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高野豆腐の含め煮

 入り口の開き戸がカラリと鳴った。


「また来てやったぞ」

「また来たのかよ」

「おお、いらっしゃいエッちゃん」

「今日は遅かったね」

「こんばんは、源さん、ロクさん」


 店主は悦子の前におしぼりを置く。

 

「ご注文は」

「グラスビール」

「あいよ」

「さあて、今日のお通しはなっにかなー」

「高野豆腐だ」

「……ぶふっ、高野豆腐?」

 

 悦子はそれを聞いて吹き出した。


「ああそうだよ。悪いか」

「悪かないよ。高野豆腐、楽しみだなー」


 二人の会話に、老人たちが割り込んだ。

  

「なんだよ、高野豆腐に何かあるのかよ」

 

 悦子はふふっと笑いながら語る。


「あたしがこの店で初めて食べたお通しが、高野豆腐だったんです」



 この店が開店して間もない頃、かつての同僚である悦子は蘭の鉢植えを持ってこの店に初めて来店した。

 そしてお通しとして出された高野豆腐を口に含んで味わってから、こう言った。

 

「ねえ、この高野豆腐、おでんの残り汁でこさえたんでしょ」

「よくわかったな」

「……こんな残り物を利用して煮ただけのもの、よくお客様に出すわね」


 まだ開店して間もない店で早い時間帯。悦子の他に客はいない。

 初めて店を訪れた彼女から、店主はいわれたい放題だった。


「しょうがねえだろ。お通しというのはそういうものだ」

「しょうがなくないっ」悦子はやや語気を強める。「お通しっていうのはね、店側から押しつけられるおつまみじゃないの」

「押しつけるってなんだよ。席料込みだろ」

「『安いもの』が悪いって言ってるんじゃないの。『安っぽいもの』を出すのがよくないの。何よ、この高野豆腐。裏に昆布の切れ端がくっついているじゃない」

「……気に入らないならとりかえるけど」

「おまけに高野豆腐だけでなんの工夫もない。彩りにサヤエンドウでも乗せなさいっつうの」

「しょうがねえだろ。コストがかけられないんだから」


 ぶつぶつとぼやく店主に、悦子は容赦なく畳み掛ける。


「そういうことじゃないの。最初の皿はお客がお店から出される挨拶みたいなものでしょ。こんなものを出されて、お客がこの後に出てくるお料理に期待すると思う?」

「……そんなフレンチのアミューズみたいなこと言われてもな」

「あたし、何か間違っていること言ってるかしら?」


 悦子の正論に、店主はぐうの音も出なかった。

 だが彼女がここまではっきりと意見を言ってくれるのは、店主を思ってのことであると、彼はよくわかっていた。

 ビールをグイッと開けカウンターの上にグラスを、とん、と置いて彼女は言った。

 

「決めた」

「……何を?」

「あんたがあたしを心底満足させるお通しを出すまで、あたしこの店でお通ししか頼まない」

「……はあ?」

「いい? あたしに他の料理を食べさせたかったら、あたしをお通しで満足させてみな」

「……えっと。お前なんでそんなに上から目線なんだ?」

「じゃあね。今日ももう帰るわ、ごちそうさま」



「へえ、そんなことが」

「で、エッちゃんはお通しで満足できないから、この店ではまだ他のものを食べないのか」

「そんなことはねえよ。こいつ、この間美味そうにポテサラ食ってたじゃねえか」

「えへへ」悦子がチラッと舌を出して笑う。

「こいつが今でもお通ししか頼まないのは、単にケチだからだよ」

「だってあたしの給料じゃ贅沢できるわけないの、あんたも知ってるでしょ」

「やれやれ」

 

 そう言いながら店主は、悦子の前に高野豆腐の入った小鉢を置く。

 

「へい、お待ち」

「ちょ……これ……」

「……ニンジン入りだな」源が面白そうに覗き込む。

「きちんと飾り切りの仕事がしてあるぜ」ロクも面白がっている。


 老人たちは来店したときにこの高野豆腐を食べている。悦子がどんな反応を示すか黙っていたのだ。

 

「なんでニンジンなんて入れるのよ」

「彩りに工夫しろって言われたので、工夫してみた」

「くー……、こんな形で仕返しするとは……」

「仕返しってなんだよ。お前もいつまでたってもニンジン食えないと結婚してから苦労するだろ? 今のうちに偏食くらい治しておけ」

「あんたはあたしのお父さんかいっ!?」

「ま、お母さんじゃないのはたしかだな」

「うー、こんなものっ、源さんのお皿にくれてやるっ」とニンジンを箸でつまんで源の取り皿の上に置いた。

 源がそれを見とがめる。

 

「おいおい、エッちゃん。あんたのアドバイスに従って大将はお通しの高野豆腐にも工夫してるんだろ。そのあんたが大将の努力を認めねぇってのはよくねえな」

「くっ……」

「食わず嫌いしてないで、食ってやりなよ」

「わ、わかったわよ」

 

 悦子はニンジンを口に運んで、涙目になる。


「……こういうのは苦手だよー」


 それを見て店主は「まだ早かったか」と小声でぼやく。

 

「あ、でもこの高野豆腐は美味しいよ。味も歯ごたえも舌触りもばっちり」


 ニンジンを食べ終えて高野豆腐を口に入れた悦子は、それでも素直な感想を店主に告げた。

 

「それ、おでんの残り汁が混ぜてあるんだよ」

「え。ホント?」

「ああ、ちょっと食べただけじゃわからんようにな」

「へえ……」


 悦子は感心して小鉢に残った高野豆腐を平らげる。


「ごちそうさま、美味しかったわ」

「どうも」店主は悦子から勘定を受け取る。「お前もいいかげん他のものを注文しろ」

「ふふっ、あたしの給料が上がる日まで楽しみに待ってな」

「そんな日なんて永遠に来ないんじゃねぇのか」

「言ってろ」


 悦子が去ると、老人たちはボソボソ話し始める。


「なあ、その小鉢にニンジンを入れたのも、エッちゃんにニンジン嫌いを治して欲しいからなんだろ」

「まさか。あの時の仕返しだよ、仕返し」

「素直じゃねえなぁ」


 ロクが苦笑すると、店主は高野豆腐の入った鍋の蓋をそっと閉めた。

 

おでんの残り汁で作った高野豆腐の煮物って美味しいですよね。


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