第八幕
「黎明期の冒険者たちの実態は、残されている過去の記述から見ても散々たるモノで、今よりも遥かに酷い状態だった事は間違い無いわ。魔物や遺跡についての知識が乏しく、何よりも経験と言う積み重ねが皆無であった初期の冒険者たちは、遺跡に辿り着けた者すら極少数だったと言われているの」
マリアベルさんの発言は私の問いに対する解答では無い。だが、恐らくは必要な前振り……知識なのだろうと、黙って耳を傾ける。
「結果として何の成果も残せないままに、本当に多くの冒険者たちが死んでいったと記されているわ……」
哀悼……だろうか。
マリアベルさんは過去の先人たちを、そして恐らくは自身の冒険者時代を想い、瞳を伏せる。
それは本当に僅かな時間では合ったが、人間の思考時間は時の流れと同一では無く、等しく比例するモノでも無い。一瞬の悲しみが永遠へと至る世界だからこそ、彼女の想いの深さを測る事は私には出来ない。
「でもねクリス、犠牲者のみを産み出して遺跡の探索も調査も遅々として進まない冒険者ギルドに対して、当時の王国も大陸に住む多くの人々も、今ほどの危機感は抱いてはいなかったの、その理由は分かる?」
「恐らくは……生活水準の違いですか?」
「流石ね」
教え子を誉める様にマリアベルさんは微笑む。
「クリスの思う通り、当時の世界はまだ今ほどに魔法に『依存』していなかった。今では魔法の触媒として欠かせない硝石の利用価値や生活用水を始めとした他の汚水の処理に必要な浄化魔法も、術式の基礎となる発想すら生まれていない、そんな時代だったからこそ、誰も冒険者になど期待してはいなかったのよ」
誰もが遺産を力の象徴としか捉えていなかったからこそ、遺産のみならず、知識の泉としての本当の遺跡の価値に気づいてはいなかったと言う事だろうか。
「マルレーテさん。其処からは私が引き継ぎましょう。余り冒険者の役割を美化されてしまっては、後々クリスさんが戸惑われてしまっても困りますからね」
司祭長の声音には攻撃的な響きは感じ無い。しかし、その言に見られる様に両者の関係性は成り立ちからして『水と油』。本来は相容れぬ関係性である事を窺わせる。
「それでも時を経て、多くの冒険者の血と犠牲の果てに、僅かではありますが各国に……いいえ、この場合の定義としては大陸に、と申した方が良いでしょうね、遺産は齎されました。その過程において、冒険者が遺跡から持ち帰った古文書などの書物の数々も、戦時中では見向きもされたなかったソレらもまた、解読が進み、研究が成され、やがて世界は一つの転換点を迎えたのです」
司祭長は口を閉ざし室内に沈黙が流れる。他の司祭や修道師たちも神妙な面持ちで司祭長の動向を窺っている。
歴史の内に神殿が抱える功罪。
恐らくソレこそがこの沈黙の正体なのだろう。
「貧しさは人を卑しめ、心を卑しめ、正しき信仰すらも歪めてしまう。だからこそ、例え過度な豊かさが堕落と怠惰を産み出す温床であったとしても、飢えで赤子や幼子が……老人たちが死んでいく飢餓に苦しむ貧しき世よりも、飢えで死なぬ富める世の方が万倍もましな世界だと、私などは不徳にもそう思ってしまうのですよ」
「遺跡の調査は失われた知識と魔法を再び世界に呼び戻し、人々の生活を向上させていった。そうですね、司祭長様」
「そうです……変化を続ける世界の在り方を前にして、神殿にも新たなる思想と呼ぶべき考え方が生まれました。冒険者たちに協力して遺跡に眠る知識を広く世界に伝える導きの役割を」
神殿の目的は遺産では無く、遺跡に残された知識の拡散。
なるほど、それなら互いの利益は重複しないかも知れない。遺跡から齎らされる知識を一国に独占させぬ事を条件に調査に協力するのなら、両者が手を結ぶ事は可能であろうか。
「それを提唱された御一人であった枢機卿が、四代目の教皇へと即位なされた時、教皇庁は明確な二つの派閥へと分かたれたのです」
初代教皇の教えを忠実に守ろうとする保守派と、失われた知識や魔法を再現する事で、嘗ての豊かさを取り戻そうとする革新派に。
そう、司祭長は語る。
「では二年前の神殿の偏心はやはり?」
「急逝なされた先代様に代わり、新たに選出された現教皇猊下は遠くは初代様の御血筋に当たる、極めて強固で原理的な思想を持たれる保守派の御方なのです」
これまでの歴史の中で、保守派と革新派は天秤の様に互いに傾き合い、時に勢力図を塗り替えながら教皇を選出してきたのだろう。しかし、これまでの保守派の教皇たちは内部の反対勢力や諸国の動静もあって大きな改革は行えずに来た。世界に与える影響を考えればそれは恐らく同じ理由で革新派の教皇たちも同じ筈。
だが此処に来て、即位早々、強硬派の教皇がやらかした。
えっ、洒落じゃないでしょ……ええ、本当に。
優男と司祭長が居るこの国はまだましだろう。
隠蔽されているのか、公に伝わっていないだけで、大陸諸国の困惑と混乱が目に見える様で……ご愁傷様です。
ですがこの国は幸運です。
感謝するべきでしょう、私に選ばれた事に。
「司祭長様、正しき認識を私などに御教授頂き感謝に堪えません。その上で確信致しました。我がマクスウェル商会が御両者の手を携えさせる為のお手伝いが出来ると言う事に」
神殿が表立って協力出来ないのなら、やり方を変えれば良い。
蛇の道は蛇。押して駄目なら引いてみろ。正しさだけが世の中じゃ無いのです。
「私の財団は第三者機関として、王国そして冒険者ギルドから出資を募り、神殿が冒険者に課した治癒魔法士の参加費用の負担金を補助する基金を設立させて頂きます。但し神殿の関与が疑われぬ様に金銭を含むその他の協力を財団は神殿に求めません。ただ聖水の利益の一部を基金に当てさせて頂く……これならば教皇庁からの指示には逆らわず、弁明も可能なのでは?」
聖水の販売と冒険者ギルドへの支援に直接的な因果関係は無い。ただ神殿は聖女として広く知られるクラリスさんの慈善活動の『拡大』を黙認してくれれば良いだけの事。
正直な話、例え教皇庁に真意を知られようが、それは大きな問題では無いのだ。法の下に準備と体裁を整え、ちゃんと話の辻褄さえ合わせてやれば、正しさなんてものは関係無い。物事の道理とはそう言うモノなのである。
「さあ、交渉の席に着きましょう」
だから私はどや顔で、そう言ってやった。
次の投稿から週に多くて二回程度、水・土の二回かどちらか一回になる予定です。
リアルの事情により更新速度は落ちてしまいますが、章の完結までは途切れず更新していく予定なので、宜しくお願い致します。




