第三幕
幹部会の席から治療を名目に退席させられた俺は、処置を済ませた後も頭からの、ゴルドフさんからの厳命で別室で待機を余儀なくされていた。
表向きの言葉はどうであれ、結果としてあの場に戻る事を禁じられ、この本部からも出られないのであれば例え身柄を拘束されてはいなくても実質的な軟禁状態と変わらない。窓すら無いこの部屋では時間の経過を正確に計る事は難しいが、あれから凡そ半日近くは経っているだろう事は体感として認識している。
であれば、もうエイブラハムの兄貴の要請……いや、要求に対する幹部会の結論は出ている筈。そして十分に考える時間を与えられた今にして思えば、あの俺に対する兄貴の行為もそれを口実に俺を幹部会から排除したゴルドフさんの行動も全ては茶番であり、事前に申し合わせていたのだとしたら……今の俺が置かれている境遇への最も腑に落ちる答えであるようで、どうにも胸騒ぎが治まらず落ち着けずにいる。
ゴルドフさんが俺に聞かせたくなかった内容が幹部会の場で話し合われていたとすれば、それは俺が関わるマクスウェル商会の、ひいてはお嬢に関わる事案である事は容易に想像出来る。分からないのは……分かりたく無いのは、俺を意図的に遠ざけたその理由だ。
まさかゴルドフさんは……。
「そうか……要請通り人員を編成して待機させていろ、事は慎重に運べ、良いな」
壁越しに漏れ聞こえる声。
廊下に居た複数の気配が走り去り、ただ一人残った人物が扉を開けて俺の前に姿を見せる。
「頭!! これは一体どういう事なんですか」
「まあ落ち着けマルコ、まだ縫ったばかりなんだろう、そう興奮すると傷口に触るぞ」
想像していたよりもずっと冷静で、普段と変わらぬゴルドフさんの様子に寧ろ俺は拭えぬ違和感を覚える。
「頭……貴方は何を……」
「何を……だと? なら答えてやるが、たった今俺は実行部隊の編成を指示したところだ。別にお前が案ずる事は何もねえよ、この騒ぎはじき『終わる』。それまでお前は黙って此処にいりゃあ良いんだよ」
それは最も嫌な想像を掻き立てるモノ。
それぞれの組とは独立した組織として設けられている部門の中でも荒事を主とする実行部隊は、元傭兵、元冒険者たちから構成される生粋の戦闘集団として知られている。対象の制圧と殲滅を主とするルゲラン一家の有する暴力の体現者たちであるがゆえに、その運用と扱いには慎重を要し彼らが実際に表立って動いた事例は極めて少ない。
そんな連中を動かす意図は明白で。
「ゴルドフさん……貴方は『誰』と戦争を始める気なんですか」
「ああっ? お前は何を」
「まさかお嬢と本気で袂を別つつもりなんですか!!」
俺は思わず叫んでいた。
これまでお嬢に関しての報告を怠って来た事は一度も無い。
今のお嬢は出会った頃の……治安の悪い郊外で個人商店の店主として悪趣味な飾り品を売っていたあの頃の無力な小娘とは違う。今や神殿と冒険者ギルドと言う二大勢力からの助力を得られるお嬢の影響力と力は、はっきり言えばもうこの王都においてルゲラン一家の後ろ楯など必要としない程に大きなモノとなっているのだ。
初めに誰よりもそのお嬢の才能を高く評価していたのはゴルドフさんだった筈。なのに今になって何故、その価値を、評価を見誤るのか俺には理解が及ばずゆえに不思議でならなかった。
「エイブラハムの兄貴から何を唆されたのかは知りませんが」
「黙れよ小僧!!」
俺の言葉を遮る……ソレは明白な怒気。
「アイツと俺の関係にお前如きが口を挟むんじゃねえよ、アイツの事は同じ村で生まれ育ったこの俺が、小便垂れの餓鬼の頃から共に居るこの俺が、誰よりも理解してるし知っている」
それは見る者を萎縮させる眼光と迫力。まさに狂犬の名に相応しい狂暴性を滲ませたその姿に俺は二の句を飲み込む。
「安心しなマルコ。心配せずともお前からの報告は疎かになんかしちゃいねえぜ、ちゃんと俺はお嬢の近況を把握しているし、これはその上での俺の判断なんだよ」
「それでは頭は本気で」
「お前は根本的に勘違いをしているぜ……いいや少し違うだろうな、敢えて俺はその誤解を解いて来なかったんだからな」
「それはどういう意味なんですか、ゴルドフさん」
「マルコよ。お前は金勘定に長けているし目端も利く優秀な男だよ。けれどな、俺がお前を新たな組頭として抜擢したのはそれが理由じゃねえんだよ。俺がお前にお嬢の店が在る郊外の一角を任せたのはな、お前が下手をかましても新参のお前なら切り捨てても痛くねえからさ」
クリス・マクスウェルと言う人間の倫理観や感性は凡そ常人のそれとは異なるもの。ゆえに何処に地雷があるのかは、何が彼女の逆鱗に触れるのかは……その予測は困難で非常に扱いが難しい。だからこそ何か問題が起きた時、組頭と言う相応の身分を与えた俺を切り捨てる事で事態を納める為の抜擢だったのだと、ゴルドフさんは淡々と語る。
正直、その事実に然したる驚きは俺の内には無い。俺が身を置く世界とはそんな打算や思惑が道端の石ころ並みに転がっている世界であるからだ。出世の契機がなんであろうとも結局のところはそれを踏み台に駆け上がれば良いだけの話。寧ろ強烈な違和感を抱くのは、一貫して変わることの無いゴルドフさんのお嬢に対する……そう、まるで腫れ物を触るが如く態度にある。
ゴルドフさんが語るお嬢の人物像と俺の知るお嬢の人物像はまるで別人といって良いほどの乖離がある。少なくとも俺の知るお嬢はゴルドフさんの言から想像出来る様な冷酷な人格破綻者では決してないからだ。
「疑問……いや、不満かマルコ? だが丁度良い頃合いだろうな。今のお前にはそれを知る権利と義務がある。だから教えてやる。二年前、俺とお嬢の間に何があったのか……その真相をな」
二年前の真相……その予期せぬ言葉に俺は息を飲む。
「神殿の、冒険者ギルドからの助力? 笑わせるぜ……本気でそんな頼りなく心持たないモノがお嬢の力の背景だと……そう思っているのかマルコ」
本当の力とは、
ゴルドフさんは徐に拳を振り上げ、瞬間、降り下ろす。
空気がうねり、豪腕と例えるべき拳の一撃が眼前の木製のテーブルを打ち砕き、破砕音を響かせ原型を留めぬ木製の残骸が室内へと四散して堕ちる。
「これが力の本質だ」
馬鹿らしい程に単純に、呆れる程に明確に、揺るがず抗えぬ絶対的なモノ。
それこそがお嬢の力の本質なのだ、と。
畏怖と絶望と憎しみと……そして羨望を湛えた眼差しが俺を見据えていた。




