第一幕
冒険者と修道司祭たちが突入した郊外の屋敷から程近いあばら家で、俺は観察者として……研究者として興味深く邸内で繰り広げられている攻防を眺め見ていた。
予め座標を固定しておいた投影魔法の効果によって、俺の視界には今、屋敷の広間の光景が映し出されている。
素晴らしい……実に良い実験記録が取れそうだ。
隣の寝台に横たわる眠り姫の存在を時に忘れてしまう程、冒険者たちと実験動物との戦闘は俺の探求心を擽り……更なる研究への意欲を湧き立たせる、実に有意義なモノであった。
個人の資質や能力は修道司祭たちに劣る冒険者たちではあったが、経験に裏打ちされた彼らの連携はやはり見事だと言えよう。
加えて指揮を執っている女魔術師が実に素晴らしい。
他の者と比べても明らかに格上の彼女の能力の高さは、もしも遺物無しで遣り合えば俺でも後れを取り兼ねぬ程のモノ。
敢えて実験動物に再生を繰り返させる事で限界を見極め、自壊を誘おうとしている戦術も、彼女の高い魔法の見識を窺わせるに十分なものだ。
ああっ……だから教えてやりたい。
綺麗なその顔が絶望に歪む瞬間を目にしたい……。
もしも声を届ける事が出来たなら、俺は迷わずそうしていただろう。
俺が実験動物への魔力の供給を止めぬ限り、自壊などしないのだと言う事を。
そして俺の左指に嵌められた遺物『無窮の源泉』がある限り、指輪に内在された膨大な魔力を引き出せる俺の魔力が尽きる事など無い事を。
広間は既に結界魔法で封じている。
つまり俺の試作魔法『再生』を組み込んだ実験動物の再生速度を凌駕する一撃を持たぬ彼らでは、どう足掻いたところで既に勝負は着いている。
無駄な努力を重ねる冒険者たちの姿に俺は身震いする程の興奮を覚え、憐れな彼らの末路を想像して歓喜する。
後は冒険者たちがどれだけ足掻いてくれるかに尽きる。
その時間が長ければ長いほど、得られる実りも大きくなるのだから。
愉悦に身を震わせながら投影されている光景に見入っていた俺は……刹那――――地響きを轟かせる強い揺れを感じ取り、僅かに座る椅子から腰を浮かせていた。
地震? いや、違う……。
転移魔法? 馬鹿な……そんな筈は有り得ない。
そもそも俺の結界魔法の干渉を阻害して此処に転移など出来る訳が無い……それに空間共振を引き起こす程の出鱈目な転移魔法の存在などそれこそ絵空事の世界の話だ。
だが何方にしても何者かの干渉が有った事だけは疑う余地は無い。
不意に生じた揺れと共に生じた魔力反応が結界を突破して此処に現れた予期せぬ来訪者の存在を証明し、これがただの自然現象ではない事を察した俺はその発生源へと視線を送る。
あばら家の入口の扉……その先に。
★★★
あばら家の入口の直ぐ外に現れた予期せぬ侵入者は、俺の視界に映る意外な来訪者は、
美しい少女の姿を象っていた。
月明りに照らされた少女を目の当たりにした俺は、警戒感よりも先に彼女の完成された造形に見惚れてしまう。
それは俗物どもが抱く劣情などとは違う、もっと崇高で純粋な求道者としての感性ゆえに。
屋敷の女魔術師も、寝台で眠る助祭も、人間の女としては美しいと呼べる部類の生物ではあるのだろう……しかし、この目の前の少女の美しさとは生物の持つ剥き出しの生々しさとは一線を画したモノ。
例えて匠が描いた名画の如く、精巧な彫像の如く、無機質で完成された美が其処には在った。
まさにこの少女の造詣は神の御手により創造された人形の如く……その奇跡を前に俺は打ち震え。
「何者だ……娘?」
「お前がそれを知る必要はないと思うけど?」
涼風の様な涼やかな音色なれど、見た目に反して俗物的で挑発的な少女の物言いに、俺は失望の余り怒りが沸き上がるのを感じていた。
与えられた恩恵を理解出来ぬ憐れな少女の中身に。
「外部からの干渉を遮断していた俺の結界内にどうやって侵入してきたのだ、と聞いているのだが?」
「ああっ、あの紙切れみたいに薄い出来損ないの事かな?」
もう良い……この中身は要らない。
この娘の素性など後でゆっくり調べれば良いだけの話。
これ以上幻滅させられる前にその身体だけ頂こう。
貴重な素体をなるべく壊さずに手に入れるには綺麗に首を刎ねるのが最良の方法だろう……俺の蒼の刃の切断面ならば後に修復させるにしてもさして労力は掛からない。
冒険者ギルドの魔法士、と言うのが濃厚な線ではあろうが、仮にこの女がどれ程に高位の魔術師であろうと、呪術師であろうとも、単身で俺の前に立っている時点で頭の悪い愚か者である事を自らで証明している様なもの。
或いは伏兵を配していているがゆえに、俺の注意を引く為の敢えての算段と言う可能性も無い訳では無いが、それならば屋敷内の仲間の救出に人員を割かぬ事への整合性が取れない。
どれだけ己の魔法に自信を持っているのかは知らないが、剣士としての技能を持つ俺を相手に、魔法士同士の従来の戦闘を想定しているのなら、勝負は一瞬でけりが付く。
飄々とした雰囲気で佇む少女に俺は自然な様子で間合いを詰め……そして半歩、尚も意に介した素振りすら見せぬ少女を剣戟の間合いへと捉えていた。
俺を舐めすぎだ小娘、これで終――――。
蒼の刃を抜き放つ瞬間――――俺の視界の正面に突如出現した少女の小さな拳が映り込み……反応する事すら出来ぬ俺の無防備な顔面に少女の拳が打ち込まれる。
「ぐがああっ!!」
華奢な小さな拳からとは、とても想像出来ない凄まじい衝撃と共に、俺の身体は錐揉みしながら吹き飛ばされていた。
勢いのままに背後の扉を突き破り、あばら家の床へと身を叩きつけられた俺はその余りの衝撃と激痛に息を詰まらせる。
お……俺のは……鼻が……。
それでも何とか立ち上がり、麻痺しかけている患部へと触れた俺の手が、ぬるり、と抵抗も無く沈み込む自らの鼻の感触に……折れて……いや、砕かれたその感覚に、痛みを忘れ怒りの余り歯を打ち鳴らし。
「こ……小娘があああああああああああっ!!」
我を忘れて吼えていた。
「あらあら、か弱い乙女を相手にその体たらく……もう少し身体を鍛えた方が良いのでは?」
壊れた扉の向こうから、俺を見下ろしてころころと笑う少女の姿に、余りにも状況とは不釣り合いな少女の態度や言動に俺は憎しみを籠めた眼差しを向け……。
少女の黒き瞳の奥に宿る焔を垣間見た俺の額から、痛みや屈辱からでは無い冷たい汗が流れて落ちる。
小馬鹿にした様な少女の態度や言動とはまるで異なる瞳の意思が……その落差こそがこの少女が俺に抱く怒りの深さを現す様で……得体の知れぬ感覚に突き動かされる様に俺はじっとりと汗で濡れる手で蒼の刃の柄を握り締めていた。
「俺に何をした娘……一体どうやって……」
魔法? 違う術式を構成させている暇などなかった筈だ。
体術か? それこそ有り得ない……体つきを見れば分かる……あんな細い体で武術の心得などある筈が無い。
「手品師に種を披露しろなんて随分と無粋な事を言うね、でも良いよ、優しい私は教えちゃう」
少女は俺を覗き込み笑った。
「でも先に一つ教えてくれないかな? 折角順調に進んでいた目論見を途中で邪魔された気分は? 一方的に踏み潰されるだけの虫の感情ってどんなモノ? ねえねえ教えてよ?」
今、どんな気持ち?
少女は屈託のない笑みを浮かべながら、無邪気な声で、ずかずかと無遠慮に、俺の自尊心を根こそぎ圧し折る、そんな問いを投げ掛けて来るのであった。




