ハッシュドポテト 3
数日後。
悦子が夜遅くに来店し、源とロクはもう帰ろうかという時間のことだった。
「よう、遅かったなエッちゃん。こっちは帰るところだったぞ」
「月末は忙しいのよ」悦子は疲れた顔で答える。
忙しいのは月末というだけのせいではないだろうな、と店主は想像する。会社の中がかなりゴタゴタしているはずだと思う。
「ご注文は」
「グラスビール」
「食べ物は」
「お通しだけ」
店主がいつものやりとりに肩をすくめたその時、入り口の開き戸がカラリと開いた。
「こんばんは」
店主はその客の顔を見て、あれ、と思う。初めての客だが、どこかで見たな。
「先日、このお店で店長さんと常連の皆様にご迷惑をおかけした者の連れでございます」
手には紙製の手提げ袋がある。デパートにも出店している、有名な和菓子の老舗の名前がある。
「ああ、あの時の……」
水島という、あの迷惑客を連れて帰ってくれた青木だった。
男は「私、こういう者で」と店主に名刺を渡す。そこに書いてある名刺の社名をを見て目を見張った。
コンビニチェーンの草分け的存在のヘブンズマート。そこの総務部秘書課の課長であった。
青木は手にした袋から包みを出すと、店主に渡す。
「これは先日のご迷惑のお詫びでございます」
「ああ、そんな、ご丁寧に」
店主は菓子折を受け取る。酔客が騒動を起こすのはよくあることなので、こんなに丁重に謝罪されるのは珍しいことだ。もっともあの時の水島は酔っていなかったので、あまりタチのいいトラブルとも言えないのだが。
わざわざ謝罪に訪れたということは、事情があってのことなのだろう。
店主は青木に尋ねる。
「先日の彼は、お偉いさんの息子か何かなのかい?」
「いえ……」
少しだけ言いよどんだ後、青木は口を開く。
「彼は我が社がスカウトしたハッカーなのです」
「……ハッカー?」
「はい」
◇
ヘブンズマートは大手コンビニチェーンである。そのチェーンは全国に展開しているが、コンビニの中でも日本でいちばん店舗数が多い。
そのヘブンズマートが先日、キャッシュレス決済システムを導入した。だが、そのセキュリティに問題があったことが発覚した。
システムの不備から客に多額の損失を与え、決済システムはとうてい運用に足るものではないと見なされ、キャッシュレス決済事業は頓挫した。
かねてよりブラック企業として問題視されていたコンビニチェーン。その世間の風当たりは強く、近年は加盟店も減少傾向にあった。そこにこのシステム運用の不備が露呈し、企業の信頼は失墜した。
株主はその時の経営陣に退陣を求め、代表者を交代させた。
代表が替わったのはいいが、会社は大きな課題を残した。セキュリティその他電子システムの不備と、ブラック企業の評価である。
早急にシステムの不備を何とかせねばならないが、それをこなすだけの人材が社内にいない。外から呼ぼうにも優秀な人材はすでに他企業が押さえている。
そんなとき、ある優秀なハッカーと接触を持つことができた。
日本の漫画を違法アップロードしていたサイト、コミックビレッジの運営者の情報を掴んだという、ある引きこもりのホワイトハッカー。
それがあの水島であった。
会社は水島を招聘し、試しにシステムの不備を検査してもらったところ、驚くほどの欠陥が見つかったという。
会社の役員は水島と専属の契約を正式に結び、システム改築の作業グループのサブリーダーとして迎え入れることなった。
その接待の席があの日の出来事だったのだと青木は説明した。
◇
「引きこもりたった人間を、会社のおっさん連中が料亭で接待なんて……いや、引きこもりじゃなくても逃げたくなるよ」
店主が呆れた。
「仰る通りです。そんなことはしないで彼が喜びそうなことを聞き出してから接待を、と私も意見したのですが、上層部はどうにも頭が固くて……」
「ああいう人が喜びそうなのはメイドカフェとか」
悦子がふざけ半分で混ぜっ返すが、青木は大真面目に答える。
「何しろひきこもり歴二十年ですから、女性との免疫がないのです。女の子が多いところはもっと世間に慣れてからでないと」
ふうん、ヒッキーの世話も大変なのね、と人ごとのようにコメントした。
「彼はこのお店で食べたお通しにいたく感心しておりました。そして皆様が自分に話しかけてくれたことにも、喜んでいました」
「そいつはよかったな」
「今日から本社のシステムセンターにほとんど泊まり込みで作業をしてもらうことになりました。ただ……」
「ただ?」
「ここのお店でのことが忘れられないそうです」
「ふむ、そんな大した店でもないのにな」
ロクが笑うと「うるせえよ」と店主は文句を言う。
「水島さんのか話から察するに、店長さんにはご迷惑をおかけした様子なのですが……また後日、彼をこちらに連れてきてもいいでしょうか」
「うん?」
青木はため息とともに語る。
「水島さんは社会経験が圧倒的に足りません。それはもう常識どころか、友達を作るという、人間関係の基本からやり直しなのです。そんな彼ですから、また多少の面倒を起こすかも知れないのですが、こういう行きずりの店で客同士が楽しむ、というのをドラマやアニメで知って憧れていたらしくて……」
「うちは別に来てもらう分にはいいけど」
店主が考えながら言葉を口にする。
「客同士が和気藹々と語り合うなんて、それこそドラマの話だろうよ」
「あの時は……エッちゃんが怒って余計な口を出したから」
「そうそう、わしらも口を出す羽目になってな」
「なによ、あたしのせいなの?」
「まあよほどのことでもしない限り、うちは構わないよ。ただ他のお客さんに迷惑にならないなら、の話だけどね」
青木はホッとして答えた。
「ありがとうございます」
「しかし、あんたもそんな人の交友関係の心配までしなきゃならんとは」
「……水島さんは大変優秀なハッカーです。でも一人でできることは限られています。彼が他人と共同作業をこなす人間に成長してくれれば、さらに弊社の役に立ってもらえる、と会社は考えています」
「会社も面倒なことを押しつけるよな」
「仰る通りです」
苦笑する青木に、店主が声をかける。
「なんか飲んでいくかい?」
「そうですね……まだ仕事が残ってますけど……では生ビールと、彼が美味しかったというハッシュドポテトはできますか」
「あいよ」
店主が青木のために料理を作り始める。
まあ来てもいい、とは言ったけど……面倒そうな客だな、と思う。
そして後日、再度来店した水島はやはり騒動を起こすのであるが、それはまた別のお話。




