第五幕
「なるほど、当て馬ですか」
「利用されるだけ利用されて、最後には切り捨てられて火刑台に立っている……なんてのはぞっとしない話だからね」
冒険者ギルドが国から独自の裁量権を与えられているのと同様に、神殿にも特権的な専権事項が存在する。
その最たるモノが異端審問。
神殿は独自の権限で『異端者』を認定できるのだ。
此処でおやっ、と疑問に思う者も多いだろう。
その通り、この世界には魔法が一つの技術として確立されている世界。
従って当然の如く魔術師や呪術師を始め薬術師ですらも魔法を行使する者の総称である『魔法士』に分類され……勿論の事、神殿が擁している治癒魔法士や治癒魔導士もその例に漏れる事は無い。
従って俗に言われるところの『魔女狩り』の如く旧態依然とした蛮行は、舞台劇などの演目などで物語を彩る為に創作され脚色された虚構の産物である。
神殿に異端者として認定されたからと言って法的に裁かれる訳でも、群衆に石を投げ付けられる訳でも、まして異端審問官に付け狙われて人知れず……何て事もありはしない。
では何故私が火刑台に立つ、などと表現したのかと言えば、それは完全にビンセントに対する揶揄である。
異端者に対する信仰的な強制も弾圧も、まして暴力による身体的な脅迫行為も行われはしない……ただ異端者が社会的に抹殺されるだけ……。
殺される、と表現してもいいだろう……それゆえの揶揄である。
大衆は神殿に忖度する。
それは信仰ゆえに、信頼ゆえに、尊敬ゆえに。
弱者救済を謳い、福祉と奉仕を旨とする神殿の教義は庶民との間に確かな繋がりと関係性を構築し、生活や情緒を育む一助となっている。
異端審問の厄介で悪辣なところは、神殿の教義とは『正当』では無く『正統』なるモノ。
つまり神殿にとって邪魔な存在を排除するのに『正当』な理由など必要とされない……『正統』為らざる者、神殿側がそう解釈するだけで事足りるのだ……それが教義に反する者が異端者とされる所以である。
異端者を雇用したり、雇用し続ける様な物好きは滅多に居ない。
異端者が店主の店に訪れる様な客も、取引してくれる様な商人も居はしない。
金が有れば物は買える、住む場所も何とかなるだろう……しかし異端者は働き口を、働ける環境を失う事になるのだ。
異端者が行き着く先は限られている。
神殿の影響が薄い地方の小さな街や村に移り住み、身分を偽りながらひっそりと一生を終えるか、犯罪に手を染めて裏の世界で怯えながら暮らすか……どちらにせよ薔薇色の人生設計とは言い難い。
神殿がもし冒険者ギルドとの和解の条件に妙薬の卸元である私の情報を求めたら。
もし、ビンセントがそれを承諾したら。
後ろ盾も力も持たない個人店主など神殿は躊躇なく叩き潰そうとするだろう。
そうなれば異端者認定は避けられない。
つまりは身の破滅である。
ビンセントの思惑がもしその辺りにあるのなら、此処が瀬戸際……しかしまだ手遅れでは無い、引き返す事は出来る。
全てを捨てねばならないが、工房を廃棄してこの国を離れれば、後にビンセントが神殿に何を吹き込んだとしても神殿側の反応は鈍いだろう。
後はほとぼりが冷めるまで時を待ち、また別の国でやり直せば良い。
勿論、それは最悪の選択肢であり、最後の手段。
だからこそ此処は慎重に見極めねばならない。
「クリスさん、私は貴女を高く評価して来たつもりです、輝かしい才能を前に見た目や年齢を問うのは余りにも愚かしい……だからこそ個人的に融資もしましたし、陰ながらですが協力も惜しまなかった……しかしどうやら私は貴女の事を過大に評価し過ぎていたのかも知れませんね」
「随分な言い様じゃないか、図星を指されたからかな?」
「貴女が錬金術師としてこの場に居るのであればその答えでも良いでしょう……しかしクリスさんは自らの言葉で商人としてこの場に居るとおっしゃった、違いますか?」
「だとしたら?」
「交渉に際して商談の相手である私に対する……いいえ、冒険者ギルドの組合長としてこの場に臨んでいる私に対して、貴女の態度や対応は余りにも稚拙です」
「なるほど、ちっぽけな商店主風情が冒険者ギルドの長である自分に生意気な口を叩くな、とそうおっしゃりたいんですかね、ビンセント様」
ああ……マリアベルさんの目が怖い。
恋人を侮辱されて怒ってらっしゃるのでしょうか……本当にごめんなさい。
「では聞き方を変えましょうか、私がクリスさんを神殿との交渉材料に使ったとして其処に何か問題でもあるのでしょうか」
「大ありだろ、私は身を滅ぼしたくは無いからね」
「異なことをおっしゃいますね、何故私が神殿と交渉する事とクリスさんが不利益を被る事が同じ土俵で語られているのでしょうか?」
「つまり私を裏切る気はない、そう言いたいのかな?」
「少し違いますね、クリスさんは信頼出来るお友達が欲しいのですか? それなら知り合いが運営する孤児院を紹介しましょう、其処なら同年代の子供たちもいるでしょうから直ぐに仲良くなれると思いますよ」
笑顔で語るビンセントからは茶化している様な素振りは見られない。
だがどう聞いても馬鹿にされている……しかしそう聞こえないところがこの男の厄介なところだろう。
本当にムカつきます……ええ……本当に。
「私とクリスさんにとって必要なのは互恵的な関係であり、一致している利害こそが強い繋がりを育んでくれると期待していたのですが……本当に残念です」
錬金術師としての私の価値を高く評価しているとビンセントは言う。
つまりは神殿との交渉に際して私を切り捨てるのは利益に反すると言いたいのだろうか。
あながちそれが偽りだとも思えない……そうでも無ければビンセントが席を立つ機会はいくらでもあったであろうから。
本当はもう少し煽って本音を聞き出したいところだが、このまま頑なな姿勢を貫けば交渉は完全に決裂してしまう。
私が席を立っても、ビンセントに見切りを付けられ席を立たれても、其処で御終いだろう。
此処まで話が拗れて置いて、では今後もこれまで通りの良いお付き合いで行きましょう、と為る筈も無く……物別れに終われば冒険者ギルドとの関係は絶たれ、私は唯一の顧客と最大の協力者を失う事になる。
この辺りが潮時だろう。
「利害関係ね……嫌いな言葉じゃないよ、じゃあ先輩、私が孤児院に友達を作りに行く前に是非その利ってヤツを教えて貰いたいね」
と、傲慢に言ってみる。
ふざけるなっ、とでも言われたらそれで御終いです……はい。
私の事必要ですよね?
私……読み違えてないですよね?
薬剤師=薬術師に変更しました。