「しょうがねえよ。お前の会社がひどい目に遭うのは自業自得だ」

「あんたの勤めていた会社でもありますが」

「俺にはもう関係ない」


 ふと気になって店主は悦子に尋ねる。

 

「イトカワの部品が使えなくなって、今後どうなるんだ?」

「……あの製品は来期から販売できなくなるね」

「まあそうなるわな」

「今、代替品を探しているけど、いいものが見つからなくて……自社で開発することも検討されているけど」

「上手くいきそうか?」

「難しいと思う」

「大丈夫なのか?」

 

 退職してしまった会社だが、店主は売上の心配をしている。 


「もし開発が上手くいかなかったら、来期からかなり厳しいかな」

「そうか」


 店主は冷蔵庫からボウルを出すと、小鉢にその中のものを盛り付けた。上からガリリとペッパーミルで黒胡椒を挽き、料理の上に散らすと悦子の前に置いた。


「これ、白和え? 頼んでないけど」

「サービスだ」

「何よ、珍しいわね」

「気になってた人の消息を教えてもらったからな」

「そう、ありがと」


 悦子は小さく礼を言うと、微笑んだ。小鉢の中にはペースト状に練られたものが盛られていた。小さなクラッカーが添えてある。


「これは、今日のお勧めか何か?」

「明日のために仕込んだお通し」

「え、ああ。花子さん、だっけ。明日はあの美人が来店するもんね」

「なんだよ」

「ちょっとおしゃれなお通し作るなぁって」

「うるさいよ」


 スナック勤めの美女、花子は毎週土曜日に飲みに来る。土曜日は暇だったが、その花子目当てに来店する客も出てきた。

 店主は花子勤める店にも参考になりそうなお通しを作ることにしているのだ。

 そして土曜日には悦子は来なくなった。なんとなく来づらいのだろう。


 悦子はペーストをクラッカーで掬って、一口齧った。

 

「これ、クリームチーズ?」

「そう。ドライフルーツとクリームチーズと生ハムを混ぜたもの」

「へえ……美味しいわ。ドライフルーツは何?」

「イチジク」

「そっか、このプチプチした食感がタネなのか……これなら家でもできそうよね。フルーツはイチジクがいいの?」

「まあ何でもいいんだけど、もちろん家で作るときはお好みのものでいい。干しレーズンとかな」

「レーズンよりこっちの方が合いそうね」

「いろいろ試したらイチジクがいちばんいいような気がしてな。

「いちばんいいものを選んだのね」

「まあこっちは商売だからな。商品にはいちばんいいものを選ぶ」

「あの時、会社もいちばんいい選択……ううん、最悪の選択をしなきゃよかったのになー」

「……」


 悦子は気楽に語るが、会社の内情が苦しいのは想像に難くない。色々辛いことも多いだろう。そんな彼女が店主には不憫であった。


「結局、あんたが想定していたいちばん悪いことになっちゃった」

「ま、得てしてそんなものだろ」

「そうなのかもね」

 

 その時、入り口の開き戸がカラリと開いた。

 源とロクがそろって来店する。


「おお、エッちゃん。今日は早いな」

「なんで俺たちを待っててくれなかった」


「ごめんね」悦子は苦笑する。「待ちきれなくてさ」


 悦子は店主に糸川のことを、誰もいない時間に伝えたかったのだろう。


「いらっしゃい。ご注文は」


 店主は少し笑うと、老人たちの注文を取った。

このおつまみは日刊ゲンダイ刊行の「ダンツマ手帳」よりパク……参考とさせていただきました。

ドライイチジクと生ハムを刻んで、クリームチーズで和え、最後に黒胡椒をかけます。

詳しい作り方は書籍をお買い求めの上、参考にしてください(パクリの罪滅ぼしw)

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