金髪坊やと概念魔法
夏が過ぎ秋も中頃を迎えますと心地良かったよそ風も良風とはいかず肌身に染みて参ります。
冬の到来を前にして何かと厳しい次節がやっては参りますが、それはそれとて女性が色鮮やかな衣替えに勤しむこの季節、私としましてもまた別の楽しみが生まれると言うもので、物悲しさなどは勿論ありません。
「クリスさん」
美しく着飾った女性を愛でると言うのは良いもので、遥かな昔の記憶を思い起こせば、色々と……ええっ、本当に色々と、麗しの姫君にくそ高い……おほんっ、良く似合う衣装をねだられては買い与えてあげたものです。
「あの……クリスさん?」
見返り?
これだから下卑な殿方は嫌なのです。そんなもの求める訳……求める訳……あれ、なんだろう、ちょっと泣きそう。
「クリスさ……ん、聞いてますか?」
うっさいわ、ぼけがああああああっ!!
と、内心で咆哮を上げつつも思わず噛みつきそうな眼差しを声の主へと向け、必然的に視界に映し出される事になる金髪坊やの姿を認識したところで私は、はっと我に返る。
おっといけません、いけません……私は未来に生きる女。過去になんて囚われません。ただちょっと季節柄、知らず感傷的になっていたようです。
「んっ、何かなロイ君?」
「あっいえ……クリスさんが心ここに有らず、といった様子でしたので……」
「はっはっは~、それは気のせいと言うものだよ君」
「なるほど」
私の澄ました返答に緊張した面持ちを再度浮かべて金髪坊やは黙ってしまう。
暫しの沈黙。
今私たちが居る商会の中庭の一角は、敷地の外壁からは程良く離れている為に外部の喧騒からは遮断されている。加えて周囲には子供たちの気配も無いこの状況では考えるまでも無く、こうして会話が途切れてしまうと少し気まずいと言うか、ぎこちない空気が流れてしまうのは致し方が無い事ではある。
あるのだが、まるで交際を始めばかりの若い男女の逢い引きの場の如く端から見られかねないこの状況と空気は個人的に大変遺憾であり、許容し難いので沈黙を打破すべく此方から水を向ける事にする。
全く優男の相手をするのは気を使うので疲れますね、はい。
「すみません、お待たせしました!!」
だが思うより早く救いの主は現れる。
小走りに此方へと駆け寄って来る美しい女性………クラリスさんである。
同時に私と二人きりと言う気まずい状況が解消された為だろう、金髪坊やの表情からは目に見えて緊張の色が解けていく。
「クラリスさんも呼んだのかい?」
「はいっ、僕には必要な女性ですから」
おいっ、言い方!!
「こんにちはロイさん」
「はいっ、こんにちはティリエール助祭様!!」
にこやかに挨拶を交わし合うすっかりと打ち解けた二人の様子に、絵になる美男美女が語らう姿を前にして私は若干の焦りを覚える。
クラリスさんが金髪坊やの実験に協力していた事も、その見返りとして金髪坊やがクラリスさんが主導する西方協会の奉仕活動に参加していた事も知っている。ゆえに自然と旧知の仲として二人が親しくなるのは自明の理。
それは良い、ええ、良いのです。
しかし……である。
クラリスさんは司祭長から頼まれて私が身を預かっている言わば我が商会の客人。そんな大切な客人に良からぬ虫が付いては困ります。勿論金髪坊やの事は商会の一員として信頼はしていますが、一応……ええ、本当に一応ですが、この二人が良からぬ関係に進展せぬように子供たちにはきちんと頼んでおきましょう。
勿論これは嫉妬ではありません。やっかみなどではありません。責任者としての当然の判断と言うべきものであるのです。
「あ~~っ、こほん、ではロイ君、実験の成果を見せて貰おうかな」
「はいっ!!」
放っておくとこのまま二人の世界に没入してしまいそうな空気なので、本題へと立ち戻らせる。私が与えた課題への答え合わせ。金髪坊やがどう解答を導き出したのか此処はお手並み拝見といこう。
「ロイさん、私はどうすれば?」
「助祭様はいつもの様にお願いします」
この会話はきっと何度と無く繰り返されて来たのだろうと思わせる程に自然に、クラリスさんは戸惑う事も無く立ったまま両手を胸の前に組み瞳を伏せて神への祈りを捧げ、金髪坊やはそのクラリスさんを中心として用意していた杖を使い魔方陣を描き出す。
「なるほどね、刻印魔法か」
金髪坊やが行っているのは、魔術言語で術式を構築するのでは無く、魔方陣を介して直接術式を構成させる魔法技法の一つである。この技法は主に大規模な儀式などに用いられるものではあるが、新たな魔法の発現に挑むのであれば、術式を定着させやすい刻印魔法と言う選択肢は方向性としては確かに悪くはない。
「でも刻印魔法を用いるなら工房で行った方が良かったんじゃないのかい?」
商会の工房は魔法士が魔法を行使する為に最適化した環境と仕掛けが施されている。言わずもがな、比べるべくも無くこんな条件の悪い芝生の中庭で行うよりも魔法の発動における成功率は遥かに高い。
「いえっ、彼処では僕の実力以上の力が働いてしまいますから、僕は導きに手を触れたいんじゃなく、手にしたいんです……だから今の僕に背伸びは必要ありません」
恐らく幾千、幾万と試行錯誤を繰り返して来たのだろう、ゆえに金髪坊やが大地に刻み込んでいく刻印は揺るぎ無く淀み無く、そして魔紋を形成した魔方陣は驚くほど速やかに完成する。
祈りを捧げる一人の美しき女性を中心として刻まれたソレは、さながら作劇の名場面の如く神秘性を秘めた絵になる光景であった。
「抽出魔法……組み上げられた術式の難解さに目を奪われ過ぎて僕はその本質を見失っていました。元々クリスさんの様な方の術方を完璧に模倣しようとしても僕たちには無理があったんです」
その言葉の真意を現す様に私の視界に映る金髪坊やの術式は私が示したモノとは異なる形式で構成されている。
「魔法とは根源を現し示すモノ。彼の大錬金術師クリス・ニクス・マクスウェルは、際者の転輪はそう後世に残したと言われています。ならば求めるべき本質は術式の形などでは無く……」
「それは何かなロイ君」
「この抽出魔法においての本質とは」
私の問いに答える様に金髪坊やは、ぱんっ、と両手を打ち鳴らす。
刻印魔法の長所の一つとして、その技法上、先に術式を構成させている為に詠唱に依る発動の過程を省略出来る点にある。つまりは今金髪坊やが行った動作を『鍵』として術式を展開する事が可能であると言うことだ。
「概念です」
瞬間、魔方陣は眩い光を放ち、そして砕ける様に大気に散ると瞬時に霧散する。
「六十五点」
私は冷静に判断を下し確かに発動を目撃した彼の『魔法』をそう評価する。
「けれど……素晴らしい、うんっ、本当に見事だよ君は」
まだまだ未熟で粗削り……改善の余地は大いにあり、私の予想した解とも異なるモノではあったが、ソレは紛れもなく彼だけの『固有魔法』。
精霊たちの戯れか、季節外れの雪が降る。
「綺麗……ですね」
降り注ぐ光の粒子に手を伸ばし、クラリスさんはうっとりとした表情を浮かべている。
それは雪ならず、可視化された『光』の輝き。
数百年前に失われ、今の世に甦った第五元素の美しい輝きは、これより新たなる一歩を踏み出す我々人間を祝福する、まさに誕生の光であるかの様に思われた。




