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王都の錬金術師  作者:
第一章 商人の本道
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第四幕

 公館の大門扉は開け放たれ、職員に誘導された豪奢な馬車の一段が次々と昇降場が設けられた広場へと姿を見せる。


 ゆっくりと連なって停車する三台の馬車の主人たちの各々が商会主と言う訳では無く、公館の一階広間で催される晩餐会に親類縁者を同伴するのが慣習とされている為に護衛の者たちを含む参加者の数は商会ごとに一定ではない為である。


 これ程の大物たちが一堂に介すともなると同じ場に、まして公館の入り口で待たせる無作法などは以ての外であり、立場や商会主たちの関係上、特定の誰かを優先させる事も出来ぬ為、厳密にそれぞれの時間を調整する事で不慮の遭遇を避けて公館に招いているのだ。しかし招かれる順番からして厳正なくじ引きの結果である事からもその徹底した対応ぶりに一周回って滑稽ささえ抱いてしまうのは必ずしも俺だけではない筈だ。


 停車した馬車の扉が開かれる音と共に複数の気配が公館の入り口へと近づいてくる。厳密に言えば俺たちの方へ、と言う事になるのだが。


 担当者以外の職員たちは列を崩す事なく来賓を出迎えている為に必然的にそうなる訳で……勿論まじまじと視線を向ける事など許されず恭しく頭を下げて出迎えている手前、視線は足元に、となるのだが、そこはそれ俺も手慣れたモノで気づかれぬ様に自然な形で上目に向く俺の瞳に丁度すれ違う女性の括れた腰回りが映り込む。


 同時に漂う心地良い香水の残り香が俺の鼻孔を擽り……『彼女』を現す代名詞とも言える洗練された芳しい香りはそれだけで顔を見ずとも誰であるのかを悟らせるには十分で、俺は予想以上の大物といきなり遭遇した混乱と緊張に思わず息を飲み込んでいた。


 大陸最大の規模を誇る大商会クラウベルン……その会頭にして女主人。


 エリザ・クラウベルンの存在に。


 中央域の列強の一つに本店を構えるクラウベルン商会は中央、西方の両域の主要都市全てに支店を有する大陸屈指の大商会として知られている。クラウベルン商会は農業、鉱業、陸運、金融など数えきれぬ分野で成功を納め、その影響力は会頭であるエリザ個人で大陸経済を揺るがせ得る怪物として余りにも高名な女傑の名であった。


『そう言えば今年も娘夫婦の下を訪れていたんだったな』


 と、俺は思い出す。


 若くして夫に先立たれた彼女には確か今年成人を迎える一人娘が居る。溺愛するその娘はこの国の侯爵家の嫡男と婚姻を交わし正妻として迎え入れられていた筈。それが愛娘と過ごす為に彼女がこの時期に王都を訪れている理由として有名な話ではあるが、同時にそれが彼女の有する力を何よりも象徴しているのだ。


 彼女も亡き夫も貴族家の血を引かぬ平民の出。それが大国の侯爵家……それも側室や寵姫ですら無く正室などと、一体どれ程の特例に特例を重ねれば結ばれる事が可能な婚姻であったかなど最早俺の想像の範疇を越えている。


 若き二人が想いを遂げて結ばれた良縁……などと物語ではない現実でそんな都合の良いおとぎ話を夢想する事は難しく、何よりもクラウベルン商会の本店が属する列強側からの強い抗議や制裁を伴う反発すらも無くすんなりと結ばれたこの婚姻の裏に大国間に股がる思惑と蠢動する闇すら感じられ、先走る俺の思考は大きな戦禍の訪れさえも予感させる……。


 が、直ぐに己の荒唐無稽な妄想を馬鹿馬鹿しいと無理にでも否定する。分相応、俺のような小物が邪推する類いの話では、領分ではないのだと気づいたからだ。



                 ★★★



 気を取り直して見れば既にクラウベルン商会の馬車も気配も其処にはなく、上げた眼に新たな馬車が門を抜け此方に向かう車影が映る。


 馬車が近づく様子に隣の同僚がさっ、と動き、本来の興味の中心人物の登場を俺に知らせてくれる。そんな同僚の背を眺め俺はまだ残っていた自分の幸運に感謝する。順番がもしも逆であったなら、俺が担当する南部生まれの偏屈な御老公は歳を理由に晩餐会を欠席する恐れがある。そうなれば噂の主の姿をこうしてお目に掛かれる機会など当分先の話となっていた可能性があったからだ。


 瞳に映る馬車は一台。


 他の商会主たちが数台を連ねて訪れるのに比べ、黒塗りの馬車の造りは格式高そうではあるが一見して古臭く、ただ扉部分に刻まれた刻印は何処かで見覚えがあるモノだった。


 天を穿つ白亜の塔と駆ける黄金の大鷲。


 確か劇場で似た造形のモノを見掛けた気もするのだが、この場でぱっ、と思い出す事が出来ず、思案する俺の耳に御者の隣で寝そべる護衛らしき赤毛の青年の欠伸の声が届く。


 そのだらしない姿を目にして俺はやはり呆れるよりも若干の失望を覚えてしまう。その商会の質を測るのは従者を見れば事足りる、と言われる程に教育の浸透度は重要な物差しとして機能する。一般的な見識からしても従者がだらしなければ主人も、と思われるのは何もこの業界に限った話ではない筈だ。


 かちゃり、と同僚が馬車の扉を開き、


 車内から姿を見せた麗人に俺はそんな失望すら忘れ息を飲む。


 まだ二十代も前半だろう、麗しき金髪の姫君は肩口までの短い髪を靡かせて昇降台を一歩降りる。下世話な感想ではあるが均一に整えられた髪の先から見ても最近短く切り揃えたのだろうと感じられ、だが誂えられた眼鏡の奥に映る碧眼と共に整った容貌に映える彼女の礼装は知的な淑女の印象を他者に与える事に成功していた。


 どんな年配のじいさんが現れるのかと思ったが……と、良い意味で十分に期待を裏切られた俺は妙な高揚感に包まれる。流石に先程の女傑に抱く肝が冷える様な威圧感こそ感じぬものの、若き御用商人の誕生に、それも美人の女と追加で付けば尚の事、抱く興味も倍増すると言うものだ。


 一歩、二歩、と昇降台を降りる麗人の足が止まり、馬車を振り向く彼女は車内へと右手を差し伸べる。一瞬それに戸惑いながらも俺は自然にその指の先へと視線を向けていた。


「ありがとう、レベッカさん」


 車内から澄んだ鈴の音が響き、彼女の白い手に更に華奢な手が添えられる。


 彼女の手を借り車内から姿を見せた少女の姿はこの季節に語られる雪の精霊そのままに、少女の下に俺を含めたこの場の職員たちの視線が注がれているのを肩越しに感じていた。


「あれが、クリス・マクスウェルか……」


 そんな誰かの呟きと共に。


……。


……。


……。


 これより始まるこの物語の語り口はこう綴られる。


 今は昔、それは青銅の時代……まだ魔法が存在した鉄と血の時代に生きた一人の商人の人生録であると。






これで区切りとなる一章の完結です。

皆さんに読んで頂けた事が励みとなり何とか此処まで書ききれました。本当にありがとうございます。

次章は時系列的に先の話となる本編を追う形の短編形式になると思います。

週に一つの短編を投稿する程度の頻度になってしまうとは思いますが此れからも良ければお付き合い下さい。

宜しくお願いします。皆様に感謝を。

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