第四幕
回復薬の精製に必要な各種素材や精製器具、精製魔法を補助する為に設置された常設型の簡易魔法陣……それを維持する為の硝石などなど、私が手ずから回復薬を生産する分には全く掛からないが他者にそれを委ねる事により必要となる生産コストは月々に換算すれば結構馬鹿にならない額になる。
加えて屋敷の維持費や人件費……各人の食事代などの雑費を上乗せすると……ふはああっ、と帳簿を投げ出して暫しの間、現実逃避をしたくなる程の金額に及ぶ訳で……。
つまり私が何を言いたいのかと言うと、仮採用したこの二人の薬術師たちには早々と回復薬の生産を開始して貰い、安定した利益を上げて貰わねば為らないと言う事なのである。
なので私は早速仮採用した二人をこき使う……こほん、研修の名の下に狐目を伴い地下工房へと案内してきた訳なのだが……。
改めて見るに、
仮採用した男女の片割れである若い女性……名前はレベッカ・リンスレット。
女性主上主義の私としては素直にレベッカさん、と名称したいところではあるのだが……彼女の私を見る眼差しの節々に見られる不信感や叛骨心は余りにも露骨なモノで……。
そうなると、ですよ?
彼女の利発そうな容貌から抱く印象も、気丈、と言うよりは勝気、と思えてくる訳でして……此処はレベッカさん、では無く金髪娘と呼称する事にしましょう。
心が狭い?
いいえ、私は心のままに生きる女。
なので通常運転です。
そしてもう一人の野郎……もとい彼の名はロイ・なんちゃら。
ええ……彼の容姿を踏まえて見ても、全く覚える気力が湧きません。
私的には完全に不合格なのですが……クラリスさんと子供たちのたっての要望なので仮採用としましたが……個人的には遺憾です……強く遺憾の意を表明したいところです。
私の商会にイケメンは不要。
心が狭い?
いいえ、私は世のイケメンの撲滅を目指す女。
なので通常運転です。
譲歩はしましたが彼には厳重な注意と監視が必要でしょう……もしこの野郎……けふん……彼が私のクラリスさんや子供たちに色目でも使おうものならお仕置きですよ……ええ、ぶっ殺します。
「お嬢?」
「イケメンは死ね」
「お嬢……聞いてますか?」
はっ!!
危ない危ない……知らぬ間に不用意な発言を口走るところでした……。
「あ……うん、回復薬の見本だよね」
はいはい、と私は懐から用意していた回復薬を取り出すと作業台へと置いた。
「これが……新薬……いいえ、新たな妙薬……ですか?」
金髪娘の困惑げな呟きが漏れ聞こえ、同じく卓上の回復薬を見つめる優坊やの表情にも金髪娘と同質の……不信感とは言わずとも動揺の色が見て取れた。
まあ、それも仕方が無いとは言える。
小瓶の中に内包された透明な液体は、市販に出回っている通常の妙薬と寸分違わぬ物であり、彼らが今抱いているであろう不信感は分からぬ訳では無い。
市販されている妙薬と目の前の回復薬。
一体何処に違いがあるのか、と言う素朴な思いが彼らの表情からはありありと窺えた。
私としても本来ならば着色をして差別化を図るべきなのかも知れないとは考えはしたのだが……しかし効能とは無縁のところで一手間を加える事で掛かる無駄なコストに必要性を感じなかった為に断念したと言う経緯がある。
確かに着色による割増は一個当たりの生産コストに換算すれば微々たるモノだ。
しかし回復薬は消耗品である。
この先、千、万、そして何十万個と生産していく過程に置いてその差額は馬鹿に為らない程の金額に膨らんでいく……当然の事ではあるが、一個当たりの単価を出来るだけ抑えていくと言う私の指針から考えて見ても、それは好ましいとは言えないのだ。
私が個人的に生産するのであれば何ら問題には為らずとも、今の技術と魔法でそれを代用しようとすればそれは金銭的な負担として跳ね返ってくる。
錬金術師としてでは無く商人としての私には、これは地味に頭の痛い問題であったのである。
「ではでは、回復薬の効能をお披露目するとしましょうかね、マルコさん例のモノを」
私に促された狐目は事前に申し合わせていた通りに、工房の奥から準備していたソレを手に取ると、ごとり、と言う重量感を伴う無骨な音を響かせてソレを、木槌を二人の目の前へと、作業台へと置いた。
「なっ……何のつもり!!」
金髪娘が置かれた木槌を見据えながら作業台から一歩下がる。
ふむっ、直ぐに私の意図を察したのだろう、中々に察しの良い女性である。
「回復薬の治癒効果を測るには自分の身を以て体感して貰うのが一番手っ取り早いかな、と思いまして」
「しょ……正気じゃないわ、くっ、狂ってる!!」
「大丈夫ですよ、指の一、二本砕けても回復薬なら瞬時に完全な治癒は可能ですから」
と、私は金髪娘に嗤い掛ける。
勿論全て演技です。
そんな野蛮な真似を強いる気は最初から無いのですが、彼らの上辺だけの言葉ではない覚悟の程は行動として確かめておきたかったのです。
確かに褒められた遣り方とは言えませんが、この程度の脅しに屈して尻尾を巻いて逃げ出す様な覚悟なら、今後私の商会で働いていくのは難しいでしょうから。
「ふざけないで!!」
案の定と言うべきか金髪娘が発する金切り声が宙を裂き。
私を睨むその眼には拒絶と確かな怯えが見られ……強気な言動と態度とは相反した金髪娘の様子に……。
あれ……なんだろう、きゅんきゅん……します。
これはまさか、私の内なる禁断の扉がまた一つ開いてしまうかも?
「じゃあ、僕が」
うひょひょひょ、と内心で浮かれていた私の耳にそんな声が漏れ聞こえ。
「へっ?」
と、声の主へと視線を送った私の視界に、木槌を手に取って振り上げる優坊やの姿が映り込み……作業台には残された手が広げられて置かれていた。
躊躇なく振り下ろされる木槌。
「ひいっ!!」
金髪娘の恐怖を帯びた短い叫び声と共に、どすん、と鈍い音が作業台の上で響き渡る。
速度に乗って振り下ろされた木槌は優坊やの置かれた手を完全に砕――――く事は無く、素早く反応していた狐目が優坊やの手を払い除け、木槌の軌道を反らせていた。
なんで邪魔をするんですか、と不思議そうな眼差しを狐目に送っている優坊や。
木槌によって打ち付けられた作業台の箇所は衝撃でへこんでいる……もし仮に其処に手が在ったなら指が折れる程度では済まされない惨事になっていた事は疑いなく。
これは……中々にぶっ飛んだ若者である。
見た目の言動や態度に反してこの優坊やは常人とは言えぬ、面白い方向に頭のネジが緩んだ言わば逸材である。
勿論、それは私なりの誉め言葉であり、未だに逃げ出す素振りを見せない金髪娘と二人、私なりに彼らの評価を上方修正する事にした。
私は髪に差す銀の髪飾りに触れ……そしてそのまま翳した右指をぱちん、と打ち鳴らす。
瞬間――――薄暗い地下工房に輝く魔力の粒子が舞い踊り、私が彼らの眼前へと展開させた魔法陣を、込められた術式を、二人は魅入られた様に見つめていた。
「なに……これ……」
「見た事無い術式……です」
この程度の抽出魔法はさっさと教えて回復薬の生産に取り掛かるつもりであった。
けれど……興味を抱いてしまった。
魔法を教えるのではなく、自らの手で学ばせた時、彼らは私に何を見せてくれるのだろうか。
エリオがそうであった様に、私の中に残せる何かを彼らは与えてくれるのだろうか。
その想いは、問い掛けは、商人としてでは無く探求者としての私の心を強く刺激し……。
「これは君たちが望む概念抽出魔法……でも名前はまだ付けてはいないよ」
無言のままに彼らは術式を見つめていた。
「一月……君たちに時間を与えてあげるからこの術式を自らの手で解明して見ると良い、最初の一人にその名と共にこの魔法を与えよう」
「私と彼の何方か……」
「そう、新たなる魔法に名を授けられる栄誉は一人だけ、だから競い合って見ると良い、何方が一番かを、何方がそれに相応しいのかをね」
何れは汎用魔法として広く伝わる事になるとしても、その初めの一人となる事の名誉と、魔法に名を付ける事の意味を彼らは知っている。
固有魔法を手にする栄誉は一人だけで良い。
仲良く手を取り合って、などは私の流儀では無い。
だから私は平等には与えない。
互いに切磋琢磨を繰り返し、相手を実力で打ち負かしてでも勝ち取る事でしか見えぬ世界の先が魔法士には在るからだ。
また少し予定が狂ってしまったが、それも良いだろう。
私は若き魔法士の輝きを誰よりも好む……そんな魔性の女なのだから。