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王都の錬金術師  作者:
第一章 商人の本道
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第九幕

「この……馬鹿野郎がっ」


 エイブラハムに投げ掛けられたゴルドフからの短い一言。


 其処に込められた想いなど預かり知らぬ私たちではあったが、それでもそれは、この大仰に仕組まれた全ての茶番の幕引きを告げる鐘の音の如く静寂を打ち破る。


「そういう……事かよ……兄貴」


 援護の為にでは決してない退路を絶つ新手の武装集団たちの動き、己を捉える抜かれた剣の切っ先の線上で、白髪の獣は全てを悟った様にただ短く呟く。


「俺をこの場から逃がさねえ為にわざと遅れて来やがったって訳か……此処は猛獣を仕留める為の檻、つまりはそう言う訳だよなゴルドフ」


 獣の吐露する言葉は全て正鵠を射ている。


 全ては茶番、これはあの子が仕組んだ幕間劇……事の始まりは数日前まで遡る。回復薬エクシルの量産体制が整った事を告げにギルドを訪れていたクリスは、同時に一つの提案と依頼を私たちに持ち掛けて来たのだ。


 回復薬エクシルの量産と言う目標を達成させたマクスウェル商会は、その一歩を以て正式に商いの場を表舞台に移す、と。


 勿論それは当然と言うより必然と呼べる帰結。


 冒険者ギルドと結ばれた独占契約により回復薬エクシルがクリス……いや、マクスウェル商会の手で市場に出回る事こそ無いが、月に十万本の目標が達成される事で多くの冒険者たちが手にする事になり、遠くは無い先の未来において、その数は月に二十万、三十万、と安定的に増産されていく事は、皆に望まれる規定路線と言うべき予見された未来と言える。


 そうなれば冒険者たちの手に寄り回復薬が市場に出回る事態は避けられず、それこそが回復薬エクシルを大陸に普及させたいと望むクリスの目論みの一端であろうし、あの子には未だ伏せてはいるが新たに『回復薬エクシル特別法』を施行する事で王国側との交渉に決着を見たこの先は、予見される未来において規制路線を堅持する王国と冒険者ギルド……一般の市場への解放と普及を望むクリスと神殿と言う新たな対立構造が生じる事になるのだが、それはまた別の話。


 前述を念頭に入れれば分かる通り、量産が成れば回復薬エクシルの革新的な効能と作用を隠蔽する事は事実上不可能となり、瞬く間に大陸全土へと知れ渡り周知されていく事だろう。それを製造するマクスウェル商会の名と共に。


 一躍名を馳せ、大手商会と肩を並べる存在となり世間に広く知られる前に、この絶好の好機に一つだけ布石を打っておきたいと私たちにクリスは言った。後の為にも最も効果的であるこの好機タイミングに、と。


「ごるどおおおおおおおおおおおふうううううううううっ!!!!」


 大気を震わせる獣の咆哮。


 天を仰ぎ全霊で吼える獣の姿は失われたモノの大きさを物語り、仕留めるべき猟犬たちを一瞬怯ませる。それ程の迫力を帯びたまさに魂の慟哭であった。


「勝手な真似をしやがって、もとよりお前は無関係だったってのに……それを得体の知れねえ売女ばいたの甘言に考えなしに乗せられやがって、どんだけのぼせ上がってやがった馬鹿野郎がっ」


「何時からだ……何時からだゴルドフ。てめえこそ、此処のクソ餓鬼に股でも開かれて都合良く利用されただけなんじゃねえのか、ああっ」


「いい加減にして貰えませんか、見苦しい」


 両者の間にビンセントが割って入る。


「私たち冒険者ギルドはエイブラハムさん、貴方が所有していた顧客名簿が欲しかった。そしてゴルドフさんは私どもとの取引に応じられた。ただそれだけの事、それだけの話。貴方が切り捨てられた事とこの商会には何の因果関係もありません」


 今の短い会話の内だけでもビンセントの言葉には矛盾が生じている。だが彼とてそれは百も承知。承知で最早蛇足に過ぎない会話を終わらせようとしているのだ。


 マクスウェル商会が世に知られるこの好機に裏の界隈で名の知れたルゲラン一家と大きな揉め事を起こす。理由は回復薬エクシルの精製方法を横取りする為とでもしておけば後にそれは信憑性を増すだろうと。


 その揉め事の結果、商会側の密告に寄りルゲラン一家は企みを阻止されただけでは済まず、警備隊まで巻き込んで摘発者を出す事態にまで発展し、報復を恐れたマクスウェル商会は冒険者ギルドに仲介を頼み騒動を沈静化させる。これが一般に周知される事になる騒動の顛末でありクリスが立てた筋書き。


 表向きルゲラン一家と大きな遺恨を残す事でその印象を以て繋がりを隠蔽し、逆にその遺恨を利用して商会の益とすると。今後マクスウェル商会の存在を心良く思わぬ者の多くは遺恨のあるルゲラン一家と接触を図ろうとするだろうからね、とクリスは語った。


 正直に言えばこれが好機であると言うのならクリスには完全にルゲラン一家などと言う非合法な組織とは手を切って欲しかった。けれど何度その危険性を説いても、不利益を語ってもあの子は首を縦に振る事は無かった。


 結局のところ最後には我々が折れる形であの子の依頼を受けたとは言え、決着が着いた今、連中の内輪の事情に付き合う義理は私たちには無いと言うのが彼の偽らざる心境なのだろう。


 当初とは異なる急な変更で結果的に麻薬を扱う大物の組を潰せ、クリスの作り上げた噂は寄り信憑性を増し冒険者ギルドとしても思わぬ収穫を得られた事に私個人としては連中に対して多少なりの感謝の気持ちが湧かぬ訳でもない。


「なるほどな、始めから俺たちの情報は冒険者ギルドに全部筒抜けだったってか、まったく……締まらねえ話だぜ」


 エイブラハムは息絶えて骸となった仲間たちの姿を一瞥する。


「ルゲラン傭兵団は名実共にこれで解散だ大将」


 後は好きにやらせて貰うぜ、


 と、懐に手を忍ばせたエイブラハムは取り出した小瓶の口を噛み砕きその破片ごと一気に中身の液体を喉に流し込む。それは止める間もない一瞬の出来事だった。


 そして変化は瞬時に訪れる。


 エイブラハムの肉体は膨張し歪な形で一回り体格を増し充血した瞳は爛々と赤く輝き、白髪の獣を異形の化け物の姿へと変貌させていく。その変化に私は強烈な既視感に襲われる。


 似ているのだ……あの時のドワイト・バルロッティに。禁忌の魔法の実験素体とされた哀れな男の変わり果てた姿に。


 ニクスの後継。


 何の関わりも無いと思われていた糸が……またクリスと繋がる漠然とした不安。それが私の行動を僅かに遅らせた。


 猛り荒い息遣い。


 苦痛とも悦楽ともつかぬ雄叫びがこの場を支配する。


「俺の女は最高に狂った天才ダ……俺がシンデモ、アイツは、アイツノ薬はヨノナカを」


 それは最早言葉とは言えぬ唸り。


 獣は地を蹴り上げ疾駆する。向かう先は裏切った相手のゴルドフでは無く……。


「ビンセント!!」


 まさに人ならざる獣の速度は人外の域に達し、視界に追いきれぬその速度に私は知らず叫んでいた。


「オレガサイキョウノセンシダッ」


 人間の身体能力の限界を遥かに凌駕した化け物から振り下ろされた大剣が彼を、ビンセントを襲い、


「最強ですか……おこがましい」


 残滓すら残さぬ流線を虚空に描く神速の剣閃が獣の首を撥ね飛ばす。


 瞬間、頭部を失った獣の胴体部は上下に分かたれ、まるで彼を避けるかの様に勢いのまま左右に崩れ落ちた。


 一刀二閃……それは正に神速へと至る絶技であった。


 



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