第三幕
魔法の研究とは日々の積み重ね……思考錯誤のその先で更なる予測と検証を繰り返し、小さな結果の欠片を幾千と、幾万と積み重ねる事で一つの成果を導き出していくモノ。
だから……そんな研究者としての日々に、日常に染まっていた私が、日に二度もこうまで驚かされる事は滅多に無い。
面談室で私を待っていたのは……。
瞳に映す少女の姿に……私は言葉を失う。
神殿の聖女の存在と比肩する……いや、私にとってはそれ以上の衝撃を齎す存在を前に、ただ全てを忘れ立ち尽くしていた。
美しい、と讃える有り触れた賛美の言葉はこの少女には不釣り合い。
単純な美しさを賛美するならば、先程まで間近で見ていたティリエール助祭様の黄金の如く容貌は、この少女に勝るモノであるのかも知れない。
しかし……違うのだ……この少女の美しさとは、そんな主観的な美醜に左右される……上辺だけを論って語るべきモノでは無い。
彼女の美しさとは、魔法士が学ぶべき術式の基礎であり、至るべき上位術式の構成が奏でられる旋律に例えられるが如く、まさに集大成として語られるべき完全調律の結晶と称しても憚らぬ程の……完全なる調和によって生み出されたそれは……奇跡。
古に伝わる完全なる個『人造人間』を想起させ……いや……無言のままに私を見つめる闇夜の瞳は、感情の起伏を感じさせぬ漂う冷たい雰囲気は夜月の人形……『人造人間』と対と為して語られる『自立魔導人形』の如き少女の造形に、私は魂すらも揺さぶられ、知らず震える身体を押し抱く。
「は~いどうも~、私がクリス・マクスウェルで~す」
おどけた少女の第一声に、完全に場違いな少女の気安げな声音に……場が凍り付く。
「お嬢……確かに気負うなとは言いましたが……それは砕け過ぎです……」
「あれ……?」
眉間に深い皺を寄せて額に片手を添えている細見の男の隣で、気まずそうに表情を引き攣らせる少女の姿に……私の肩の力が抜けていく。
最早目の前の存在に神秘的な気配は感じない。
改めて見返せば少女の黒き瞳には明確な意思の輝きが在り、自在に色を変える少女の表情を前にして、先程まで抱いていた畏怖にも似た感情は嘘の様に私の内から消失していた。
『人造人間』。
『自立魔導人形』。
夢見る乙女ではあるまいし、考えても見れば余りに馬鹿馬鹿しい……。
目の前の少女はどうみても只の……普通の人間だ。
緊張の余り妙な思考に、想像に、迷走していた私は羞恥で頬に熱を帯びるのを感じていた。
「レベッカ・リンスレット、二十二歳、薬術師、ギルドでは新薬の研究に携わっていた……と、この略歴に訂正すべき箇所はありますかね?」
少女の隣に座る細身の男の問い掛けに、冷水を浴びせられた様にまた緊張で身体が強張るを私は感じる。
声の質で……声音で分かる。
場慣れしていない少女の態度とは違い、私を見据える男の値踏みする様な鋭い眼差しが、積み重ねて来た修羅場と経験の深さを感じさせ、それは会頭と呼ばれた少女はただのお飾りで、この男こそが実質的にこのマクスウェル商会の実権を握っているのだと証明するに十分なモノであったのだ。
「はい、薬術師としての基礎は完璧に習得していると言う自負と相応の実績を挙げて来たと言う自信はあります……もし採用して頂けるならギルドで学んだ知識と経験を活かし、即戦力としてそれに見合う成果を挙げて見せましょう」
これは賭けだ。
自分は決して安くは無いのだと……決して安売りなどしないのだ、と言う意思を鮮明にする事で私と言う存在を強く印象付ける為の……これは布石。
雇われさえすれば実力で居場所は作って見せる。
だから今は多少傲慢だと思われても私の有用性を強く主張すべき。
「ふぅん、随分と自信家なんですね」
興味深そうな少女の声音に、しかし私は敢えて少女の言葉を無視する。
クリス・マクスウェルなどと言う明らかな偽名を名乗ってまで商会を立ち上げたのだ、多少は魔法の知識と或いは才覚もあるのかも知れない……だが見た目、十五・六歳に見えるこの少女の正体はきっと何処かの貴族の令嬢か、豪商の孫娘と言ったところだろう。
何方にしろ大錬金術師の名を騙っている時点で御里は知れている。
それは世間知らずゆえの傲慢であり、無知ゆえの驕り。
魔法士である者が『転輪の際者』の名を軽々しく扱う時点で、私の中での少女の評価は自ずと定まってしまう。
だから私が語るべきは少女の方では無く寧ろ彼……説得すべき存在は隣の男の方と言う事になる。
「私は自分が有能だと知っていますから……だから此方からもお願いがあります、この商会で扱う新たな妙薬を一度見せて頂けますか?」
「ほう、雇われる側が面談の場で自己主張……ですか」
細身の男の声音が一段と低くなる。
「その妙薬が私と言う存在の価値に見合うモノなのか見定めなければ、此処で働く意欲など湧きませんから」
緊張の余り冷たい汗が額に滲む。
しかし言うべき事は言う……子供の道楽に付き合って人生を棒に振るつもりなど私には無い。
そもそも報酬の為に大義を見失っては薬術師として生きる意味など無いのだから。
それが不遜だと言うのなら落とせば良い……その時は所詮はその程度の相手だったと諦めも付く。
「妙薬の効能に納得出来れば特位制約の件も了承して貰えると考えても?」
「無論です、此方の妙薬がもしそれだけのモノであるのなら、例え不当な条件であったとしても喜んで契約させて頂きます……求める知識に手が届くなら、私は悪魔に魂を捧げたとしても悔いはありませんから」
そう……それが私の魔法士としての、薬術師としての生き方……。
「どうしますかお嬢?」
「いいね!! 良いんじゃないかな、私は好きだよ、そういう大言壮語は」
魔法士として先達である筈の私に対して余りにも屈託のない少女の態度が、尊敬の念を感じさせぬ気安さが私の自尊心を軽く傷つけ……。
小娘が……言ってくれるわね。
お飾りの似非魔法士の分際で、と少女に対して怒りを覚えるが……此処で折角稼いだ点数を減点されるのは実につまらない。
なのでぐっ、と我慢する。
「では仮採用と言う事で、後はリンスレットさんの判断次第と言う事で良いですかお嬢?」
「うん、それで構わないかな」
どうやら正念場は超えた……らしい。
付き合い方が難しそうな少女だが、商会内での力関係は何となくだが理解が出来た。
「ああ……申し訳無いですね、自己紹介がまだでした、私はマルコ・レッティオ、この商会の執行役員……そうですね、番頭とでも思ってくれれば良いですよ」
「では宜しくお願いします、マルコさん」
長い付き合いになるかどうかは妙薬次第ではあるが、この先、商会内での評価を決めるのは名前だけの会頭では無く間違いなくこの男だろう。
だからこの男との付き合い方は今後に備えて翌々慎重に学んで往かねば為らない。
ともあれ、今は新たなる妙薬を直接この目に出来ると言う事実が私の胸を騒めかせる。
未知なる存在とは常に新たなる発見を齎す素晴らしきモノ。
私がこの時抱いていたのは湧き上がる期待と、期待外れに終わる事への同じだけの不安……そして内なる天秤が最終的に何方に傾く事になるかなど、当然この時の私には知る余地の無い、予見できぬ未来図ではあった。




