第四幕
鼻孔を擽る甘い香り。
店内の奥に在る控え室に漂う紫煙の元凶である煙菅を、とんっ、と叩き彼女は煙と言う名の毒を吐く。煙菅に含まれた成分の詳細は分からずとも薬術士である私にはソレが麻薬の一種である事は特有の臭いと齎される感覚の変化で直ぐに理解する……が。
「相変わらずですね、ミカ先輩」
弱味を見せれば骨までしゃぶり尽くされる。そんな彼女の性質を良く知るだけに私は敢えて余裕を見せる様に声を掛ける。
一概に麻薬と呼ばれる種のモノであっても効能は千差万別、人体に与える作用も様々であり、まして煙菅に仕込み吸引するモノは中毒性が低い。副流煙で他者が中毒症状を誘発される事は余程長時間、煙を吸い込まねばまず起こり得ない。
彼女のこの挑発的ですらある態度自体が、薬術士ならその程度の見識は持ち合わせているべし、と言う、これは彼女なりの挨拶の様なモノなのだ。
言い換えるのならこの程度の事で騒ぎ立てる人間など相手にする価値無しとする、訪れる来訪者を篩に掛ける彼女らしい悪趣味な選別方とも言える。
だからこそ私は平然と、例えそれが見せかけの余裕だとしても笑って見せる。
「あら、急に改まってどうしたのかしら、私の可愛いレベッカちゃん」
昔も今も変わらない。
才能の無い可愛いだけの小鳥。
私の愛すべき愚妹と彼女は微笑む。
愛憎入り交じる、と言うが、私を見据える彼女の蒼い瞳には悪意無く確かな嘲りが垣間見え、劣る者を見下さずにはいられない彼女の性癖とすら言うべき性質は、今も昔も私の劣等感を強く刺激する。
そんな嫌な眼差しであった。
ミカリヤ・モルガン。
彼女の容姿だけを取れば歳の頃は二十代後半……クリス・マクスウェルやクラリス・ティリエールの様な特筆すべき、と賛美する程のモノでこそないが、十人に問えば五人は容貌を讃える、容姿の整った知的な才女と言う印象を持つだろう。
しかし彼女を現す異質さは同時にその点に在る。
薬術士ギルドに残されている彼女の在籍年数は実に三十年を越え、ミカリヤの実年齢は私が知り得る限りでも当に五十歳を過ぎているのだ。その彼女の見た目の異常さは、はっきり言って若作りなどと言う範疇を大きく逸脱し、恐らくは自身すらも薬物の被験体として躊躇せぬ狂気の所業はまさに『金狐』の名に相応しい人外の存在だと言える。
「条件は何時もと同じ、提示された金銭を支払うので正式な契約……取引としてミカ先輩に見て頂きたいモノがあるんです」
「ふ~~ん、それはまた随分と」
「何か問題でもありますか、先輩?」
私の問いに応える様に、とんっ、と彼女が手にする煙菅がテーブルの角を叩き、灰の塊が床へと落ちる。
「なるほどねえ……あんたのその顔、新たな試験薬か魔法の類いかい」
「流石ミカ先輩、察しが良いですね」
私が訪ねて来た段階で相談事があるだろう事くらい容易に推測出来た筈だ。加えて言えば、その内容が薬術や魔法に関わる事も、これまでの経緯や関係性からも想像に難しくは無い。だから私は彼女が導き出した解に動揺は見せない。寧ろ此処までの反応は折り込み済みだとすら言える。
「前金で五百万、成功報酬でもう五百万。それで手を打とうじゃないか」
「それは随分と法外な額ですね、先輩」
「そうかい? それほどの『モノ』なんだろ、あんたの表情にそう書いてあるよレベッカちゃん」
内心を見透かす如く薄く嗤う彼女に私は唇を噛む……が、ふっかけられた程度で気圧され引き下がる程、私の覚悟も安くは無い。
「即金で払えないって話なら私とあんたの仲だ……可愛い妹の為に伝手を頼って娼館を紹介して上げようじゃないか。なあにレベッカちゃんの若さと器量なら、真面目に数年『励め』ばきっと完済出来ると私は信じているよ」
その折りは私の『薬』をどうかご贔屓に、と女狐が嗤う。
ミカリヤの下種な提案に、煽られているだけだと知りつつも頬が知らず火照ってしまう。
この……淫乱ババア。
「前金で五十万、成功報酬でもう五十万。この辺りが妥当な金額でしょう、先輩」
その代わり、とまたミカリヤに余計な茶々を入れられる前に彼女の眼前のテーブルに私は懐から取り出した巻物を置く。
それはクリス・マクスウェルから与えられた固有魔法……その術式が転写されたモノ。
「先輩はこの巻物に記された魔法には然したる興味は抱かないかも知れませんが、この魔法を『創造』した人物に対してきっと格別な関心を示すと断言出来ますよ」
「それほどの『モノ』って訳かい?」
「私にとっては……ですが」
私の言を受けて尚、ミカリヤの眼差しには懐疑的な色が在る。
当然だ……彼女にして見れば二流、三流の魔法士でしかない私が求めるモノなどに本当に価値が在るのか……それが疑わしいのだろう。
それらの疑念は巻物の術式を見せれば黙らせられる。それを知りつつも私は小出しに情報を与えていく事にする。この交渉において最も肝心なのは如何に彼女をその気にさせか……その一点に尽きるからだ。
「クリス・ニクス・マクスウェル。先輩はその名を当然ご存じですよね」
「何の冗談だいレベッカちゃん。錬金術師から別たれた私たち薬術士にとって『転輪の際者』の御名は特別なモノ。あんたとて薬術士の端くれなら知らぬ筈はないだろうに」
珍しく彼女の瞳には苛立ちと怒気が滲んでいる。
いや……寧ろ当然なのだ。
彼女、ミカリヤ・モルガンは純狂者。
異端ゆえに限り無く純粋で熱烈なる神の信徒。
そして薬術士にとってクリス・ニクス・マクスウェルとは『始祖』であり『神』である。
「もしも……ですよ先輩。今から見せる術式を創造した人物がクリス・マクスウェルの名を名乗っていたとしたら、先輩はどうします?」
「それは確かに興味が湧くねえ」
「ですよね、一千万を百万にする価値が其処に在る。私はそう確信しています」
彼女の眼差しには最早私を茶化す色は無い。
ぞくり、と背筋が凍える……そんな狂人の眼差しが私を見据えている。
もう後戻りは出来ない……けれどそれで良い。
私は何を代償に捧げても必ずこの固有魔法を手にして歴史に名を残すのだ。
マクスウェル商会はまだ誰も名も知らぬ弱小の商会……もし揉め事になったとしても後の問題の処理と解決は彼女と彼女の後ろ楯であるルゲラン一家に任せておけば良い。
「叡知の輪を求めしニクスの後継……もしそうなら……」
最早ミカリヤは私を見ていない。ぶつぶつと何かを呟きながら置かれた巻物に手を伸ばす。
全ては私の計算通り。
順調に物事は進んでいる。




