第二幕
私は子供の頃から才能に恵まれた子だと、優秀な資質を持つ子だと、周囲の大人たちから持て囃されて来た。
レベッカちゃんは器量も良いし、将来が楽しみだなあ。
ご両親もさぞ自慢の娘さんだろうね。
地方都市に在る私の生家は貧しくも無く、取り立てて豊かと言う訳でも無く、平凡を絵に描いた様な家庭であった。だからこそ両親も周囲の評価に踊らされ、今にして思えば一人娘である私に過度な期待を寄せていたのかも知れない。
今の世で穏やかに、当たり前に生きる事は難しい。
平凡に、穏やかに暮らす者たちの努力は侮られ軽んじられて良いものでは無い。
だから私は努めて善良であろうと生きる両親を尊敬している。
そんな両親の期待に応える為に、
末は学者か医師か、流石に順風満帆の人生とは往かずとも、それなりに恵まれた一生を、誇って貰える一生を過ごそうと幼心に思い定めていたものだ。
努めて優秀であろうと演じていた私は成長の過程においても、それに恥じない努力と成果を残せていたと自負している。そんな私に転機が訪れたのは十歳の中頃。
私が幼年学校の魔力資質検査で『上』の判定を受けた事に始まる。
内在魔力の資質とは誰もが持ち得る才能では無い。
ティリエール助祭の様に『希少』とされる数百万人に一人の逸材は比べるべき対象にはならず、上位三位階の末位ではあるが、『上』の資質とは数万人に一人とされる正に特別な才能なのだ。
資質に恵まれ異例ではあるが学院へと編入された私は、それでも魔法の才に奢る事無く努力を重ね、二年と言う歳月を費やし学院首席の座を堅持したまま特例と言う形で卒業を迎える。卒業時に与えられた魔法職の適正判定は、
魔術師『優』
呪術師『優』
薬術師『優』
最高判定である『最優』こそ逃したものの、全ての魔法職に高い適正を示した私は、王都の薬術師ギルドの正規の職員として迎えられる事になった。今更誇るつもりも無いが、地方都市の十二歳の若輩者が、王都のギルドの内定を得る事の異例さは最早語るまでもないだろう。
そして此処までが私、レベッカ・リンスレットの最盛期。
ギルドに所属した私に待ち受けていたのは、試練と言う名の才能たちの高い壁。
自分が天才などでは無く、秀才と呼ばれる種の人間であるのだと自覚させられた屈辱。
学閥同士の柵と人間関係。
それが私が此処に居る理由、至る理由……なのであるが、薬術師ギルドで過ごした十年と言う歳月で得た経験も挫折も、今の私には取るに足らない、語る必要すら無いどうでも良いモノだ。
真に天才というべき者を目にし、隔絶した才能を目の当たりにされられ、自己と価値観を覆されてしまった今の私には。
クリス・マクスウェル。
偉大なる始祖の名を騙る傲慢な小娘。
けれどその認識は間違っていた……誤りであった。
彼女こそが真実、唯一無二なる『黄金』
彼女の輝きを前にしてはこれ迄私が見てきた才能たちなど単なる偽物、『真鍮』に過ぎない。彼女が抽出魔法と呼んだ術式の構成に、展開された魔方陣の紋様に、私は圧倒され目を奪われてしまった。
精巧に、精密に、完全なる調和と調律が成した未知なるソレは正に一つの完成された芸術品。それを最高難度とされる魔法技能『詠唱棄却』で、指を打ち鳴らすと言うふざけた一動作のみで発現させた彼女の常人の域を遥かに超越した規格外の所業は私の全てを塗り替えるに十分過ぎるモノだった。
その姿を前にして私は初めて実感したのだ。
傲慢が許される絶対的な『力』の存在を。
美しき魔女の存在に。
黄金の神話を彩るルクセンドリアの戯曲の一篇にはこう在る。
神話の世の戦とは今の世の常識とされる数の論理は成立しなかった、と。
幾万、幾千万の盆百が集おうと極限の『個』に抗う術は無し、と。
それは恐らく真実だ。
彼女の前に、クリス・マクスウェルの前に、どれだけの有象無象が集おうと遠く及ばない。それだけの『力』を彼女は持っている。
そんな彼女が何故、商才の欠片も持たぬであろう商人と言う道を好んで歩んでいるのかは分からない……しかし天才ゆえの非常識、戯れとは余人には計れぬモノ。
同じ理由で天才ゆえに彼女には凡人の苦悩と努力が分からない。
名奏者が奏でる旋律を再現しろと言われても、楽譜通りに音程を外さず真似れば再現出来ると言う訳ではないのだ。
あれ程の大魔法。
他に類を見ない固有魔法。
ゆえに定理が無い。理論が構築出来ない。
基礎理論を確立出来ず、悩み続ける毎日……術式の試作にすら取り掛かれないまま、私は何時まで部屋に籠って……。
どんどんどんっ。
「リンスレットさん!! リンスレットさん!!」
無遠慮に叩かれる扉の音に、撒き散らされた書物が散乱する机から私は顔を上げ、埋没していた意識を元凶へと向ける。
煩いわね……何なのよ。
「分かったんですよ!! あの魔法は恐らく概念の……」
一方的に喚き散らしていた声の主の気配が突然遠ざかって行く。
「ああっ、待ってください助祭様!! 是非お話が!! いえっ協力を!!」
扉越しから通路の先、アイツとティリエール助祭様の会話が途切れ途切れに漏れ聞こえて来る。
内容までは聞き取れない……でも。
競争相手が何かを掴んだのかも知れない。
そう感じた瞬間、
負けたくない、負けたくない、負けたくない、負けたくない、負けたくない、負けたくない、負けたくない、負けたくない。
胸に渦巻く想いはただそれだけだった。
固有魔法を手にするのは一人だけ。
打ちのめされ、自己すら覆されても、泥にまみれ、地を這いつくばろうとも、見上げた先に望むモノは今も尚変わる事は無い。
この瞬間、私は心底実感していた。
ああっ……私は魔法士なんだ、と。
ならもう迷いは無い。
クリス・マクスウェルは、彼女は言った。
競い合え、と。
けれどその手段も方法も禁じられたモノは何一つ無く、何でも有りで良いのなら私にはまだ頼るべき道は在る。
だから私はそっと、部屋を出る。
★★★
「お姉さん、お出掛けですか?」
本当は誰にも気づかれずに商会を出たかったのだが、今は昼日中、流石にそれは難しかった。
だから私は冷静に平静に背中から掛けられた幼い声に応える。
「ええ、少し外の空気を吸って来るわね、夕食までには戻ると助祭様に伝えておいてくれるかしら」
庭先を掃除している子供……まだ十歳にも満たないだろうか、にこにこと此方を見つめる幼子に私は返事を返した。
『協会の鐘』
確か誰かがこの子たちをそう呼んでいた。
子供特有の騒々しさを揶揄したのだろうか。まあ、今の私には関係の無い事だ。
「分かりました!!」
そう言い残し元気に幼児が走り去っていく。
確かにまだ子供ね。
早々に私から興味を失い姿を消した幼さゆえの気まぐれに、やや拍子抜けはしたものの、気を取り直し歩みを進める。
何日ぶりになるだろうか、商会の外へと。




