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王都の錬金術師  作者:
第一章 商人の本道
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第二幕

 高名な思想家が残した言葉がある。


 幸運も不幸も一生の内に齎される総量は収束し魂の天秤は片寄る事無く均衡を保つと。


 つまりは何が言いたいのかと申しますと、悪い事があればその内、良い事もありますよね、と言いたい訳で御座います。


「クリス……聞いてる?」


 神殿へと向かう馬車の車窓。流れる町並みを視界に映しながら私は、くんくん、と控えめに鼻で息を吸い込んでみる。


 車内に仄かに薫る甘い香り。


 ふへへへっ。


 良い。良いですぞ。


「ちょっと、クリス?」


 狭い車内、隔絶した密室に漂う美女の体臭……げふん、少々表現が下品でしょうか、訂正しましょう、例えるならば、それは麗しき香料の香り……もうお分かりでしょう。今、わたくしクリス・マクスウェルは馬車での道行き、美女と同伴しているのです。


 ああっ、世界は私に感謝するべきでしょう……私と言う天才がこの様な些細な事象で幸福を感じ得るような品行方正な人格者である事に。


 瞬間、細い指先に両頬を摘ままれて私の意思に反して首が不自然な角度を維持したまま美女……マリアベルさんの方を向かされ。


「痛ひっ……痛いですマリアベルさん」


 と、抗議の声を挙げて見るが余りの激痛に目尻に涙が貯まる。


 先程は些か控えめな表現をしましたが……摘ままれた時に発生した擬音を忠実に再現するならば、それは、ぷにっ、などと言う可愛い気があるモノでは無く、雑巾を絞った折りに発生する、ぐぎゅ、であり、無理な負荷が掛かった首が上げた悲鳴は、ぐぎっ、と言う穏やか為らざる異音でありました……。


「人の話はちゃんと聞かなきゃ駄目でしょ!!」


「はい……すみません」


 眼前に迫るマリアベルさんの美しい容貌は、間近で見ても粗が見られぬ素晴らしい芸術品ではあるが、今は整った眦をつり上げて大変にご立腹の御様子なので此処は飾らぬ賛美の言葉より、逆らわず謝罪の一手で場を凌ぐ。


 弱腰? いえいえ、戦略的処世術とでも称えて頂きたい。


 眉目秀麗、冷静沈着、聡明で完璧な淑女であったマリアベルさんへの心証は距離が縮まるにつれ、私の中で若干の変化を遂げている。それは彼女の内に秘めた属性と言うべき激情型で毒舌家であると言う側面が、頻度を増して表面化してきたからである。


 最近では小言も多く叱られる事も増えてきた。それも今回に見られる様に肉体的な接触を伴う……いやいや、もっとはっきり言えば痛みを伴う躾の如き行為が、である。


 勿論それで私が抱くマリアベルさんへの好意に翳りが差す筈も無いのだが、私の心のメモ張に、ちょっと怖いお姉さんと言う評価項目が追記されてしまっている事は不本意ながら仕方が無い事だろう。


「で……何ですかマリアベルさん」


 解放されはしたが朱に染まる頬を擦りながら訊いて見る。


 お叱りの御言葉を頂戴する前に此方から本題を切り出す。そうすれば無駄を嫌う賢者であるゆえに彼女はそれを無視して小言を連ねる様な真似はしない。


 これが私が編み出した対マリアベルさん用の戦術の一つである。


「どうして司祭長との仲介役をビンセントに頼んだの?」


「ああっ、その事ですか」


 マリアベルさんの疑問は御最もである。


 マクスウェル商会の身内に神殿との会談の席を設ける為の人脈と言うべき適任者が居るのに、何故態々、冒険者ギルドに借りを作ってまで組合長であるビンセントに頼んだのか……私と優男との関係性を良く知るマリアベルさんがそれを疑問に思うのは至極当然の事。


 ましてその対価として現にマリアベルさんの同行を飲まされた形になっているのだから、当の本人である彼女自身がある意味で一番困惑しているとしてもおかしな話ではないだろう。


「クラリスさんの神殿での立ち位置は未だに微妙ですからね、そんな中で神殿の特権商人でもない私と司祭長との間を取り持つ形でクラリスさんの噂が立てば、神殿の内部に要らぬ波風を立てる事にもなりかねませんから」


 神殿での騒動は一応の解決を迎えたが、それでクラリスさんの立場が何か改善されたのかと言えば……それは否、である。何も変わってはいないし、好転もしてはいない。


 修道女や修道師たちの間では今回の一件を受けて彼女に対して同情的な者や好意的な者の方が多いのだろう……しかし依然として司祭たちの間でクラリス・ティリエール助祭とは敬うべき対象であると同時に、畏怖すべき存在でもあるのだ。


 であるのなら、司祭長の思惑はどうあれ、療養を理由に一時的に神殿との距離を置いている今のクラリスさんを私の都合で引き戻す様な真似は避けるべきだろう。


「なるほどね、合点がいったわ」


「何がです?」


 謎が解けたとばかりに、ぽんっ、と軽く手を叩いたマリアベルさんの表情は悩み事が解決したといった、そんな表情をしていた。


「クリスもそうだけど、ビンセントにしてもらしく無かったのよね、これまで彼は貴女の行動に干渉する事を極力避けてきたのに、今回に限っては私に付き添いを強制してまでクリス……貴女の自由意思に介入しようとしている。それがどうにも不思議でならなかったのよ」


「そうですかね、私は別に違和感なんて感じませんでしたけど……逆に寧ろ腹黒いアイツらしいと納得したくらいですよ」


「そうね、でもクリス、ちょっとだけ考えて見て頂戴。私が冒険者ギルドの人間として貴女と共に司祭長と会談に望むのと、貴女と司祭長が二人だけで会談に望むのと、周囲が受けるその印象の差こそがさっき貴女が語った懸念に対する一つの答えではないのかしら」


 印象の差……か。


 確かに例え冒険者ギルドの仲介であったとしても、私が司祭長と二人だけで会えば周囲の人間たちは内に抱く恐れゆえに私の背にクラリスさんの影を見る。しかし此処に冒険者ギルドの人間としてマリアベルさんが同席する事で、周囲の者たちの意識を神殿と冒険者ギルドが抱える治癒魔法士の問題へとすり替える事は可能かも知れない。少なくとも彼らが私の背後に見る影は陽炎の如く薄らいだモノとなるだろう。


「冒険者ギルドは神殿との間に依然として問題を抱えていますからね、大方私が好き勝手に状況を掻き乱さない様にマリアベルさんをお目付け役兼監視役として同伴させたかっただけだと思いますけどね」


 そんな憎まれ口を叩く私の髪にマリアベルさんの手が触れる。


「ちゃんと分かっているのに素直に成れないところがクリス、貴女の悪い癖かしらね」


 異議あり、と反論を述べようとするも、優しく髪を撫でるという禁じ手でマリアベルさんは私の行動を封じてしまう。


 ず……ずるい。


「でも……誰よりも貴女の事を気遣っているのに、それを言葉に出来ない彼の不器用さもまた十分に欠点と呼ぶべきモノなのよね」


 最後の言葉は聞かなかった事にしよう。


 それを認めてしまったら負けな気がしてならない……いや、負けでしょう、普通に。


 容姿端麗な上に頭脳明晰、何よりマリアベルさんの様な美女と恋仲で、本当は気遣いも出来る優しい良識人……そんな完璧超人の存在を認めてしまったら、私の自己は間違いなく崩壊してしまう。


 なので認めませんよ、絶対に。



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