第一幕
狐目さんは一番身近な助言者ではあるが私の意見に賛同するだけの肯定者では無い。
ゆえに決定に異論は無いが、と続けて懸念は伝えて来る狐目さんの言に私は黙って耳を傾ける事にする。
「貧民街の者たちに会頭が肩入れするのが単純な身贔屓では無い事は知っているつもりですが、重点的に貧民街で活動を行っている西方協会とこのマクスウェル商会の関係性を踏まえて見ても未来の論争の種を内に招くだろう点だけは留意しておいて下さい」
「論争の種?」
「貧民街に住む人間たちの存在を快く思わぬ者たちは存外に多いと言う事です」
マクスウェル商会の会頭は貧民を『不当』に優遇する偽善的な差別主義者である……それが今後の先行き次第では貴女と商会に王都の大多数の国民が抱く事になる感情になる、と。
「貧民街の者たちが差別の対象とされるのは彼らが西方域に生まれた土着の民ではなく、辺境を含めた大陸各地からの流民やその子孫たちである事が要因の一つである事はご存じですか」
目覚めてからまだ五年と経たぬ身で現在の大陸の情勢の多くを知る筈も無い私は黙って首を横に振る。
「でも瞳と髪の色を見れば分かる通り私も西方の生まれではないけれど、王都に来てからその手の差別を受けた経験はないですよ?」
この溢れんばかりの美貌のせいで幾度となく別の意味での身の危険には晒されて来ましたが。
「王都の歴史は古く貧民街の成り立ちもまたその歴史と共に在るのです。先程言った様に要因の一つ……いえ、今では遠因と呼んだ方が正しいかも知れませんね」
「それはどう言う意味ですか?」
「長き歴史の中で差別の対象が流民たちでは無く、彼らが住む貧民街と言う街そのものに移り変わったと言う意味です」
「つまり今では生まれや人種に関わらず貧民街に住む事自体が差別の対象であるのだと?」
その通りです、と狐目は頷く。
「西方域最大の都市であり経済の中心地として栄華を誇るこの王都も住んでみれば楽園とは言い難い事は既に会頭もご存じの筈。知っての通り大多数の民の生活は決して楽なものではありません」
「なるほど……言いたい事は大体分かりますよ」
人間は見上げるのは首が疲れて長くは続かずとも見下ろすのは自然で楽なもの。
自分より辛く貧しい者の存在は安心となり慰めとなり今を生きる活力となる。あいつらよりはましなのだ、と思える事で、差別する事で、人間は置かれた現状への不満を抑える事が、耐え忍ぶ事が出来るのだ。それは欠点と呼ぶべき人の持つ悪性と例えるよりも寧ろ本能に近い感覚的なモノで有るのかも知れない。
「犯罪の温床とも成り得る環境を王国が長きに渡って改善を成す事も無く放置してきたのは、意図的に差別意識を作り出し国民たちの不満の捌け口としてその目を逸らす為……これは私の私見と言うよりは歴史上繰り返されてきた事実だと考えています」
「慈善活動の範囲に留まる程度なら微笑ましく見守れても、貧民に職を奪われるのは我慢がならないと、それを助長するマクスウェル商会は俺たちの生活を蔑ろにする害悪だと……何れはそうなると言うんですかマルコさん」
「その通りですよ」
「そんなモノは差別する側の勝手な理屈でしょう。それはされる側の理由になりはしませんよ」
今年は多くの者たちが飢えや寒さで死なずに済みます、とこの扉越しに語ったあの子の言葉が脳裏に過る。
別に感情的になっている訳でも同情心からの言葉でもなく、私はただ事実を告げただけ。彼らの大多数が真っ当な職に就けぬのが内ではなくそれら身勝手な外因にあるのなら、私が彼らを雇わぬ理由にも、彼らが私の下で働けぬ理由にもなりはしないからだ。
「それはご立派な考え方ですがただの綺麗事に過ぎません。商い事で身を立てるのなら当然大衆の反感を買う行為など避けて然るべき当たり前の理屈です。優れた『モノ』を世にひけらかし、ただただ称賛を浴びたいだけなら貴女は商人など目指さずに錬金術師として在れば良い。世の不条理を正したいと願うなら世界を統べる王様にでもなれば良い」
しかし、そうではないのでしょう? と、狐目さんは私を見つめる。
「商人としての本道を歩むつもりなら貴女はマクスウェル商会の会頭として働く者たちの生活と名を刻んだ看板を汚さぬ責務がある筈です。それとも貴女は何時までもただのお嬢のままなのですか」
「なるほど正論ですね、なら私はどうするべきだと思うのですか?」
「難しい事ではありませんよ、次に雇う者たちはそうした大衆の内から選ぶだけで良いのです。総務や経理など事務職に空きを設けるなど簡単な話ですからね、力仕事は貧民たちに、事務職は国民たちに、ちゃんと『区別』をして働かせればだれも文句は言いません、寧ろ公平な商会だと広く知られる機会となるかも知れませんよ」
空を誰より高く飛びたいと願ってもそれは飛べる鳥たちが挑む夢。巣立ちもせぬ雛鳥が語って良い夢ではないのだと……羽ばたく以前から飛ぶ空の風が強いと雨が辛いと憤るのは子供の癇癪に過ぎぬのだ、と狐目さんは言っているのだろう。
「差別はしない区別をするだけ……ですか、実に虫酸が奔……げほんっ、妙案ですね、べ、別に……納得した訳じゃないんだからねっ、勘違いしないでよねっ」
その意見は最もで尊重もしますが腹が立ったので減俸二ヶ月確定なのである。
「それと会頭」
「まだ何かあるんですか?」
と、口煩い小姑をむすっ、と睨んでみる。
「警備に関してなのですが」
「ああ……冒険者ギルドが請け負いたいってやつですよね、聞いてますよ」
それとなく捩じ込まれた感はあるが、冒険者ギルドが身元を保障してくれる斡旋された冒険者たちを依頼と言う形で雇用する方が新規で募集をするよりも手間も経費も掛からずなにより安く済む。それに私は冒険者ギルドの特権商人であるのだから、冒険者を使う事に不自然さは持たれぬだろうし問題は何もない筈なのだ。
「警備は外注なので主任は設けず会頭に担当をお願いしたいのですが」
「良きですぞ、承りましょう」
軽く安請け合いをする。
実はこの話には一つ裏があるのです。
商会の警備とは別に私の身辺警護に凄腕の冒険者を紹介したいとマリアベルさんから内々にお話を賜っているのです。あの話ぶりからして恐らく相手は女性……それも美女の香りがぷんぷんします。赤髪の特徴的な方らしいのですが今から会うのが楽しみなのです。
「では概ね話が纏まったようですし、最後に彼女の処遇をどうするか……なのですが」
狐目さんの言う彼女とはレベッカ・リンスレット……商会で保護している彼女の事である。
回復薬の量産が始まり取り巻く環境は大きく変化を迎えるが、一つの大きな目的を果たしてしまった為に更なる次の段階へと進むには恐らく数年の準備期間は必要になるだろうと考えている。
とは言え、マクスウェル商会の設立は元より回復薬の流通と販売だけを目的としていた訳ではない。ゆえにその期間を利用して、と言う訳ではないがこれを機会に手広く商いに励んでいきたい訳ではあるが、未だにその要となる部署の主任が決まっていないのである。
新規事業部。
この部署の主任を決める……それが今期最後の私の務めとなるだろう。




