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王都の錬金術師  作者:
第一章 商人の本道
82/136

第一幕

 私とミカ先輩が身を隠すあばら屋は王都と街道の境界線となる森に面した僻地に位置していた。


 立地的にもこの辺りは野犬や狼の群れが頻繁に出没する危険な地帯として知られ、ましてこの秋口にもなると餌を求めて獰猛な獣と化すそれらの被害が急増する為に貧民街の連中もこの時期は寄り着かないのだとミカ先輩は平然と嗤っていた。


 同時に王都と街道、人と獣を隔てる緩衝地帯でもある為に警備隊内でも管轄が曖昧な上に複雑で、監視の目が届き難い貧民街の中でも逃亡者には最も都合の良い場所なのだそうだ。まして一時的に身を隠しているだけの私たちの様な人間には特に。


「そんなに周囲を警戒していなくても誰も来たりはしないわよ」


 狭い小屋の窓辺から落ち着かぬ様子で周囲を窺う私の背に先輩の呆れた声が投げ掛けられる。


 元々は森に入る猟師たちの休憩所として建てられたのだろう、小屋は狭い上に汚くその上長い期間放置されていた為か手入れがされていない木製の小屋は隙間風が各所から吹き込み、出入り口の扉など非力な私でも壊せそうな程にぼろぼろで、確かに小屋内を照らす明かりの所在さえ気づかれねば、こんな場所に人が潜んでいるとは誰も考えないし想像もしないだろうと言うのは身に染みて同感であると言わざるを得ない劣悪さではあった。


「別に人が来る心配なんてしてません。ただ野犬が彷徨いてるなら追い払わないと……私は飢えた獣の腹の中に収まるつもりはありませんから」


 こんな建て付けの悪い扉が獣避けとして役に立つかは甚だ疑問が残る。不意に襲われぬ様に警戒を怠らぬ事は重要で私の行動は何も間違ってはいない筈だ。


 元より女が二人だけで居て良い様な環境ではないのだから気を緩める事など出来る筈もない。護衛の人間など付ければ返って貧民街このまちでは目立つというのは分かるが、いくら魔法が扱える魔法士だとは言っても薬術しか習得していない私には身を守る術など無いに等しく、『ただ』の薬術師とは異なる先輩と一緒にされても困るのだ。


「ちゃんと周囲には『鈴』を付けているから安心しなさいな、何か異変があれば私が直ぐに気づくわよ……それに今日中には迎えが来るだろうし、長居なんてしないから安心しなさいなレベッカちゃん」


 先輩のその言葉に内心でほっ、と息を付く。


 魔法士はどの分野や系統に進もうとも基礎として学院で或いは独学で『障壁』と『結界』の魔法を習得している。裏を返せばそれが扱える事が魔法士を名乗る為の最低限の条件であるとすら言って良い。


 最もそれら二種の魔法は一般の者たちが想像する様な強固なモノでも万能なモノでも無く、通常の障壁とは小石を弾く程度の強度しか維持出来ず、結界に至っては境界に侵入した者に向かい風程度の違和感を感じさせる……はっきり言って実用性の無い基礎の魔法なのだ。


 そんな魔法が何故必須なのかと問われれば簡単で、この二種類の魔法を発現させる為の術式の構成には術式を組み上げる為に必要な全ての手順と技術的な要素が集約されていると言っても過言では無い完璧なお手本としての側面を併せ持っている為に他ならない。


 だが一流と称される一部の魔法士は別格で、基礎ゆえにその汎用性の幅は広く、ミカ先輩の様に結界の属性を遮断では無く感知に特化させる事で境界への侵入者を瞬時に察知すると言う扱い方も可能となる。


 結界魔法という分野において学院で学ぶ面白い逸話が一つある。


 ルクセンドリアの戯曲の一篇としても語られる物語の一つに、若き日のクリス・ニクス・マクスウェルは自身で構築した結界魔法が余りにも完璧な遮断の効果を発現させてしまった為に解呪すら出来ずに閉じ込められ、結果餓死しかけたと言う話が残されている。


 叡知の人として讃えられる大錬金術師がまだ未熟であった若き日の逸話、とされてはいるが、ある意味で情状の余地無く間抜けな話ではあるので恐らくは後世の人間たちが作り上げた創作ではあるのだろうが、魔法の可能性と危険性を示す教材として有名な逸話であり私の記憶にも残り続けている。


 とんっ、と先輩がふかす紫煙と煙管の音が断続的に狭い室内に響く。


 先輩が周囲に目を光らせているのなら私の出る幕など無く、正直、こんな場所で一夜を過ごすかも知れないと言う可能性にぞっ、としていた私はそれを否定された事で何処か心に余裕が出来たのだろうか、ある一つの疑問が首をもたげてくるのを感じていた。


 訊ねても良い種の話なのだろうか、と言う不安は残る。しかし時間だけはあり時間だけしかない今の身で、この生じた好奇心を抑える事は難しかった。


「先輩……クリスに対して以前呟いていたニクスの後継って何の事なんですか。それは私たちが今おかれている状況と何か関係があるんじゃないんですか?」


 迷ったところで仕方が無い……だから私は覚悟を定め疑問を口にする。


 ぶつけられた質問に対してミカ先輩に驚きの色はなく、寧ろ興味深そうに私に微笑み掛ける。だがそれは暖かみとは異なる小動物を愛で観察する飼育者の如く眼差しの様にも思え、私の額に知らず冷たい汗が滲む。


「そうね……貴女たちの世代ではもう知らぬ人間の方が多いのでしょうね、『連中』のおかげで今は異なる意味合いで使われてはいるけれど、ニクスの後継とは元来は我々魔法士全てを指し現す名称であったモノなのよ。私たち魔法士はすべからくニクスの子であると言う意味においてね」


 先輩の言葉は余りにも抽象的に過ぎて伝わり難いものだった。


「レベッカちゃん、貴女はパンドラの箱の伝承を知っているかしら」


「あらゆる災厄の種が封じられていた箱の伝承ですよね、子供心に聞いた覚えはありますが」


 今の世界に不幸や争いが絶えぬのは、一人の愚かな女の手で世界にばら蒔かれた災厄の種が芽吹く為……確かそんな主旨のおとぎ話であったと記憶している。


「一般伝承としての話はそうね、けれど廃れた箱の逸話には異なるモノもあったのよ」


 と、ミカ先輩は語る。


 黄金の時代よりも遥かな昔、あらゆる叡知が封じられていた箱が存在していたのだと言う。ある一人の少女の手に依り箱は開かれ、世界を満たした叡知の欠片はやがて人間と言う種に魔法と呼ばれる力を与えたのだ、と。


 そして最後まで箱に残りしモノこそが『叡知の輪(アルス・マグナ)


 全てに至る根源であるのだと。




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