新米商人と処世術
う~む。
うむむむむっ。
商会の執務室で私は狐目から手渡された書面を時に宙に透かし、時に角度を変えて見たり……と、色々と手段を講じては見たが、其処に羅列されている項目とそれに伴う金額は当然の如く変わる筈も無く……書面の最終項目に燦然と輝く合計金額を前に私は再び、ふむむっ、と唸り声を上げていた。
「マルコさんやマルコさん? コレ……ちょっとお高くは有りませんかね?」
「ですね、相場の二割増しと言ったところでしょうか」
回復薬の製造には肝となる聖水の他にも当然、主原料と言うべきか、主媒体と言うべきか、一般的に必要とされる各種の薬草が必要な訳で。
それらを一括購入するべく専門の卸問屋に受注したところ、送られて来た明細が今私が手にしているコレ、の正体である。
「ああ……これが例の奴ですかね、出る杭は打たれる的な?」
「いえいえお嬢、現在マクスウェル商会は冒険者ギルドとの小規模な取引しか行っていない言わば弱小中の弱小……どう贔屓目に見ても出る杭どころか地面深くに減り込んでますから、業界内の洗礼と呼ぶのは早計でしょうね」
ひ……酷い。
しかし、冷静に考えて見るに狐目の言には一理ある。
踏んでも問題ない杭に、躓きもしない杭に、この仕打ちは、横暴は、一体全体どういった了見でしょうか。
不当な仕打ちには断固として抗議します。
宜しい……ならば徹底抗戦だ。
「まあ妥当な額なのでは」
「えっ?」
「良識の範囲内では」
「えっ?」
身内から漏れ出た意外な言葉に意気込んで明細を破り捨てようと指に力が籠めていた私の手が止める。
「えっ? じゃないですよお嬢、どの業界にも内輪のルールはありますからね、新参の商会が支払う授業料……と言うか、手数料としては妥当な水増しと言うべき額ではないですか」
しれっとした表情で我が懐刀はそんな事を言う。
「例えばウチの縄張りで店を開くのなら相応の場所代を請求しますし、同様に裏の界隈で新たな集団を作るなら既存の組織への挨拶は必須ですからね、つまりは礼儀も知らず、分も弁えない連中は長生きは出来ない……それはどの業界も似たようなものでしょう」
なにそれ怖い。
でもその論理は非合法な上に愉快なお友達間での物騒な業界ルールじゃないですか、と突っ込みを入れようとしたが……狐目が……いえいえ、狐目様が余りにも真顔で語るのでそっと胸に仕舞って置く事にした。
理由は敢えて語るま……いや、語ろう。
目が怖いんですよ目が……完全に病んだ瞳をしています。
うら若き可憐な乙女に向ける眼差しじゃありませんよ、ええ……本当に。
「授業料……ねえ」
「妙薬を始めとした薬剤関係の素材の売買は薬術師ギルドが一手に引き受けている、言って見れば既得権益みたいなモノ……小口の取引なら薬術師ギルドを通さずに事は済むかも知れないですが、ウチはそうじゃない……ですよね?」
「だから新参者は大人しく金を払えと?」
「そう言う事です、粋がって揉めたところで此方には何の得もありませんし、マクスウェル商会が回復薬の売買で成長していく為には大元である薬術師ギルドと良好な関係を維持していく事も肝要な事ですから」
ふむむっ……。
確かに長い付き合いになる筈の薬術師ギルドと揉めるのは宜しくない。
此処は揉み手をしながら此方が頭を下げて受け入れるべきなのだろうか。
「今回は卸問屋の側にしても恐らくは薬術師ギルドが値を吊り上げて請求してる事がこの見積書の額の理由でしょうし、ですのでこの値段を単純に悪意や此方の足元を見ていると捉えるのは早急に過ぎると言えるのではないですかね」
「う~~ん 面倒だね……本当に」
「でもそれを踏まえてお嬢は商売人と言う同じ土俵に立つ事を望んだのでは?」
ぐうの音も出ない。
全く以て正論……である。
「じゃあ今回は敬意を払う意味でもこの値段で買い取らせて貰おうかな」
「それが良いかと」
今後マクスウェル商会が力を付けていけば自ずと薬術師ギルドとの関係も変わって往く……だから今は大人しく風下に立つとしましょう。
しかし私は風上を好む女。
今に見とれよこの野郎……です。
「ああ……それと」
「はい?」
決意を籠めてぐっと拳を握り締める私にまるでついで、と言う様に狐目は別の話題を切り出すのであった。
★★★
「『例の』聖水の案件なんですが……中々に好評ですのでもう少し手を広めようかと思っているのですが」
「ふむふむ」
「ですので財団を設立してマクスウェル商会では無く其方に前面に立って貰おうかと」
「何故にそんな面倒な真似を?」
回復薬の量産計画が遅れているマクスウェル商会にとってクラリスさん『の』聖水は商会の財政を支えている貴重な収入源である。
それを態々二次団体を設立してまで利益を分散させる理由が分からない。
そんな真似をしては私の懐に入るお金が減るではないですか、けしからん……こほん……嘘です。
う……嘘、ですよ?
「従来の聖水の相場はお嬢も知っての通り、三百ディールから五百ディールが常識的な価格ですよね?」
「ウチの聖水は一万ディールですが、何か?」
クラリスさん『の』聖水は嗜好品なのです。
クラリスさん自体に付加価値が付いている以上、それは正当な価値であり、当然その価値に値段が見合うと思う者たちが購入しているに過ぎないのです。
其処に違法性は無いですし、自演活動……もとい、慈善活動の一環である事もまた確かな事実……ゆえに、ゆえにですよ? 例え購入者がどういった思惑の下で聖水を購入していたとしてもそれは私の与り知らぬ事。
其処に後ろ暗い事は全くありません、ありませんとも。
「価格の是非は兎も角として、このまま手広く進めていくと必ず同義的な責任や道徳論を説い出す面倒な輩は出てきますからね、この辺りで早々に手は打っておくべきかと」
「でもでも、完全な慈善団体になっちゃったら私のお金が……」
「商会の……ですよね?」
「うん……私の…お金……」
何故だろう……やや気まずい沈黙が流れ。
「慈善活動を行う財団が完全な福祉を目的とした団体である必要はないんですよお嬢」
「と……言うと?」
「従来通り新たな財団の会長はお嬢が務める事でマクスウェル商会の利益は保護されます……ただ」
「ただ?」
「財団の理事にはそれなりの大物に就いて貰えば今後はより遣り易くなる、と言う事です」
何となく狐目の意図が見えて来た。
流石に本質は外道……えげつない……ええ、えげつないです。
「つまりは豪邸に住むつもりなら番犬は飼え、と言う事?」
「ですね、必要経費と言うべきですかね、幸いお嬢には冒険者ギルドに有力な知人も居る様ですし、神殿の司祭長とも知己を得ているとか……今後の事を考えれば王国の有力な貴族様と薬術師ギルドからも一人ずつ就任して頂ければ最良ですかね」
財団の運営側にそれだけの有力者が集えば軽々しく文句を言える者は居なくなる、と暗に狐目は言っているのだ。
「大きな実りが得られるモノを独占する遣り方は賢い方法とは言えません」
「パンは分け与えろ……と」
「少し違いますかね、『平等に』と言いたい訳ではありませんから」
思考法からして真っ黒です……けしからん、だが面白い。
そういうのは嫌いじゃありません。
薬術師ギルドに関しては金髪娘の協力が必要かも知れませんが、王国関係者は優男か司祭長に頼めば何とかなるかも知れません。
それにマクスウェル商会の今後の為にも強固な後ろ盾を確立させつつ、クラリスさんの純粋な想いにも協力出来る……これは何という一石二鳥の妙案。
癒着? 違います、法に触れさえしなければ良いのです。
それに私は欲望に忠実な女。
これはこれで楽しくなってきそうです。
そろそろ登場人物も増えて来るので、人物紹介を章の頭に順次追加していく形で入れようかと考えています。




