第三幕
王都の中心街からは離れ、貧民街を孕む郊外よりは立地に恵まれた、比較的中流層が多く住むと言われる地区の通りの一つに目的の場所が在る。
『モルガン薬師店』
馬車を降り、路上へと踏み出した私の足は、ひっそりと営われているその店の看板を視界に映し……無意識に二の足を踏んでしまう。
閑静な、とまでは言えないが治安も悪く無く落ち着いた風情を見せる住宅街に居を構える真っ当な店構えをした薬師の店……近所の住民たちに好んで利用される一般的な薬師店。表立った印象や評価はそんなところだろう。
しかし私はこの店がそんなまともな店では無い事を、店の主がどの様な人間であるのかを良く知っている。腐れ縁と呼ぶには薄暗い元同僚……多くの教えを教授されたが恩師と呼ぶには反面教師として深く教訓を刻み込まれた、彼女はそんな異端者であった。
店主の名はミカリヤ・モルガン。
いや、彼女を名で呼ぶ者は私の知人には居ない。
『金狐』のモルガン。
『元』薬術師ギルドの上級職員であり、私の学閥の筆頭研究員でもあった彼女は皆からそう呼ばれていた。異才と言う意味合いを多分に含み称賛の声を残しながらも、概ね彼女の異名は『悪名』としてギルド内で広く周知されている。
彼女が専門として生み出した『毒薬』と『麻薬』は文字通り表裏一体の効能を有し、扱い方次第では医療の分野に革新を齎す程のモノであった。けれど彼女は表舞台で名を残せなかった……いいや少し違う。
今なら少しだけ理解出来てしまうのだ。クリス・マクスウェルと言う天才ゆえの奔放さを垣間見た今の私には。
ミカリヤは……彼女は魔法士として限り無く『純粋』であるがゆえに『純狂者』と呼ぶべき存在であるのだと。
自らの魔法。
自らの薬。
そして自らの理論。
それらを探求し研鑽し修練し、向上させ研磨させ一つの目的の為だけに道徳や倫理など吐き捨てて、一切の犠牲を問わぬその在り方は、歪さと傲慢さを併せ持つ本来の魔法士と言う存在を体現した生き方であるのだと……今にして私はそれを理解する。
薬術師ギルドが定めた厳粛な倫理規定と厳格な臨床試験。
厳しく長い新薬に関する規定に反発する形でミカリヤが自らの薬を裏の市場に流し、結果として彼女がギルドを除名され、除籍された事件から三年。ギルドの力で事件は隠蔽され公には為らなかったものの、彼女の新薬の実験動物として死亡した者、廃人となった被害者の総数は三桁に迫ると言われている。
隠蔽されたとは言え、それだけの大事件を起こしギルドを追われた身であれば、本来は極秘利に『処分』されていても不思議では無い彼女が今尚王都で健在である理由……その辺りの事情と上層部の判断や思惑は私の如き一般の職員には知らされてはいない。
しかし、事件後に消息を絶った彼女から定期的に送られてくる手紙の内容である程度の推測は出来る。
今、彼女が専属魔法士として契約し身を置いている組織『ルゲラン一家』は王都でも有数の規模を誇る非合法の犯罪組織として名が知られている。その繋がりが彼女の保身に無関係とは思えない。
そもそも三年前の事件の段階で……。
其処で私は考えるのを止める。
薬術と犯罪は遠い昔から無縁では要られない。
その闇に覚悟無く踏み込む事は愚かな事だ。犯罪集団と薬術師ギルドの繋がりなど今の私にはどうでも良い事なのだから。
これ迄も何度かミカリヤには金銭を対価に『助言』を乞うてきた。けれど今回は今までの様なお悩み相談の様にはいかない。
私は何を対価に捧げてもあの魔法を……固有魔法を手にしたい。
その為なら薬術師ギルドも、マクスウェル商会も……クリス・マクスウェルさえも裏切る覚悟は出来ている。ミカリヤに……『金狐』のモルガンに何を要求されたとしても。
「お姉さん、お姉さん」
向かいの通りへと赴こうとする私は掛けられた声に反応して視線を向ける。
「綺麗なお姉さん。お花は如何ですか、一束百ディールです」
私に屈託の無い笑顔を向けるみすぼらしい格好をした十代前半の少女。一目でこの子が貧民街の出なのが分かってしまう。
「ええ、そうね貰おうかしら」
私は迷う事無く少女に銅貨を手渡し花の束を受け取る。
別にこの子の境遇や環境に同情した訳では無い。
郊外の三分の一を占める貧民街の子供たちはまともな学習環境すら与えられず、こうして毎日、王都全域へと生きる為に働きに出ている。それはこの子の様に哀れを誘う物乞い紛いの者から、真っ当とは言えぬ職種の小間使いなどそれこそ多岐に渡る。
つまり生きる為に端金をせびる子供などを無下にして逆に付き纏われ、邪魔をされ兼ねない面倒を回避する為にも百ディール程度、黙って恵んでやって厄介払いした方が楽だし何よりも得策と言える対処法なのだ。
「有り難う綺麗なお姉さん。『気をつけてね』」
少女は銅貨と花籠を手に走り去って行く。
私は少女の姿が街頭に消えるのを確認してから受け取った花の束を路上に投げ捨てる。
あの子には悪いが、価値の無い雑草などで身を飾る趣味は私には無い。
そう……私は特別な存在と『成る』為だけに此処まで赴いて来たのだから。




