第八幕
芝生を濡らす朝露は空の色と同様に朱に染まり、斬り伏せられた最後の一人が地に崩れ落ちるのをその目で確認し、私は掲げていた短杖を下ろす。
周囲を見回し此方側の被害が数名の軽傷者で留まっている事を確認すると私は、ほっ、と息を付く。念の為に各人に回復薬を渡していたのだが、誰もが折角手に入れた貴重な薬を懐へと忍ばせたまま使う素振りを見せた者は結局おらず、裏を返せば必要に迫られた者が皆無であったと言う結果にまずは安堵を覚える。
やはりアベルを呼んだのは正解だった。
アベル抜きでも結果に変わりは無かったと確信は抱いてはいても、皆の怪我がこの程度で済んでいるのはやはりアベルの功績に依るところが大きいのは事実だろう。
私の固有魔法『魔弾』は視界に捉える限り決して対象を外さない必中の魔法ではあるが、魔弾の射出後に対象との間に遮蔽物などが合った場合は回避と再誘導に負荷の重い演算処理が必要となる。勿論これは術者である私しか知らぬ秘匿している魔弾の最大の短所。
つまり少人数の戦闘でなら兎も角、こうした多数の敵味方が入り乱れる乱戦状態に突入してしまうと魔弾の制御に掛かる負荷は膨大で、おいそれと扱えなくなると言う欠点を持っている。尤もその欠点は他の攻撃系魔法にも当て嵌まるモノで、未だ戦場と言う場において魔術師よりも騎士や傭兵が主役と、戦場の華と呼ばれている所以でもあった。
魔術師である私の代役として呼んだアベルの実力はやはり別格で、結果的に一人でほぼ半数以上を相手にしていたのだから役割以上の活躍であったと言える。
そんな私の視界に当の本人の姿が映り込み、
「あ~~っ、もう、つまらん」
そのまま心底退屈そうな声を漏らす噂の主は私の傍で返り血で真っ赤に濡らした上着を脱ぎ捨てると、どかっ、と芝生に胡座を掻いて座り込む。
「うわっ、寒っ……やれやれ準備運動にもならかったよ、だからベルちゃんの温もりで」
「お疲れさま」
当然、最後までは言わせない。
軽口に付き合うのが億劫だったと言う感情的な側面は別としても、体勢は決したがまだ全てが終わった訳では、決した訳では無い事がその大きな理由としてある。向ける視線の先、私は未だ交戦を続ける二つの影の行方を追う。
ビンセントとエイブラハム・アドコック……両者の戦いの決着はまだ着いてはいなかった。
擦れ合う金属音。
合間に漏れる獣の如く咆哮。
激しくそして絶え間なく交差しては離れる両者の姿は、一見すれば白熱し伯仲する実力を現す鏡像の如く光景にすら映り……しかしその光景に一縷の望みと希望の欠片を見出すだろう側の者たちは、もう既にこの場に残る生者の内には居なかった。
冒険者たちは剣を鞘に収め、両者の戦いの趨勢を興味深そうに見守るだけで加勢に入ろうとする者は無く、アベルに至っては他の者にはまだ残る戦闘意欲すら失っている様子で呆けた様に二人の姿を見つめている。本来は監督者として緩んだ場を引き締めねばならぬ筈の私が、敢えてそれを行わぬのはこの場の誰よりもビンセントの、彼の事を良く知っているからに他ならない。
「経験も実力も申し分無いと検分させて頂きましたが、何故でしょう、老練な方であるとお見受けする貴方にしては随分と手を抜かれている御様子ですが何か引き延ばさねばならぬ理由でもあるのでしょうか?」
私たちを殺してさっさと退く、と豪語していた男にしては悠長に構え過ぎではと彼は疑問を口にする。一方でそれを繰り出される剛剣を捌き、剣戟の合間に事も無げに語っている辺り、悠長さと言う点ではお互い様である様にも思える。
「私と剣を交えていれば余人が介入しないとの判断であればその意図はなんでしょう、部下を失い圧倒的に不利……いえいえ、絶望的なこの状況を、逆境を、撥ね退け打破する一手が、何か秘中の策でもお持ちなのですか」
返されるのは無言の白刃。だが私は此処でやっと彼の意図に気づく。
考えてみれば分かること。
意中の相手に危害を加える意思を、悪意を、隠す事も無く曝け出し、その身を狙い襲撃までして来た悪漢に対して抱いている感情は察するまでも無い事を。先の結果を知りながら敢えてそれを問う真意とは当て付けと言うべき内に秘めた怒りの現れである事を。
しかし表情には決してださない彼の胸中は人知れず、それに気づけたのは恐らく私だけだろう。
★★★
正門の方角から生じた気配が迫り来る。
金属の胸当てが擦れて響く特有の金属音は、この場に居る者たちには聞き慣れたものであり、警備隊との合流には時間的にもまだ間がある事を知る私たちには更なる襲撃者たちの正体は自ずと知れ……だがそれは相手側にもお互い様であったのだろう、気配を察し大剣を引いたエイブラハムの表情には何処か余裕の色が見られた。
「これを待っていた、と言う事ですか。なるほど無理に留まっていたのはこの為でしたか……しかし考えても見れば当然ですね、貴方が本当の意味で身を隠す為には相応の力を有する協力者の存在は必要不可欠だった筈。まして事前に取り交わしていた合流地点が此処であるのなら、言葉とは裏腹に貴方はこの場を離れる訳にはいかなかった」
仮にどれだけ劣勢であったとしても、と彼は、ビンセントは続ける。
新たに姿を見せた武装集団に対して私もアベルも、そして冒険者たちも……対応に動く者の姿はなく、対峙する形で展開する新手の行動をただ注意深く見守るに留める。
「奇遇ですね、此方も応援を要請していたのですが、どうやら到着したようです。しかし困りましたね……果たしてどちらが『先約』だったのでしょうか」
喜劇か悲劇か役者は出揃い、集団の内から二人の男たちが姿を見せる。
その両者とも私は名も顔も知っている。
一人は屈強なエイブラハムと並ぶ上背と同質の気配を漂わせる粗暴な大男……面識こそは無いが裏の界隈では名の知れ渡った真性の悪党の名はゴルドフ・ルゲラン。
ルゲラン一家の頭と言えばそれで知れる程、この男が積み上げてきた悪徳と悪行の数々は今更此処で語るまでもないだろう。
そしてもう一人の目付きの悪い細身の悪党はと言えば……この男の質の悪さはある意味最悪で、私たちにとっては最大に分類される悩みの種の一つであった。
クリスの紹介で一度だけ私はこの男に会った事がある。
名は確かマルコ・レッティオ。
マクスウェル商会の一員としてクリスに雇われた、あの子の最大の欠点と呼ぶべき悪癖の……その結果が齎した存在の名であった。




