第一幕
たとえどんなに小さくても、進歩は進歩である。
冒険者ギルドと独占売買契約を結び、当面の条件も折り合いを付ける事が出来た。
月に百本、価格は五万ディール。
その七割が私の収益となる。
生産コストを考えれば、濡れ手で粟と言えるべき成果ではあるが、採算は別にして普及させると言う目的を考えれば問題は山積みである。
冒険者の中で全体の六割を占める下位冒険者たちが日に手にする報酬は平均で、五万から十五万ディール程度と言われている。
これをパーティーの人数で頭割りするのだと言うのだから、まったくもって夢の無い話だ。
神殿の協力を得られ、治癒魔法士や治癒魔導士が以前の様にパーティーに一人の割合で参加する正規の状態に戻ればこの効率は三倍以上には上がると言うが、はっきり言ってそんな机上の空論などを考慮に入れるつもりは無い。
それに仮定の話、冒険者のレベルの底上げが為され、硝石が安定供給されれば需要と供給の観点からも間違い無く硝石の値段は下がる。
物価や神殿の動向に左右されない、少なくとも妙薬に関しては安定した価格を、何よりも下位の冒険者たちが気軽に手にする事が可能な個数を供給する事が私の努力目標となっている。
今回冒険者ギルドと交わした契約に置ける達成目標とは。
月に十万本、価格は一万ディール。
これが目指すべき一つの到達点と言える。
私の地下工房での生産が前提であれば達成は容易なのだが、普及を目指すなら寧ろ悪手……と言うよりもやっては駄目な気がする。
私は知識や技能を与えたい訳じゃない、学ばせたい。
お金を楽に集めたい訳じゃない、稼ぎたいのだ。
うん……道理である。
そんな訳でやるべき事は多い。
第一に妙薬を普及させる為の一番の障害となっている頭の痛い難題を説明しよう。
この世界の魔法は『火』『風』『土』『水』の四元素を基に系統化され構成されている。
此処で疑問符が付く。
あれ……第五元素は何処に行っちゃったんでしょうか……。
今の魔法には決定的に欠けている要素が存在しているのです。
『光』を加えた五大元素を系統化し複合構成させる事で魔法とは頂きへと至る道となる。
然りて五大元素とは導である。
うん……最初に座学で学ぶべき基礎中の基礎です。
では何故、光の存在がものの見事に消失しているのか……。
現存している古文書からも、古代語の魔術書からも光の記述は見当たらない。
これは推論と言うよりも確信に近いのだが、何処かの時代の馬鹿共が何らかの思惑で意図的に歴史を改竄している可能性が高い。
遺跡の魔物の件と言い『白銀の時代』が最有力できな臭いのだが……まあ、今論じるべきは其処では無い。
幸いにも治癒魔法が存在する以上概念としては存在している様で……もうお分かりだとは思うが神殿と治癒魔法の関係性を考えれば自ずと察せられる。
そう……現在では光は信仰と言う概念へと置き換わっている。
ああっ……神の御加護を、御慈悲を、って奴でしょう。
治癒魔法に信仰はまったく関係ありませんよ……ええ、本当に。
治癒魔法も妙薬も光の構成が効能や効果に大きな影響を与える……つまりこの問題を解決させなければ、私以外の魔法士が同等の効能の妙薬を生み出す事は不可能という結論に至る。
かと言ってこの問題の厄介なところは信仰と言うモノが絡んでいる点にある。
下手に光について触れ回ろうモノなら、神殿は容赦無く私を叩き潰そうとするでしょう。
ええ……完膚なきまでに徹底的に。
冒険者ギルドの後ろ盾とか意味はないと思います……信仰と治癒魔法が同列に扱われる現在では、光を第五元素として語る事は信仰の否定に繋がりますから。
真っ向から神殿に喧嘩を売ってますよね……それ。
宗教戦争にまで発展しそうで怖いので、光については保留と言う事にして、さて此処からが本題です。
光に触れずに妙薬の効能を引き上げる方法、実はこれには一案がある。
信仰と言う概念で光を系統化せず構成していると言うのなら、同じ理屈で妙薬も精製できるのでは、と言う事だ。
解決のヒントは硝石にある。
硝石は地脈から漏れる魔力を遺跡を介して吸収して出来た結晶。
これと同じ原理を用いたものが神殿にも存在するのだ……神への祈りによって聖別され洗礼された清らかなる水、『聖水』と呼ばれるモノが。
聖水を精錬する事で光を抽出し、妙薬の素材と再構成させる事で現状の効能を大きく底上げさせる。
これならば錬成を使えない薬術師でも各段に効能を向上させた妙薬の生産が可能になる筈……加えて神殿を妙薬が生み出す利権に参入させる事で共通利益を生じさせ神殿との間に互恵関係を構築する。
まさに一石二鳥と呼ぶべき画期的な計画である。
あるのだが、まさに言うは易く行うは難し……悲しいかな全ては机上の空論と言べきモノ。
まずはその妙薬を作り出し効能を調べる事から始めなければ為らないし、神殿との交渉に必要な人脈も納得させるだけの説得材料もまったく持ち合わせてもいない。
つまりはまだ何も始まってすらいないのだ。
それでもこの試みは試金石となるだろう。
神殿と冒険者ギルド、二大勢力の協力を得られれば他の国でも妙薬の安定した生産と供給が可能となり、真の意味での普及へと……世界は一歩前へと進む。
そんな中、鼻息荒く意気込んで、現在『夜の帳亭』では妙薬普及計画の記念すべき第一回目となる会議が開かれている。
「で……この出鱈目な金額は一体何の冗談かな……マルコさん」
「お嬢に頼まれていた条件に見合う物件の資料ですけれど?」
「どの物件の価格も単位が全部『億』なんだけど?」
「言い難いんですけど、それは土地の値段なんで建物は別に金が掛かりますよ」
どうやら前途は多難の様です。