第一幕
元気に庭を、廊下を、浴場を、倉庫を、走り回る子供たちの活発な声と気配が商会全体を包み込んでいる。
若さ此処に極まれり、です。
うんうん、実に心和む光景ですね。
「三班復唱!!」
「「はい!!」」
「職場の汚れは心の汚れ!!」
「「職場の汚れは心の汚れ!!」」
「働かざる者食うべからず!!」
「「働かざる者食うべからず!!」」
うんうん、元気で素直な良い子たちです。
「他班に遅れを取るな!! 清掃開始!!」
どどどどっ、と子供たちが文字通り奏でる喧騒が壁越しに扉越しに私の職室まで漏れ響いて来る。
微笑ましい朝の光景に頬が緩むのを禁じ得ない私とは対照的に、出勤早々、机に向かい書類の処理に取り掛かっていた狐目は何故か呆れた様な表情を見せている。
ふむっ、解せませぬな。
「また、増えてませんかお嬢?」
「んっ、ああっ、子供たちの事? まあエリオとの約束もあるので、教育も兼ねて臨時職員として交代で商会に通わせているんですよ」
私の個人資産でね、と念を押しておく。
経費は個人で負担していると明言しておかないと、まだまともに稼働もしていない商会の資金を個人流用しているのか、と小言を頂きそうだったので。
私は考える人。狐目は実務的な処理をする人。その商会での関係性ゆえに、しっかりとした説明が必要不可欠な訳でして。
「貧民街の子供たちに教育……ですか。確かに素性的にも色々と使い勝手も良いですし、先行投資としての意味合いからすれば誤りでは無いかも知れませんね」
先行投資?
ああっ嫌だ嫌だ……これだから心の汚れた大人の考え方は嫌いなのです。
「マルコさん、あの子たちは都合の良い道具じゃ無いし、将来の手駒として飼い慣らしている訳でも無いよ。確かに私は雇用者であの子らとの関係は対等とは言えないけれど、それは契約の上での話であって、人として私たちは齟齬無く対等の存在なんだよ」
利用する事に慣れた人間は物事の本質を見誤りがちになる。
狐目は優秀な人間ではあるが、綺麗事が紙屑に等しい裏の世界の常識に染まり過ぎているがゆえに、利用する側の底知れぬ我欲が産み堕とした歪みとも言える貧者の『力』を、あの子らが有している力の価値を正しく理解出来ていないのだ。
限定的な条件下において、私は既に神殿や冒険者ギルドすらも先んじる『力』を手にしている。ソレに気づけている者は予想以上に少ないのだろう。
はっきり言ってもう御免なのである。
何も知らず、何も出来ず、全てが後手に回り私が預かり知らぬところで物事は処理される。
これを屈辱と呼ばずして何と呼ぶ。
だから私は手にしたい。魔法に頼らず私の進む道を邪魔する阿呆共を蹴り飛ばせるだけの力を。
私は与え得る者。
それゆえに、あの子らの力を借りる私と子供たちの関係は、釣り合うだけの見返りを与えると言う意味においても正しく対等の立場と言えるのだ。
「時々お嬢の言われる事は先鋭的に過ぎて、私の様な凡夫には理解が及ばない事がありますね」
んっ、あれ……馬鹿にされた? いやいや……これは微妙な線であろうか。
「マルコさんはマクスウェル商会の幹部だからね、きっと直ぐに分かる日が来るよ。私たちが歩む道には味方も多いけど、同じだけ敵も作る事になるだろうからね」
「それは何とも物騒な話ですね」
「そうかな、結構単純な話だと思うけど? 私の他者との関わり方は恩には恩で、仇には仇で万倍に、がモットーだからね、それを踏まえて言わせて貰えば、私からは絶対に裏切らない……だから裏切る時は相応の覚悟を持って下さいねってだけの話だから」
狐目は私の軽口には答えない。
まあ仕方がないだろうか。狐目が身を置く熊さん一家と私の繋がりも信頼や敬愛ゆえに、と言った高尚な理由がある訳でも無く、もっと打算的でどろっとした重い思惑の上に成り立ったご機嫌な関係性なのだから。
「そうそう、お嬢……回復薬の件なのですが」
びっくりする程……いや、露骨に狐目が話題を変えてくる。
しかし思えば此処に居る狐目は熊さん一家の幹部としてでは無く、今はマクスウェル商会の番頭としてなので……であればまあ良いでしょう。
「回復薬の製造設備に商会としてかなりの資金を投入しているので、その維持費用すら生み出せない現状でこれ以上の進行の遅れは少々不味いのですが、本当に問題はありませんか?」
「えっ? ありません……けれども?」
「本当ですか?」
えっ、何怖い。
確かにあの二人には一ヶ月の猶予を与えたけど……時間を与え過ぎたと言うか、優し過ぎたと言うか……にも関わらず、まさかあの程度の魔法の構築に問題なんてありませんよね?
「財団の……いえ、『西方協会』の設立に色々と入り用でして、当面は聖水の売り上げを此方には回せませんので、回復薬の量産時期が遅延すればする程、それは結果としてマクスウェル商会の存続にすら影響を及ぼしますから」
「いっ……嫌だな~~大丈夫ですよマルコ様……いえ、マルコさん。魔法に関して疎いからそんな要らぬ心配をするんでしょうけど……けど大丈夫!!」
あれ……あれれ、ちょっと不安になってきた。
「あの二人には術式を転写した巻物まで渡してるんですよ。言って見ればアレですよアレ。料理人に現物を食させた上に詳細な料理方法まで与えて上げちゃってる訳ですよ……そこまでお膳立てしてるのに再現出来ないなんて事ある訳無いですよね? ねっ?」
料理として例えたが、魔法の術式の構築とはそれよりも遥かに単純で簡単なモノである。何も一から魔法を構成しろと言っている訳では無い。既に有るモノを正しく再現しろと言っているだけなのだ。
料理の様に感覚が必要とされる匙加減なんて必要無い。
何一つ難しい事すら無く、ただ正確に魔術言語をなぞって術式を構築しろと言っているだけなのです。
「それなら良かった。いえ、ティリエール助祭が心配されていたので、少し気になっただけです」
「な……何を?」
「あの二人の薬術師たちが最近部屋に籠ったまま、食事の席にも顔を出さないと」
嘘……でしょ。
「かなり憔悴している様で心配だと」
クラリスさんまじ天使……てっ、そんな馬鹿な!!
あれ、あれれ……私、何か間違えているのでしょうか。
そんな訳無いですよね?




