マルコ・レッティオの受難
華が在る女の笑顔とは良いものだ。
職業柄、特定の女との付き合いを避けている俺にしても高級娼婦たちと過ごす時間は欲求を満たす以外にも精神的な安らぎを得られる最良の時間の一つである事を身を以て知っている。
女の器量は見た目の良し悪しでは無いと高尚な連中などは声高らかに宣うかも知れないが、俺からして見ればそんなモノは只の戯言でしかなく、その中身がどうであれ容姿が優れていると言う生まれ持った素養には大いに価値があると言わざるを得ない。
人間とは差別をする動物であり区別をする生き物。それが生い立ちからして真っ当とは言えない、録でもない人生を歩んできた俺が『される』側として今日まで生き抜くために他者から学んできた教訓を元とした認識である。
最もそれは俺の主観と価値観の問題であり当然異論は認める。
いや、認めざるを得ない……今の俺が置かれた状況を踏まえれば尚更、に。
商会の執務室。
この日は何かがおかしかった。
「マルコさんや、マルコさんや、確か今日は午後からゴルドフさんとこの幹部会があるんだったよね?」
「えっ……ええっ、事前にお知らせしていたとは思いますが本日は早めに……」
「うんうん、良いよ良いよ行っといで、何なら今日はあれだね、鋭気を養う的な感じでもう帰って貰ってもいいんやで」
俺に向けられる少女の満面の笑み。
この笑みだ……。
安らぎどころか不安を掻き立てる華の在る少女の微笑みは、俺の人生においてこの少女、クリス・マクスウェルとの出逢いは悪い意味で俺の女への価値観を覆し掛けている。
「いやっお嬢、幹部会とは行っても定例行事の様なものですので、最低限の仕事は」
こなして行きますよ、と言い終えるまえに我が会頭様は食いぎみに言葉を重ねてくる。
「でもアレでしょ、アレですよね、『幹部』会と言うくらいなんだから御偉い人たちが集まっちゃう感じなんですよね?」
人の話を最後まで聞かずに嬉々として被せて来るお嬢の上機嫌な姿に……胃がきりりっ、と痛むのを感じる。この空気、この感じには覚えがある。以前と言うか先日……王都を騒がせたバルロッティ子爵家での騒動にまで発展する事となったあの夜の帳亭での打ち合わせの場と同じ空気と臭いがするのだ。
「まあ……部門長や組頭の連中が集まる場なので間違ってはいませんが……」
俺は内心の不安を誤魔化し殊更に平静を装うが……この時点でほぼ確信を得ていた。
またお嬢が録でもない企みを抱いている事に。
調子に乗りやすい短絡的なこの人の性格上、多少不機嫌な程度が情緒としては安定している。釣り合いが取れていると言って良い。つまりはこの上なく上機嫌であるこの現状自体が危険を知らせる最大級の予兆であり……。
「お嬢、私に何か話しておくべき事はありますか?」
「は、話なんて何も無いよ、ちょっと興味があっただけなんだから、他意なんてないんだからねっ、かっ勘違いしないでよね!!」
慌てて俺から視線を逸らせるお嬢の動揺ぶりに頭痛を覚える。それはお嬢の演技の下手さ加減にではない……最大級の警鐘が俺の脳裏に鳴り響いていた為にだ。
俺に相談出来ない。つまり今回のお嬢の企てにおいて俺は協力者の立ち位置に居ないと暗に宣言されたも等しいこの状況……頭痛の理由は最早語るまでも無いだろう。
クリス・マクスウェル。
俺が知る彼女は喜怒哀楽を隠せない感情豊かな少女であり、それゆえに陰謀など企み事や商売事には不向きな性格であると言って良い。現に子爵家の一件においても当初のお嬢の計画とはかけ離れた結末を迎えている。それだけを見ても彼女がその手の分野で優秀で抜け目が無いかと問われれば否と断言できる事例であり、あの騒動を経て得られた成功は結果が味方した、言わば結果論で語られるべき成果と言える。
お嬢の資質や才能は魔法士としての片寄ったソレであり、神殿や冒険者ギルドが求めるモノもまたお嬢の商人としての才覚では無いだろう。たった一つの突出した才能が数多の欠点を凌駕する事は特筆して珍しい事例でも無く、マクスウェル商会の今の成功もその才に、一人の魔法の天才に寄せられる期待ゆえの他者からの助力の賜物であると言うのが身贔屓を廃した客観的な評価といえる。
斯く言うルゲラン一家……俺もまたお嬢を取り巻くそれらの一人である事は今さら付け加える必要はないだろう。
と、冷静に分析をして見たものの、それらは客観的な視点で見た場合の評価と人物像であり、こうして目の前で現実に存在するお嬢……クリス・マクスウェルと言う人間は直接接した者にしか分からぬ不思議な魅力を持った面白い人物である事は言うまでも無い。
軽率で短絡的な気質の持ち主かと思えば時に思慮深く物事の本質を捉え、小心で臆病な一面を垣間見せたかと思えば時に呆れる程に大胆な決断を下す。表情豊かで自身を偽らぬ愛らしく愛嬌のある少女である反面、刹那見せる美しく酷く大人びた……だが凍える様に冷たい鋭利な表情。
それら相反したモノを常に見せられる俺は未だお嬢の本質を見定める事が出来ないでいる。そしてソレが面白いと、お嬢に振り回され悪戦苦闘しながらも呆れつつも好感を抱けるのは、大前提としてお嬢がこちら側に居ると言う場合のみに限られるのだ。
お嬢の企てがバルロッティ子爵家の没落とあの悲劇を齎した直接的な要因では決してない。それは当事者の一人としてお嬢の計画に協力しその全容を知っている俺が誰よりもそれを良く知っている。
だがそれはどこまでいっても加害者の論理でしか無い。お嬢に関わって身を滅ぼしたエリオ・バルロッティは、子爵家に仕えていた者たちは、それら被害者の側からしてみればお嬢の存在は一纏めに括られる加害者側の人間に過ぎない。
もっと簡単に言えば、愛らしい幼子が無邪気に蟻の行列を踏み潰すのを見て苦笑しながらも微笑ましい光景であると思えるのは加害者側の人間であるがゆえ。視点を変えて蟻側の、被害者側の心情を思えば、理不尽に全てを奪われる虐殺者の姿を前にして同様の心情を抱ける筈などないのだ。
今回はその蟻が俺……いや、俺たちルゲラン一家かも知れないと思えば心中穏やかでいられる筈も無い。
「お嬢……私は何か気に障る事でも……」
しましたか、と問い掛けそうになり思い留まる。
お嬢の考えは常に俺の斜め上をいっている。別に誉めている訳では無く真意を問うても理解が及ばない可能性が有ると言う意味でだ。
直接ここで真意を問えば、或いは会話の中から詮索する事で何かを得られる可能性は高い。だが同時に何処かで知らず虎の尾を踏んでしまう危険性も捨てきれない。ここで無理に事態を悪化させる危険を侵すよりも、お嬢の事柄に関してはまずは頭に、ゴルドフさんに相談して指示を仰ぐのが一番だろうと俺は瞬時に判断する。
「んっ? ごめん聞こえなかった、何かなマルコさん?」
「いえ、ではお言葉に甘えさせて貰おうかと」
「あっそう、うん、良いよ良いよ」
満面の笑みを浮かべて俺を見つめるお嬢の姿に俺の胃がまた、きりりっ、と痛むのを感じるのであった。
久しぶりの投稿になります。
不定期になりますが投稿を再開したいと思います。
また宜しくお願いします。




