第二幕
「不思議でならない、と表情に書いてありますよ女狐さん」
「なぜ生きているのクリス・マクスウェル……」
魔法が阻害されれば術者は必ず気づく。気づかぬと言う事は阻害されていないと言う事。ならば何故結果が嘘を付く……その理解が至らぬ現実を前にして知らず私はまた問うていた。
「基礎魔法の汎用性に着目したその発想力と応用力、そして辿り着いたその技術は感嘆に値するモノ……ですが何もそれは貴女だけの専売特許と言う訳ではありませんよ」
『流体抗膜』
「循環する抗膜が幾重にも異なる流れの層を形成する事で元来の障壁の性質たる対消滅では無く物理及び魔法効果を受け止め吸収するこの流体抗膜は同時に優れた美肌効果を実現させた……おほんっ、低燃費保護膜なのです」
これは爪先から髪の先一本に至るまで循環する流体抗膜が術者を守る自立展開型の抗魔法障壁なのだと彼女は語る。
驚かされる現実の連続に感覚が麻痺しているのか、未知の魔法形態を眼前で語られても思うよりも受ける衝撃は少ない。恐らくそれは彼女なら、と言う私の内に生じたある種の確信に至る解釈ゆえ。そしてこれが私の人生最初にして最後になるだろう、神との対話は尽くせぬ疑問を呼び起こし知識を欲する欲望が生み出す悦楽は最早先程の比ではなく己が身を濡らす。
「自立型の魔法が低燃費ですって……随分とそれはふざけた理論ね」
自立型の魔法とは本来の特性とは異なる方向性を組み入れた革新的な複合魔法の一つ。それは既に理論としては確立され、魔法として一部で完成されている。
代表的な例を挙げれば私が調べた限りこの西方域で最高の魔術師の一人であるマリアベル・マルレーテ。彼女は冒険者時代の逸話が多く残る為に扱う固有魔法はこの目にせずとも考察をしやすい人物の一人。
彼女は自身の固有魔法の術式に対象を外さないと言う方向性を組み入れ、視界に捉える限りと言う限定的な条件付けを付加させたのだろう。
何故態々そんな条件を加えたのかと言えば推測は簡単だ。自立型の魔法とは制限を加えねば脳が過負荷に耐えきれず焼き切れる程の広域の高速演算と魔力消費を必要とする突き抜けた性能を有するゆえ。本来、人が扱える領域を逸脱したモノゆえに手にした魔法士を讃えその魔法を固有魔法と称するのだ。
「少し言葉が足りなかったですかね、それが人間の分を越えた領域であるならば人間以外のモノに代行させれば良いだけの話。単純な発想ですよ」
ぱちんっ、と彼女は、クリスは指を打ち鳴らし、瞬間、発現した浮遊する黒き宝珠は彼女の体の周囲をゆっくりと周回する軌道を描いて回り出す。
「思考する……宝珠」
私はソレを知っている。古き伝承に綴られルクセンドリアの戯曲にも語られる、その叡知の結晶の名を。
「万象を具象化する魔法は更なる先に万物の具現化に至ります。これを以て我々人類は高度な魔法の一切に触媒を必要としない新たな時代を迎えるのです」
星の輝きを内包する黒色の宝珠……自立演算宝珠。
無限の演算処理を可能にする神話の遺産の存在を前にして私の魂は歓喜に満ち溢れ、震える膝を地に着ける。
「この時代の人間に此処まで見せたのは貴女が初めてです。私がそうである様に優れた魔法士が優れた人間ではないけれど、だからこそ私に貴女の力を貸しては貰えませんか?」
もう一度彼女は私に手を差し伸べて問う。
私の鈴は新たな複数の存在を背後に捉えている。それはこの甘美なる時間の終わりを意味し彼女もまたそれを知るゆえに答えを求めているのだろう。
「我が愛しき際者の転輪……無窮の刻を生きる我が始祖よ、貴方は今の世に、人間たちに何を求めているのですか」
答えはない。いや、答えるべきモノがないのだろう。
「今の世でニクスを継がぬ悪戯な君よ……貴方は人間に、人に焦がれているのですか?」
「くどいよっ、私は貴女と変わる事の無いただの人間だ、ミカリヤ・モルガン!!」
初めて波打つその声音には思うままにならぬものに対する苛立ちが感じられ、同時に名を呼ばれた歓喜に私は身を震わせる。
「貴方は何かを得るよりも何かを失う事で人の心の機微を知る……人として生きようとする未熟な貴方はこの敗北で女の情念を知るでしょう」
「それは愚かな選択だよ……女狐さん」
私が懐から取り出したのはエイブに渡した薬と同じ物。それが何かを知らずとも私が何を望んでいるかを知るのだろう、彼女の声は酷く寂しげであった。
薬を一気に飲み干すと変化は直ぐに如実に現れる。
魔法の系統に関わらず突き詰めていけば錬成の秘術の模倣に至る。体組織の変化と再構成……この立ち塞がる大きな壁の先にこそ失われた錬成の秘術があるのだと今は知る私は満足感に包まれる。
魔法士の最後としては締まらぬが、強化された手刀の一刺しが神殺しの栄誉に至るか至らぬか、消失していく思考の果てに私は全霊を以て大地を蹴り上げる。
「万象を現し示せ、叡知の輪」
加速する時の中で私の世界は黄金色に塗り替えられる。
幾億もの流れる金砂の瞬きはその全てが叡知の欠片。
その全てが一つの世界。
「神と人を分かつのは不死性の有る無しに過ぎず、例えそれを人が手にしても変わらず人は人のまま……ゆえに神は存在せず在るのは人の生き様だけさ……けれどそうだね、貴女の勝ちだミカリヤ・モルガン。負け続けるのは嫌だけどこの敗北は甘んじて受け入れよう」
停滞する時の流れのその内で神の御手に抱かれる感覚と共に私の思考は黄金の世界へと溶け込み消えていく。




