接敵(6)
目が覚めると、毛布を掛けられ暖炉の前でぬくぬくしている自分がいる。一瞬ここが何処だか判らなくなったが、周りで寝ているマリアンヌ達を見て思い出す。
「ドレミィ歌わなくても起きてきたな」
ニコルの声が聞こえてきた。
「おはよう、腕は大丈夫?」
「ああ、この通りさ」
と言って、三角巾に入っている腕を前後させている。あれ、シリカさんがいない。
「隊長は?」
「ご老体と隣に行っている、ここの備蓄だけでは我々を養いきれないので、村中からかき集めて貰っている」
「その分、何か返さないと」
「まあ、我々が捕虜に成ればトルケルの軍から報奨が出るだろうし、なんとか成るんじゃないか」
そういう事ではなく、感謝の気持ちを伝えるべく何かをしたいのだけど。あのご老体に捕虜の件を示唆したのは私なんだが……
「まあ、こっちは居候の身だから村のために何かやって欲しいと言われれば、それをやるだけさ」
言われてみればそうなのだけど、その辺りは隊長が戻ってから相談しよう。お腹も空いてきたが、何か食べるものは有るのだろうか。
「ラミア、鼻効かなく成ったの? こ老体がご馳走を用意してくれているわ」
延び上がってテーブルの上を見ると、パンやら野菜やらハムまで有るようだ。深皿も有るのでスープも用意されていると思われる。こんなに、料理があるのに何で匂わなかったんだろう。くんくんと嗅いでみるが、やっぱり駄目だ。まだ、鼻が凍っているのかもしれない。
「これ、食べて良いの?」
「ご老体が振る舞ってくれたんだから、ちゃんと食べないと。スープも有るけど、私は取れないから自分でやっくれ」
「ニコルは飲んだの? 取れないならよそうよ」
「さっき、シリカ隊長と頂いたから。そっちの皿のも旨いぞ」
「そう、じゃあ頂きます」
お腹は空いている筈なのに、凄く食欲があるという感じでもない。只、食べておかないといけないという強迫観念は有る様な気がする。パンと野菜とハムを適当に挟んでかぶりつく。
久々のパンの食感とハムの塩加減が口の中で広がってくる。それに合わせてか、食材の匂いがしてきた。そうなると止まらない、一気に食べ終わってしまう。食い足りない気もするが、あまり噛まなかったし一気には食べない方がいいだろう。
囲炉裏に架かっている鍋から、スープを数杯とって、皿に入れて飲む。暖かくてお腹に染み渡る気がする。こっちを先にしておけば、そんなにがっつかなかったかもしれない。
そんな私の仕草をニコルはにこやかに見つめている。
「そろそろ、あいつらも起こした方がいいんじゃないか」
「セルシア、マリアンヌもこの匂いで起きてこないのはまだ疲れているからじゃない。もう少し寝かせてあげようよ」
「ラミアだって鼻利いてなかったんだろ、まっ、腹か空けば起きてくるか、誰かさんみたいに」
「はいはい、私は食いしん坊ですよ」
こんな会話が出来るのも、余裕が出てきたからで、あのまま山肌に取り残されていたら、今頃は全員冷たくなっていただろう。
ふたりを見るが、ぐっすりと寝ているようだ。まあ、スープは暖炉に掛けて置けば、冷えないだろうし、ご老体の用意してくれたものはかなりの量がある。
暖かい部屋で、腹も満ちると眠気は必要に襲ってくるように成る。身体を動かさずに座り続けていると特に。
「隊長が出ていかれてから、どれくらいに成る?」
「そろそろ、一時が過ぎるくらいかな」
「手伝いに行った方が良い、かな?」
「今は状況を説明しに回っているところだろうから、備蓄を拠出して貰えるのは、明日以降に成るんじゃないか」
「そうね…戻られてから確認した………方が………」
そのまま、記憶が途切れて寝てしまったようだ。
次に気がついた時には、1人暖炉の前で転がっている自分がいた。
「おはよ…」
あかあかと燃えている暖炉の火に、目の焦点をあてようと努力しながら、上半身を起こしていく。
「あれ? マリアンヌたちは?」
それに、ニコルの姿も見えない。自分1人が暖かい部屋に転がっている。腹は少しすいているが、それよりも体の節々が痛い。何か変な格好で寝続けてしまったのではないかと思えるくらい身体が固まったように思える。
立ち上がろうとしても、足元がおぼつかない。何でこんなに弱っているんだろう。疑問は浮かぶが、回答が分かるわけでもない。まずは立ち上がって部屋の状況を確認する。
あんなに並べられていた料理類は綺麗に片付けられて、今は1人分の食事がテーブルの上に有るだけ。部屋は暖かく、自分は下着姿だが問題なく楽に過ごせる。
部屋に人の気配はない。シリカさんもニコルもマリアンヌ達も、それにクラウさんも。
「ここは、何処だ?」
部屋の感じが、何か違う。そう、昨晩迎え入れて貰った時との温度差が……昨晩は労うような暖かみがあったが、今は殺伐とした感じだ。
誰もいない、自分独りのようだ。
朦朧とする頭で考えてみる。寝る前は、食事をした。その時には、ニコルもいたし、マリアンヌ達は寝ていた。隊長と、クラウさんは食料調達に行っているとニコルが言っていた筈。
それで、起きたらこの状態。何が起こったんだ? とにかく、状況把握が先だ。テーブルを伝って窓にたどり着き外を見る。そこには、あんなに積もっていた雪の一辺もなく、晴れ渡った春の森が見えただけだった。
「え!」
確か、ここにたどり着いた時は真冬だった筈、なのに今は春の装いを森はしている。どれだけ寝ていたんだ私。一晩や二晩ではなく、軽く数ヶ月は経っていたと思わざるを得ない。
あの冬の行軍は夢だったのか? あの雪崩は、そしてみんなは。
駄目だ、思考がパンクしそうだ。まずは、自分が置かれている状況の再確認。多分、トルケル群の敵地での捕虜、隊長やニコル、味方とは離れて単独の状況、ここにたどり着いてからかなりの時間(一季節)が過ぎている。
これを考えると、私は頭でも打って記憶を無くしていて、今それを取り戻した。とでも思わないと辻褄を合わせようがない。じゃあ、無くしていた間は何していたんだ?
「私は、ラミア、ラミア・フォルシュゲット。帝国貴族にして帝国軍人、シリカ隊長の揮下、第3独立遊撃隊副官」
声に出してみると、頭がしっかりしてきたような気がする。
「越境偵察任務中、トルケル・メーベル連合部隊と遭遇、会敵後、本隊の離脱の支援で隊を離れて行動したところ、3群の輜重部隊と遭遇、やり過ごそうとしたところで雪崩に合い、以後3群の生き残りの2名と共にトルケル領内の民家の有る場所まで行軍を行い、救援を受けた上で事実上の捕虜となった」
「そうだよ、ラミア準尉」
「ク、クラウ殿! あの、この状況は?」
「説明はしてやるから、まずは椅子に座って食べながら聞きんしゃい」
と言われ、座るように促されたらそうせざるを得ない。食事を目の前にして席に着くと、食欲が徐々に首をもたげてくる。ワインの入ったコップに口をつけると、思わず皿の上のサンドに手をつけてしまう。
「まずは、先に謝っておかねばならないことが有る」
思わず喉が詰まりそうになるが、コップに残ったワインを流し込んで、事なきを得る。
「何でしょうか?」
この状況を説明してくれようとしているのだろうが、徐々に不安が込み上げてくる。シリカ隊長達がいない状況、季節が過ぎてしまっているような状況、それに私の状態。どれも不明で不安な要素だが、それを聞く事に何か恐怖のようなものを徐々に感じ始めてきた。
「そんなに不安そうな顔をするじゃない。シリカ殿ふたりは無事じゃ、まっ、トルケルに捕虜として囚われてはおるが、命に別状は無いじゃろう」
そうか、ふたりは無事なんだ。良かった、安堵感が胸に広がって来るのに合わせて、じゃ私は何故ここに残っているのかと言う点が首をもたげてくる。
「不安に感じるのは当然じゃ。まずは、お前さんが寝ている間に起きたことを話してやろう」
そう言って老婆は、その時の事を語り始めた。
「わしが、シリカ殿と村を回って食料集めをしに行った話は聞いておろう。村の仲間達は、退役軍人が主じゃからシリカ殿の話を聞きたがり、結構な時間も掛かったが、それなりに食べ物は拠出してもろうたあんばいじゃ」
老婆も向かいの席に座って話を続ける。
「状況を話してみての皆の意見はほぼ同じで、今のタイミングで帝国貴族の捕虜が3名も出たら、1人は見せしめで公開処刑される可能性が高い、と言う事じゃ。それで、一番可能性が高いのがお主じゃ」
えっ? 私が処刑? 捕虜になると……頭が混乱してきたが、キーワードは見えてきた。
「それって、例のトルケル貴族男性の件の報復って流れからに成る話ですよね」
「飲み込みが早いのー、その通りじゃ。シリカ殿はヴァルキュリア、ニコル準尉は負傷者、と成れば自ずと分かるじゃろ。なのでシリカ殿と一計を案じてお前さんはトルケルではなく、3群の捕虜に成るようにしようと言うことにしたのじゃ」
3群側の捕虜。そんなことが出来るのだろうか?
「それで、3群の娘達とも話し合ってお主を昏睡状態にしたんじゃ。そうしておいて、トルケル軍が来た時に移送が無理と思わせる為にのー」
えっ! トルケル軍ここに来てたんだ。
「お主は、トルケル軍が来た時に昏睡状態で移送不可と言うことにして、3群の娘達に一芝居打たせたんじゃ」
それは、雪崩に有ったとき、マリアンヌ達は馬車で流されたせいで無傷で難を逃れたが、部隊は下流に流されていて探索するも、見つけることが出来なかった。しかし、同様に雪崩にあって遭難していた帝国兵を発見して捕虜とした。そして、帝国兵の中でも無傷だった私を、ヴァルキュリアを盾にとって、探索やらで酷使してやっとここにたどり着いた。が、そのせいで衰弱させてしまった。と言う話だった。
「あの、それではマリアンヌ達の手柄には成りますが、私が残れる状況には……」
「まあ、あせるでない。作りの話はここまでで、その後は第2の輜重部隊が来たんじゃ、お主らが来て3日後に」
5日の間続いた雨も上がり、晴れ間が谷に差し込み始めた朝、村を訪ねる5騎の姿が有った。トルケル軍の紋章を付けてはいたが、戦姫は1人だけで他は一般兵の騎兵だった。訪問を受けた村の者がクラウの家に連絡をいれてからお芝居が始まる。
「来たようじゃな、始めるぞ娘達」
扉にノックの音と共に
「こちらの疾風のクラウ殿のお宅に、我軍の兵が保護されていると伺い、お訪ねしています。私はトルケル軍、第3補給大隊所属トリル準尉であります」
それを聞いたクラウは、部屋の中の者達をぐるっと見回してから、ドアを開けた。
「おー、早かったのー、待っておったぞ。この所帯で一冬越したら、全員飢え死にに成るとこじゃった。はよー連れ取っとくれ」
「メーベル軍所属、セルシア伍長であります。部隊が雪崩にあい遭難をしてしまった結果、クラウ殿に保護いただいている状況であります。実は帝国のヴァルキュリア以下2名を捕虜にしておりましてその件について報告お呼び、御相談があります」
幾分緊張気味に、報告を始めたセルシアは、雪崩に部隊があい、運良くマリアンヌと生き延びられた事、そして、味方の探索中に同様に遭難している帝国兵を発見し捕虜とした事、引き続き動員可能な帝国兵も使って友軍の生存者の探索を続けたが、発見できず更に天候の悪化に伴い自身達も危険と判断したため、下山を行いこの村に保護された事、それらを話した。
そして、負傷していたマリアンヌと帝国兵2名以外で健全で有った兵を使い生存者の探索、先導をさせてやっとの思いでたどり着けたが、その帝国兵は酷使されて瀕死の状態に成ってしまった。
「以上、報告を持ちまして原隊への復帰とさせて頂きます」
トリル準尉への報告を終えて、直立不動のセルシアとマリアンヌは、緊張の色を隠せない。
「ご苦労、両名の元隊復帰をここに承認する。で、相談とは?」
「はっ! 捕虜を尋問しましたところ、我々が補給に行くべきであった演習部隊との交戦を行って撤退中との事でした。谷は崩壊しておりこちら側からでは到達は不可能な状況であります。つきましては、第3補給部隊と共に友軍に物資を届けたいと思っております。それと、瀕死にさせてしまった帝国兵については私にも責任があり、介抱もしたいのですが……」
「セルシア伍長、良い心がけだ。演習部隊は交戦と雪崩で一部を失ったが別のルートからその先行部隊は既に 帰投をしているので、補給の必要は無いだろう。貴君らは、早急に軍司令部に出頭の上この件についての報告を願いたい」
「了解しました。つきましては捕虜の件なのですが、一名は移動不能ですのでマリアンヌを付き添わせたいと考えております」
「うーん、両名共に出頭して貰うのがよいし、3群の幹部にも目通しして捕虜の扱いの対応もしないと成らないから」
「ちょっとえーかえ」
「クラウ殿、何でしょうか」
「3群の嬢ちゃん達は、昏睡状態の帝国兵への責任を感じちょるんじゃから、面倒を見たいし下手に動かして死なれでもしたら気分も悪かろう」
クラウは、3群の2人と隅に立っている帝国兵を見回して、最後に床に横たわっている青い顔をした帝国兵を見ながら、
「なのでこの娘は私が責任をもって面倒見よう、3群扱いにして後でセルシア伍長達が引き取りに来れば良いじゃろう。それでどうじゃな」
「クラウ殿に面倒を看て頂くなど滅相もない」
「じゃあ、お主が残って面倒を看てくれるのかえ」
「私めは、戻って報告の義務が……」
「だったら、わしに任しとき」
トルケルの戦姫は、少し考え込んでから、
「解りました、移動の馬も足りないので、一旦帝国のヴァルキュリア殿とセルシア伍長には先行して部隊と合流していただきます。その間2名を残しますので、何にでもお使いください」
「それは、すまんのー」
「ヴァルキュリア殿の体調が良ければ、直ぐに折り返して、4日後には馬をつれて参ります」
「解ったぞい、その間、帝国と3群の嬢ちゃん達とお前さんの部下は預かっておくとしよう」
「かたじけない」
そう言って、その後シリカ隊長と話をしたトルケルの戦姫は、午後の早い内に移動を決意して準備を促した。とは言っても、シリカ隊長とセルシアは借りた馬に乗るだけだったが、それでも怪我をしているヴァルキュリアに対しては、敵国人で有っても、敬意を払っていることがかいまみえた。
午後、シリカ隊長を連れたトルケル部隊が村を去ると、残されたトルケル兵は、クラウさんの指示のもと薪割りや雪掻きなど、村の支援に駆り出されている。
そして、マリアンヌとニコルが、ラミアの看病をする構図に成っている。
「取り敢えず、厄介者の数を減らせたがもう一芝居うたないといけんな」
と言って、考え込んだクラウさんは、
「あれを使おう」
「あれって何でしょうか?」
疑問を覚えたマリアンヌが、聞き返した。
「今、ラミア殿には昏睡状態に至る薬を飲ませてはいるが、明日に成ればピンピンしてしまう位の物じゃ。まだ、兵はおるからそれじゃ不味いじゃろ」
と言って、二人を見ている。そして、ニヤッとした笑みを唇の端に浮かべてから、
「冬眠して貰おう」
「冬眠ですか?」
ニコルが、単に言葉を返すしかない質問をした。
「そうじゃ、ラミア殿には春まで寝ていて貰おう。ニコル殿、彼女は例の物だけを食べたのかえ?」
「ええ、クラウ殿の指示があったものだけを食べるように誘導しておきました。あのチーズのようなものをハムだと思ってかぶりついていましたが、あれで良かったのでしょうか?」
「まあ、あそこに固形物は置いてなかったから平気だとは思うが、冬眠中は固形物が腹の中にあると腐ったりするからのー。後は下の処置をすれば準備万端じゃ」
そして、ラミアを風呂に入れて下の処理をしたら、クラウの持ってきたマスクをかけて寝かせる。
「後数時間したら、体温が下がり始めて呼吸もほぼしなくなる。本当は少し凍らせた方が良いのじゃが、2ヶ月程度ならそこまでやらん方が良いじゃろう」
そして、ベットに横たえられたラミアの体からは徐々に熱が逃げていき、昏睡状態だった時のマリアンヌと同じくらいになったら、もう息をしているのかどうかも解らない状態だ。
「後はこの今の体温より少し高いくらい部屋で寝かせておくだけじゃから、心配せんても良いぞ」
「有難う御座います。クラウ殿」
「お主達も、群都に連れていかれたら色々と有るじゃろうから、この娘の事は任せておけ」
「はい、ラミアをよろしくお願いします」
「ニコルさま、このマリアンヌが命に変えましても、ラミアさまを責任をもってメーベル群にお連れいたします」
そうして、数日後に来た輜重部隊の分隊と共にニコルとマリアンヌは去っていった。
サポートの部下を置いていくと言う分隊長に、面倒も見れない程耄碌しているように見えるのか、とクラウが突っぱねるなど有ったが、トルケル軍は去っていった。
「と言うわけじゃ」
みんなで私を救おうと、色々してくれていたんだ。
「クラウ殿、感謝いたします。このご恩は出きる限り返させて頂きたいとは思います」
「そんな気を使わんでも良い。そもそも、お主は賭けに勝ったんじゃからのー」
「賭け?」
「冬眠の処置は、完璧な手順をしても1割弱は目覚めなかったりするし、お主のように簡易的に行ったら、そいつが4割以上に成るんじゃが、お主はちゃんと目覚めおった。それだけで十分よ、主に断りも無しに賭けたんじゃから」
そーか、それなりのリスクは有ったんだ。それでも、
「いえ、この結果を引き出して頂いたのは、クラウ殿のお掛けと言うことには変わりはありません。感謝いたします」
「ほっ、ほ。まあ固くならんと、メーベルの娘たちが来るまで話し相手にでも成ってくれれば良いさ」
そして、体調を直しながらして過ごした2週間程の間、クラウ殿とは色々な話をした。