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ローレライの教室  作者: 五十嵐某
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プロローグ

【プロローグ】


 ――ではよろしくお願いします。


「あ、もう回してるんすか。分かりました。じゃあ話しますね。ええとですね、こないだ友達四人と仙台のライブイベントに行ってきたんですよ。んでその帰りにみんなでカラオケでオールしようぜって流れになって、でも正直俺は気が進まなかったんすよ。だって俺、音痴なんで(笑)」


 ――でも、結局行ってきたんですよね?


「はい。断るのもあれなんで、結局みんなでカラオケ行ってきたんすよ。でもやっぱみんなすげー上手くて、ああこれ俺だけ浮いちまうパティーンだなって思いながら俺の歌う番になって、そしたら、ええと、なんつうのかなあ、あれは」


 ――電気のようなものが、走った?


「そうそうそれっすわ。電気です電気、静電気の超すげーバージョン。それがバチバチって胸のあたりを走ったと思ったら、手がマイクを握って、腰が浮いて立ち上がって、気付いたらなんかバリバリ歌ってたんすよ俺。ありえなくないっすか?」


 ――あなたの意思に反して、ということですね?


「だから何度もそう言ってるじゃないすか。身体が勝手に動いてたんすよ。俺の意思とかまるっきり無視して。歌い終わったら何故か元に戻りましたけどね」


 ――歌っていたとき、あなたはちゃんと意識があったんですね?


「はい。それはありました。間違いなく。友達にはおめえ二重人格かよとか夢遊病になったかとか色々言われましたけど、そうじゃないと思うんです。だって意識だけは本当にはっきりしてましたから。でも身体は全然思い通りに動いてくれなくて、マジわけわかんねえっすよ」


 ――一体何者なんでしょうね。ローレライさんて。


「いや俺に聞かれても困りますって(笑)」


 ――失礼しました(笑)。じゃああなたの身体が勝手に動いていたときの、一緒にいた友達の反応はどんなものでしたか?


「あいつらの反応っすか? みんな目ぇ丸くして驚いてましたよ」


 ――何に対して驚いていたんですか?


「そりゃ当然、歌っすよ」


 ――歌、ですか。


「ええ、そんとき俺が、いや、ローレライさんが歌った歌、馬鹿みてえに上手かったんすよ。自分の声だってのにマジ聴き惚れましたわ。正直言うともっかいくらいローレライさん降りてきてくんねえかなって思ってまして(笑)」


 ――なかなか恐ろしいことを言いますね(笑)。


「いやいやマジマジ。てか俺と同じように思うやつ、俺の他にも絶対いると思うんすよ」




「……はあ、はあ、はあ」

 二〇一七年二月某日。

 本日の最高気温はたったの五度。天気は幸いにも晴れだが、一向に上がりそうにない気温ゆえか、道の端には純白の雪の塊が溶けることなく取り残されたままになっていた。木の枝には氷霜も付着している。見ているだけで肌が粟立ちそうなそんな世界を、ぼくは走っていた。額に汗さえ浮かべながら、息せき切ってひた走っていた。

 坂道を駆け、校門を抜け、目的地である西高の校舎がようやく姿を現す。ぼくは脇目も振らずにそこへ向かって直行していく。しかし校舎の昇降口を抜けた途端にチャイムの音が高らかに鳴り響いた。予鈴ではなく本鈴のやつだ。

「……あー」

 ぼくはみるみる減速してその場に立ち止まった。ぜえぜえと乱れた息を吐き出し、肩を大きく上下させ、疲弊っぷりを惜しげもなく晒す。そうこうしているうちにチャイムの音はだんだんとその勢いを弱めていき、そして余韻だけを残してその場から消え去った。

 あたりに人の姿はない。話し声も物音もまるで聞こえない。こんな時間にまだ昇降口近辺をうろついている愚鈍はぼくくらいのようで、そこにあったのは森閑と居並ぶ白く無機質な下駄箱のみ。なんとも言えない他人行儀な雰囲気がそこにはあった。

 正直、帰りたい。今すぐ回れ右して家に逃げ帰りたい。

 だが、平然とサボりを決行できるほどぼくの心臓は強くはなかった。教室へ向かう以外に選択肢はなかった。渋々と下駄箱で靴を履き替え、木目調の廊下へと足を踏み入れ、もしかしたらまだ先生が着いていないかもという淡い希望を抱きながら、小走りで駆けていった。

 ほどなくして、ぼくは自分の属する1―Cの教室の前へとやって来た。後方の扉にそっと手をかける。

 目立ってしまうだろうか。そう考えた途端に弱気な虫が騒ぎ出し、心に不安がさざ波のように広がっていった。ぼくはどうにか虫たちを身の内から叩き出し、扉を静かに開けていった。

「……?」

 扉を開けていくにつれ、教室の中の様子がはっきりしていくにつれ、脳内に「?」マークが一つまた一つと浮かび上がっていった。

 だって、おかしいのだ。

 先生がまだ来ていないどころの話ではない。

 教室の中には、先生どころか、人っ子一人見当たらなかったのだ。

「……なんで?」

 しんとした教室の中に入り込み、その中央まで進んでいき、周囲をぐるりと見渡しながら呆然とつぶやく。かけていた黒縁眼鏡がわずかにずり落ちたので、慌てて元の位置に装着し直した。

 ぼくの記憶が確かなら、今日の一時間目は英語の授業だったはずだ。移動教室になった例なんてこれまで一度もなかった。前回の授業でもそれらしきことは何も伝達されなかったのに、何故誰もいない?

 ぼくはひたすらに考えた。考え抜いた。しかしそんなのはただの時間の無駄だとすぐに思い直した。

 職員室へ行って誰かに話を聞いてみよう。きっとその方が早い。

 そうと決まれば善は急げ、と行きたいところだったが、気付けば足は鉛のように重くなっていて、今のぼくの後ろ向きな心境が如実に表れているようだった。


「……失礼しまーす」

 恐る恐る口にしながら職員室へと足を踏み入れる。今は一時間目の授業の真っ最中ゆえ大半の先生は出払っていたが、それでも五、六人くらいは普通にそこに残っていた。

「おうどうした」

 比較的扉の近くの机にいた先生がぶっきらぼうに声をかけてきた。大きな身体に焼けた肌、刈り上げられた爽やかな短髪、いかにもスポーツマン然とした、ぼくとはまるで正反対のタイプの男である。ぼくのクラスの担当ではないが、彼は確か体育教師の室田という男だったはずだ。苦手なタイプだと思ったから逆に名前を覚えてしまっていたのだ。

「あ、はい、ええと、その」

「お前のクラスと名前は?」

 おずおずと話し始めたぼくの言葉を、室田先生の言葉が遮った。その話し口は実に堂々としたもので、なんだか自分がなじられているような錯覚すら起こした。びくりと、少しだけすくむぼくの身体。

 弱気な虫がまたざわざわと騒ぎ出すが、なんとかそれらを振り払い、口を開く。

「い、一年C組の、伊角洸一です」

 そう、ぼくは名乗った。

「伊角か、今は授業中だろ? どうかしたのか?」

 室田先生がそう尋ねてくる。当然の質問だ。ぼくは今回の訪問の理由を簡潔に説明しなければならなかった。

 だが、

「だ、誰もいなくて」

「うん?」

「きょ、教室に、遅れて入ったんです。いえ、別に遅刻したんじゃなくて、その、パンクしちゃったんです。自転車が。でも教室には、だ、誰もいなくて。それでその、どうしてなのかと思って……」

 お世辞にも上手い説明とは言えなかった。どもりと脱線のオンパレード。最後の方なんて消え入りそうなほど小さな声になってしまった。

 挙動不審の極みみたいなぼくの拙い説明を聞き、室田先生はその表情を少しだけ険しくする。

「あのなあ、もう少しはきはき喋れんのかお前は」

「……すいません」

 小声で謝ると、室田先生は聞こえよがしに大きくため息をついた。

「まあいい。C組は今、田中先生の英語だったな。田中先生なら今日は休みだ。今朝方連絡があってな。だから今日は別の授業に差し替えたんだが、なんだ、クラスのやつから何も聞いてなかったのか?」

「……はい」

「本当か? メールやSNSとか何も来ていないのか?」

「…………はい」

「なんだお前、クラスに友達いないのか? 一年も終わる時期なのにそいつはまずいだろ」

「……っ」

 容赦のない物言いもいいところだった。ぼくの心臓がずきりと痛みを訴える。もはや気分は最悪以外の何物でもなかった。

 そんなとき、室田先生の机の向かいから、室田先生、と静かに呼びかける声が上がった。そこに立っていたのは年配の女性教師、北村こず恵だった。彼女はぼくのクラスの現国を担当している人で、いつも笑顔の優しい先生とクラスでも評判だが、今の彼女の顔は相手を非難せんとするようないやに厳しいものになっていた。

「ああ北村先生、ちょうどいいところに」

 だが室田先生は、そんな非難の色なんて気にも留めなかったのか気付かなかったのか、北村先生に平然と話しかけていく。

「聞きたいんですが、田中先生の授業って」

「視聴覚室で洋画の鑑賞ですよ」

 室田先生が言い終わるまでもなく、北村先生が食い気味に答えた。どうやらこちらの話は普通に耳に入っていたらしい。

 視聴覚室で洋画鑑賞。そういうことだったか。蓋を開けてみればつまらないオチだった。

 しかし、こちらの話が耳に入っていたということは、当然先ほどの室田先生の「友達いないのか?」発言も聞かれてしまっていた可能性が高い。そう考えると、いたたまれなさが猛烈な勢いで押し寄せてきた。

「……ありがとうございます。じゃあぼくは、これで」

 ぼくは北村先生に向けて頭を下げ、そして即座にきびすを返し、そそくさと職員室から出ていった。振り返ることすらせずに後ろ手でぴしゃりと扉を閉める。

 はあっ。

 なんだかどっと疲れが押し寄せてきた。MPが激減している感が半端ない。職員室で少し先生と話をしただけなのに、先ほどの息せき切っての全力疾走よりもはるかに消耗したような気さえする。

「室田先生、ああいう言い方はないでしょう」

 背後から、つまり扉を閉めた教室の中から、北村先生の咎めるような声が聞こえた。

 どくん、と心臓が大きく跳ね上がる。

「そうですか? でも、今の時期にあれはやっぱりまずいですよ」

「あのですね、普通の子ならできるようなことができない子だっているんです。無神経な発言は慎んでください」

「いやいや、そうは言いますけどね、俺としてはああいうやつこそちゃんと自分に危機感ていうのを持つべきだと思うんですよ。あのままじゃろくな大人に――」

 うるさい。

 黙れ。

 ぼくは無人の廊下を逃げるように駆け出していった。

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