第九幕
「奇抜な……本当に奇抜な発想をなさる方だ。貴女には本当に驚かされてばかりです」
それは誉め言葉なのだろうか?
司祭長は感情が豊かな方とはとても言えず、微妙な言い回しをされるとそれが本心からなのか、或いは皮肉なのか、の判断が難しいタイプの人間なのだ。
揶揄されているのに気づかず、素直な感謝を告げるなんて嫌過ぎる……てか、恥ずかし過ぎるでしょ。
最悪の場合、どや顔で提案した手前、勘違いしてました、てへっ、では私の自尊心は保ち切れずこの場で悶死してしまう恐れがある……ので、返事に窮してしまう。
「ただ、クリスさんからの提案を是とするも否とするも、流石に私の権限を越える為に、一度預からせて頂き聖公会の場で検討しなければ神殿としての判断は下せません」
正式な見解と回答は後日に、と司祭長は言葉を結ぶ。
その反応を受けて私がどう感じたかと言えば、
上々である、の一言に尽きる。
開口一番に反論の余地無く聖水の販売を拒絶された身としては、神殿側から検討の一字を引き出せた時点で大いなる成果と言える。それに司祭長は神殿としての判断『は』と言う言い回しをした。つまり、司祭長個人の関心は惹けたと推察出来るのでは無いだろうか。
ならば十分に脈有り、である。
「クリスさん、聖公会の場で円滑に議論を進める為に、私共から一つ提案が……いえ、本音で参りましょうか。一つだけ条件が有るのですが」
提案返し……だと。
いや、この上……更に条件ですと。
私がどれだけ譲歩して……身を削って、忍耐とお金と忍耐とお金と忍耐とお金と忍耐とお金と受ける損益を想定して血涙を流しながら提案した腹案に、じょ……条件ですとおおおっ。
強欲。
聖職者にあるまじき大罪でありますとも!!
ですが、此処で受け入れないと言う選択肢は余りに愚行……なので、
「何でしょう、司祭長様?」
と、笑顔で返す。
笑顔が引き攣ってる?
いいえ、愛嬌と表現して頂きたい……どうかお願いします。
「王国からの出資の件ですが、もし……いえ、仮定の話とはなりますが、もしも神殿がクリスさんに協力を約束した場合、王国への交渉は仲介では無く、我々神殿と冒険者ギルドに一任して頂きたいのです」
「提案の意図が理解しかねます、私の財団に関わる事柄に私が関与するな、と司祭長はおっしゃるのですか?」
馬鹿馬鹿しい。
私の商会の命運を握る交渉を人任せにするなど、それこそ有り得ない。これは優男や司祭長の能力を疑っている訳でも軽んじている訳でも無く、言わば信念や信条の問題であり、簡単に曲げられるモノでは無い話なのである。
「私もグレゴリオ司祭長の提案には賛成だわ、クリス、貴女は貴族たちと極力関わり合うべきでは無いもの」
気負う私の背後から援護射撃……では無くマリアベルさんの誤射が炸裂する。
「ですが……その条件を飲めとは流石に」
無理でしょ、と如何にマリアベルさんが相手で合っても、不満一杯、承服しかねると、私は文字通りの表情を浮かべていた事でしょう。
「正しく先を見据える、と言う能力は培っていくべき才でありますよ、クリスさん」
「司祭長様、重ねて不敬かとは存じますがおっしゃる意味が私には……」
「回復薬」
はい、ばれてました。
司祭長の短い一言で私は理解する。
回復薬の冒険者ギルドでの扱いや販売は、優男の管理の下で慎重に行われているとは思うのですが、何せ市場調査の一貫として少数とは言えど熊さん一家にも同様に卸しているのです。
市井に流れた小さな噂程度であっても、神殿が本気を出して調べれば調査の過程で現物を入手する手段や可能性は……まあ、合った事でしょう。
こうして司祭長と会って見ればそれも納得。既に事前調査の段階で、いや、下手をすればもっと以前から私は泳がされていたのかも知れない。
「此処で詳細に触れる気はありませんが、一言、『素晴らしいモノ』だと抱いた感想だけは伝えておきます。だからこそ私は危惧しているのですよ……貴女のその純粋さを」
純粋? 私が?
中々に言われた事が無いのでまんざらでも無いですが、狡猾で知られると自負する私の何処にその純粋さを見出だしたかには興味がありますね。
「王国に回復薬に対する主導権を握らせる訳にはいかないのです。クリスさんは考えた事は御有りですか、人々を救済すべき薬が人殺しの道具として利用される可能性を」
「どう言う意味でしょうか?」
「回復薬を大量生産し、それを軍事転用すれば『簡単』には死なぬ兵士を大量に動員する事が可能に為ると言う事です。言い換えるならばソレは、軍事力だけでこの国が西方全てを統べる事すら可能にすると言う事です」
回復薬の軍事利用。
考えた事などある訳が無い。
そんな『下らない』使い道など。
「例えば貴女が親しくしている其処の女性……彼女が冒険者時代、何と呼ばれていたか御存じですか? 風撃のマルレーテ……それが所属する国が異なると言う理由だけで同じ冒険者を虐殺してきた彼女の悪行に対して与えられた二つ名……名称なのです」
マリアベルさんは沈黙を守り何も語らない。
「クリスさん、貴女は余りにも貴女を利用しようとする者の悪意に鈍感過ぎます。だからこそ私は危惧するのです。このままでは何時の日か誰もが貴女の存在を奪い合い、貴女が新たなる大戦の……災厄の引き金になってしまう事を」
なるほど……司祭長の持論は善性を以てする実に聖職者らしい考え方だと理解は出来る。
けれど私はマリアベルさんの全てを肯定しているつもりは無い。私に対する彼女の好意は真実のモノだと疑いを向けた事など無いが、同時にそれだけが理由で彼女が私に協力的であるなどと、それこそ考えた事も無い。
人間とは善性のみでは存在し得ない。
悪性を以て善を成すと言う言葉がある様に、両面を抱えるその不完全さゆえの葛藤こそが、人間らしさとも言える人の可能性の片鱗であるのだ、と私は信じている。
その類に漏れぬ私とて、マリアベルさんに抱く行為は本物ではあるが、もしも遠い先の話、私と冒険者ギルドの利害が対立した場合、私は迷うこと無く関係を絶ち切るだろう。例えその事で冒険者ギルドと敵対関係になったとしても私の彼女に対する好意に嘘は無いし、それが矛盾しているとも思わない。
「分かりました。ただこれが最後の譲歩だと御考え下さい」
司祭長に何を言われても私の内なるマリアベルさんとの関係性が揺らぐ事など有り得ないが、さりとて、未熟な私とは異なりマリアベルさんが清濁併せ飲む度量の持ち主であろうとも、正しさを免罪符として女性を中傷する司祭長のやり方は正直に言って気に入らない。
しかし此処で私が感情的に反論しても、結局傷つく事になるのはマリアベルさんだろう。ならば私のちっぽけな矜持を優先させるよりも大切な事は別にある。
「御理解頂き感謝致します、クリスさん」
司祭長の言葉には何処か満足げな響きが感じられ、それゆえに彼は私と言う人間を根源的な部分において誤認しているのだとはっきりと分かる。
私が人間の先の未来に惹かれ望むのは『興味』ゆえ。
私が人間の悪意に鈍感?
それこそ失笑を禁じ得ません。
何故なら例え人間がその愚かさゆえに破滅への道を辿ると言うのなら私はそれを止めようとは思わない。寧ろ全ての帰結としてその『未来』を見届けるのも一興だとすら思っている。
果たして司祭長は何時の日か気づく事が出来るのであろうか、そんな私の歪んだ人間性に。




