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王都の錬金術師  作者:
第一章 商人の本道
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西方協会と薬術師

 陶器の受け皿とカップが擦れ、かちゃり、と小さな音を立てる。


 一階の喧騒とは無縁である組合長室に響くその小さな音は、紅茶を嗜む始業前の平穏な朝の一時。その繰り返される日々の情景は、共に描いた嘗ての仲間たちと……現在も彼が望み私が望む求めていた時間であった。


「すまないマリア、君には嫌な思いをさせてしまったね」


「良いのよビンセント、それが私に与えられた役割だったのですもの」


 もう私を愛称で呼ぶ者は彼だけしか居ない。だから残された仲間かぞくの為に、私に出来る事があるのなら、それを成す事を苦痛だと感じた事は一度も無い。


「で、貴方は何処まで想定していたの?}


 冒険者ギルドと神殿の関係は『あの騒動』を経て改善の道を辿っている、とあの子を含め多くの事情通を自称する者たちは似た見解を抱いている様だが、物事はそれ程に単純でも簡単なモノでも無い。何より事態を複雑にしているのは、今回の騒動の首謀者である修道司祭サイラス・ダイスタークがあの白銀の王を信奉する結社『ニクスの後継』たちの一人であった事に起因している。


 エリオ・バルロッティが残した真実は、我々に多くの難題を課す皮肉な結果となっていた。


 神殿の深くにまで潜っていたニクスの後継候補の存在。


 同時期に現れた始祖たる大錬金術師の名を語る少女。


 この事実を関連付けるなと言う方が無理がある。


 クリスを護る為にエリオ・バルロッティが取った行動が、クリス本人と冒険者ギルドに有らぬ疑惑を生じさせる事になったのだから、人の想いとは真実、ままならぬモノだと思う。


「グレゴリオ司祭長は裏で修道司祭たちを動員してサイラスの行方を捜索している様だけど、未だに痕跡すら掴めていない様だし、未確認の情報では本国の教皇庁が動き出していると言う噂もある。そんな中で司祭長に『共犯』を疑われている我々が能動的に動いても余計に警戒されるだけで交渉どころの話では無かっただろうしね」


 ビンセントが言うように、司祭長に貸しを作った形となった騒動を経た後も神殿との関係は停滞を続けていたのだ。全ては司祭長が冒険者ギルドに抱いた疑心ゆえに。


 だからこそビンセントはあの子を利用した。


 財団の設立の為の布石として、あの子が……クリスが自発的に直接司祭長と面談を求める様に私を使って間接的に、或いは自らが言葉の端に含めて直接的に、時間を掛けてあの子の思考を誘導して来たのだ。


 そして結果的にソレは成功を納めた。


「また僕はクリスさんに嫌われてしまうかな」


 大丈夫よ、最初から好かれてはいないから……と、何時もの軽口が出掛かるが、思う以上に神妙な彼の面持ちを前にして止めておく事にする。


 彼は自分の行いの醜さを正しく知っている。不甲斐ない大人の無力さと無能さを嫌と言うほど痛感している。なら其処に足すべき言葉も想いも私には無い。


 だだ一つ私が思う事。


 彼は本気であの子に男女の恋愛感情と呼ばれる種の好意を抱いているのかも、と言う事だけ。


 冒険者時代を通して見ても、彼が此処まで一人の女性に対して関心を寄せ、思い悩む姿を見た事が無い。余りにも異性に関心が薄すぎて、もしかしたら妙な嗜好の持ち主なのでは、と老婆心ながら本気で心配していた時期すらあった程なのだ。


 そんな彼がもし本気で誰かを愛せたのなら……それは本当に素晴らしい事だと思う。ただ……あの子の友人として見れば、棘の道、障害だらけの恋路ではあるけれど。


「貴方は損な役回りばかりだものね」


「それは仕方が無いとは思うけど……今回ばかりは少々、素性も知れぬ誰かさんが恨めしいのは事実かな」


 司祭長に冒険者ギルドが騒動の共犯を疑われている理由は二つ。


 その一つが王国に対して仲裁を求める為に支払われた二つの遺産アーティファクト。都合良く他国の冒険者から齎らされたその経緯にある。


「でもどれだけ調査しても、誰かの思惑と言う可能性は低いんでしょ? なら本当に只の偶然ではないのかしら」


 所属する国と何かしらの問題を抱えた冒険者が、裏で他国の冒険者ギルドに遺産アーティファクトを横流しすると言う話はこれ迄も無かった話では無い。事例としては多くは無いが、都合が良かったと言う点さえ考慮に入れさえしなければ、意図的な思惑などは陰謀論の域を出ぬ話なのだ。


「持ち込んだ冒険者は複数で当然、偽名でギルド証も偽造のモノ。しかも遺産アーティファクトの入手経路も本人たちの足取りすらも複数の隣国を経由させる事で追跡を困難にしている。これでは只の横流しにしては余りにも巧妙過ぎて、僕が司祭長の立場でも疑いを抱いてしまうね」


 未確認ながらサイラス・ダイスタークが保有していたとされる遺産アーティファクトを冒険者ギルドが奪い、交渉の為に王国へと譲渡したのでは無いのか。


 冒険者ギルドが既にサイラスの身柄を押さえて、或いは始末を着けているのなら、どれだけ追跡の網を広げても影すら踏めぬのも頷ける、と。


「随分と盛大に誤解され……いいえ、疑われたものね」


「そうだね、本当に偶然なら良い迷惑ではあるけれど、もしこれが誰かしらの策謀だとしたら相当に頭の切れる、それもかなり悪辣な奴の仕業だと思うよ」


 今の状況のたちの悪さは、歪な三竦みを形成させている事に有るとビンセントは語る。


「未必の故意と呼ぶには大分悪意を感じるけど、これが原因で冒険者ギルドと神殿が互いに潰し合っても構わないと言う何者かの思惑と言うより指向性を感じるんだよ。もしもこれが作為的な仕業であるのなら、きっとその人間はそういう世界で生きてる連中なんだろう、とね」


「そう……だから少し貴方は安堵しているのね」


 私の言葉が余程予想外だったのだろう、彼は本当に驚いた顔をしていた。


「だってビンセント、貴方の推測が正しいのなら、クリスはこの件とは無関係だと確信出来るものね」


 あの子は絡め手の策謀……と言うよりも奇策と呼ぶべき手段を好む傾向がある。けれどビンセントが言うような人間性とは相反している。自己の利益の為だけに他者を貶めても構わない、と言う考え方があの子には無いからだ。


 だからクリスがあの騒動に深く関わってはいない……ニクスの後継たちとは無関係だと信じたいビンセントからすれば、この件にクリスが関与していないと思える事は好材料でしか無い筈。


 けれどそれを指摘されればこの表情……。


 全く……これまで色恋沙汰に疎かった上に不器用な男とは面倒なモノだ、と思わずこの時の私は友人や部下としてでは無く一人の女として、嘆息を漏らしてしまった。




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